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** 仁王雅治 (み、ず……) どんなに厳しい練習の後でも覚えたことのない喉の渇きに、目が覚めた。 もっと言えば頭はガンガン痛むし、身体は酷い怠慢感に襲われとれば、更には節々が痛んどる。紛うことない風邪の症状じゃった。 まあ、もともと季節の変わり目に体調を崩しやすくて、特に小さい頃なんかは季節毎に年四回は寝込んどったけど。この痛みや怠慢感は何遍経験しても慣れるもんやなか。寝返りを打つことすら億劫じゃ。が、今は水への渇望のが勝っちょった。 仕方なしにのそのそ起き上がり、自室に置いとる小型の冷蔵庫へミネラルウォーターを取りにベッドを降りた。 じゃけえ、目を瞑っとっても歩き回れる自室のはずが、歩き出してたった二歩目にして、壁に衝突した。 歩調に勢いはなかったちゅーても不意打ち過ぎて、痛みのあまり、熱でぼんやりしとった頭が一瞬で覚醒する。壁にへばり付いた状態で蹲ったまま、しばらく痛みに悶絶したけども。 痛みが落ち着いてから辺りを見回せば、暗いながらも寝起きで闇に慣れちょる目に映るのは、それでも全く見覚えがないと判断できる室内じゃった。内側に加えて外側からも痛む頭を押さえて困惑する。 (どこじゃ、ここ……?) それに今気付いたんじゃけど、何で俺は裸にバスローブちゅーあられもない恰好をしとるんじゃ? 家にバスローブなんてもんはないし、見覚えのない部屋といい、一体何が起こっとるのか、頭痛が酷いのと相俟って思考がままならん。 一先ず、今は何より水が飲みたい。 唯一の出入口である部屋の扉を開けて左右を確認する。人感センサー付きの照明なんか、扉を開けたのに合わせて足許が仄かに灯された廊下にも、当然見覚えはなかった。 適当に選んだ方向に進めば当たりだったんか、リビングと思しき広い部屋に出た。それも俺の知るリビングとはまるで規模が違う、やっぱり見覚えのない空間じゃ。熱だけが原因とは言えん呆然とした思いで見回せば、続き間になっちょる隣の部屋の奥にカウンターテーブルを認めて、そちらに近付く。外国の家でよう見る、真ん中にも調理台がある広いキッチンに一瞬怯んだが、欲求には勝てず足を踏み入れた。 水切り籠にあったコップを拝借して、並々と注いだ水を一気飲みする。ひんやりとした感覚が身体の中を流れ落ちた。 もう二杯ほど飲み干してからコップを戻し、来た道を戻る。 状況はわからんけど、喉が潤った今、今度は熱と頭痛が酷くて堪らん。じゃけぇ、考えるのは後じゃ後。 そう思ってリビングを素通りしようとした時、何気なく目を向けた先。何インチあるんかわからん大型テレビの前に敷かれたカーペットの上に、思わぬ塊を見つけてぎょっとした。 「、サン……?」 名前を呼んだつもりじゃったが、実際は掠れてほとんど音になっとらんかった。さっき潤した喉の渇きとは別の理由によるもんじゃから、こればっかりはこの風邪が治りでもせん限り仕方ない。 広々とした窓から注ぐ月明かりに照らされた、その人形のような作り物めいた顔立ちは見間違えられるもんでなければ、この世に二つとあるもんでもなか。吸い寄せられるようにふらふら近付いて傍らに膝を付いたが、サンはピクリともせんかった。 その人間味のない血の気のなさに、ほんまに生きちょるのか、一抹の不安を覚えた。 じゃから呼吸しとるのか確かめるため口許に手を近付け、じゃが掌に呼気を感じたことにほっとするよりも、その荒さにぎょっとした。慌てて掌の位置を額にずらしたが、俺もまた熱があるから、俺の手が熱いんかサンの額が熱いんか判断がつかん。ただ額に触れた際、一緒に触れた髪の毛はしっとり濡れて冷え切っちょった。 ただでさえ熱で頭が回らんちゅーのに、この状況も何も訳がわからなくて混乱する。 それでも回らん頭を回らんなりに回した結果、俺は最初に目を覚ました部屋に戻ると毛布を剥がし、リビングに戻った。それをサンに掛けてやって、俺もその隣に潜り込む。 横になってすぐ、身体が休息を求めて意識がうつらうつらしてきた。現と夢の境が曖昧になる。 ――― そんな中で傍らに感じた熱を胸の中に引き寄せた感覚を最後に、俺は意識を手放した。 という、夢じゃと思っとった。 じゃけえ、目が覚めてから覚醒に至るまでのいつもの三十分が経つ前に、ふと見下ろした腕の中に濡羽色の頭があって、寝とる内にバスローブが肌蹴た胸元に昨日掌で感じた荒い息遣いを感じたとなれば、現実逃避するには難しい状況じゃった。 だからといってすぐに受け入れるにもまた難しい状況に茫然自失すること、如何ほどか。 俺を現実に引き戻し、且つ冷静にさせたのは「にゃあ」っちゅー愛らしい泣き声じゃった。一体どこから聞こえたのか姿を探すと、毛布の一部がもぞもぞ動いとるのを発見した。どうやら二人で使っても有り余る毛布の中で前後不覚に陥り、もんどり打っとるらしい。 想像しただけでも微笑ましい光景じゃったが、本人にとっては笑い事では済まされんじゃろう。毛布を引き寄せて出口を近付けてやると、黒い塊が転がり出て来た。 「……ねこ?」 それは俺が構内で隠れて餌付けしとる仔猫じゃった。 犬や鳥といった大雑把な区分を示す名称ではあるが、特に名前を付けるつもりなかったから一貫して呼び続けとったら、当人は自分の名前と認識したらしい呼称に、仔猫は「にゃあ」と応えた。 ……ナルホド。ねこのお陰で現状の顛末におおよその察しが付いた。 昨日、でええはずじゃけど、とにかく金曜日のことじゃ。 土日ぐらいに本州へ最も接近すると言われとった台風が急激に速度を上げたとかで、放課後の部活が始まって間もなく荒れまくった天気に、下校を促す放送が流れた後の話じゃ。 切り上げられた部活に、俺らテニス部に限らず他の部活の連中もこぞって下校する中、俺はその流れに逆らってねこを探し回った。仔猫とはいえ野良じゃし、雨ぐらいなら心配することもなかったかもしれんけど、流石に台風となれば話は別じゃった。だが俺とねこに昼時以外の接点はなくて、生憎と俺はねこの塒がどこにあるのかを把握しとらんかった。 で、あちこち探して、ようやく見つけた頃には既に、俺の全身はずぶ濡れ。一先ずその時近場だった旧校舎の昇降口へ逃げ込んだ以降の記憶が曖昧じゃから、恐らくあの時にはもう発熱しとったんじゃと思う。 思い返せばその時、サンに会った、気が、する。 (いや、会ったからこうなっとるんじゃろうけど……) しかも助けられた俺が寝て起きたら快復してるのに対して、助けた側のサンは未だ高熱に魘されちょる。 そんな恩人をこのまま放置できんし、一先ず場所を移すかの。昨日はこれが最善だと思ったが、今改めて思えば床に寝かせたままはいかんじゃろ。……いや、抱き締めちょるものアレじゃが。こんな恰好で。 よからぬ邪念を頭を振ることで追い出し、腕を緩めて起き上がる。思いの外しっかり抱き締めていた自分の行動に、無意識とは恐ろしいもんじゃと噛み締める。起き上がった俺を引き止めるように、バスローブを掴んで来たサンの無意識も含め。 防御の意味を兼ねてサンの身体を毛布に この広い家のどこにサンの部屋があるかわからんから、取り敢えず俺が寝かされちょった部屋のベッドに寝かせて、次に俺は服を求めて洗面所を探した。ずぶ濡れの上、ねこを見つけた際に一悶着あって汚れた服の行き先なんて、洗濯乾燥行きに決まっちょる。 水場っちゅーのは大抵近くにまとまっちょるものじゃから、キッチン近くの扉に当たりをつければ、洗面所はあっさり見つかった。 もっと言えば、思った通り制服は部屋干しの換気扇が付いた風呂場に吊されとった。ねこを包んどった部活のジャージもある。 一方で、発熱しとるっちゅーことは、俺の巻き添えで同じく濡れ鼠になったと推測されるサンの制服が見当たらん。人のはこないきっちりに干しとるのに。剰え熱出して魘されちょるし。 流石にまだ湿っとるカーディガンを除いた服に手早く着替えを済ませ、続いて向かったのはキッチンじゃった。 薬の場所は皆目見当がつかんから、後でサンに訊くとして、服用するには何か少しで腹に入れる必要がある。勝手ながら冷蔵庫の中を拝見して、食材をいくつか使わせてもらうつもりじゃ。結果、無難に卵粥を作ることに決めた。そのくらいなら俺にも作れる。 続いて土鍋を探そうとしたところで、オープンキッチンのカウンター越しに見えた姿に、俺はぎょっとした。 「ちょっ、サン!? 何をしとるんじゃ!!?」 カウンターもその向こうの食卓テーブルも通り越した先。カーペットと大小様々なクッションが転がっちょるだけで見通せるリビングに、さっきベッドへ運んだばかりの姿が転がっとったんじゃ。 慌てて駆け寄ると、毛布を剥いだ身一つで、サンは小振りのクッションを枕にカーペットの中央で仰向けになっとった。その腹の上にはねこが乗っちょる。体温計がどこにあるのかわからんから俺の感覚じゃけど、額の熱はさっきよりも上がっちょる気がする。 「に、お……く……?」 人より低い平熱に戻った俺の熱に、まだ浅いとこにあった意識が引っ張り上げられたんか、サンが目を覚ました。 虚ろな目がしばし彷徨った末に俺を見つけ、かと思えば、サンは口許を綻ばせる。 「よ、か……た……から、だ……もう、い、の……?」 「……ああ、俺はもう平気じゃ。それより今は自分の心配をしんしゃい」 目を覚まして一言目に、他人の心配。 「ねこ、さん……も……よか、……た」 「にゃー」 そして、二言目には動物の心配。 「わ、……たし、は……だい、じょ……ぶ……だか、ら……おうち、の、ひと、が……し、ぱい……してる、よ……」 最後にようやく出て来たと思った自分のことも、結局は他人のこと。 偽善的と言えばそれまでじゃけど、実際こうして、今一番苦しい状況にある自分のことより他人のことばかり気に掛ける姿を見せられると、それはもう偽善的やなく単に愚かなだけとしか思えんかった。断じて“自己犠牲”なんて美談として語れるもんではなか。 これじゃあ初対面じゃったバレンタインの時や、本人は隠れとったつもりかもしれんが実際には全く隠れられとらん、遠目にもわかる挙動不審さに面白半分で声を掛け、二度目の対面になった始業式の日に見せられた。丸井の過剰と思えるほどの過保護さに納得せざるを得ん。 自分のことを二の次三の次にするサン本人に代わって、周りがサンのことを気に掛けとかんと、最悪誰にも知られることなく独りで死んでそうじゃ。 大体自分は大丈夫だなんて、目の前で息も絶え絶えに言われれば説得力なんて欠片もなければ、虚勢にもなっとらん。そんなもんを「はい、そうですか」と受け入れられる訳がなか。 「……家にはもう連絡しとるから、サンは自分のことだけ心配しんしゃい。昨日の礼に今度は俺がサンの世話をしちゃる。それでお相子、貸し借りなしじゃ」 「そん、な……わ……たし、の、こと、……は……」 「ええから。これは俺が勝手にすることじゃ、サンの意見は最初から聞いとらん。ただ甘んじとけばええ」 「……ごめ、なさ、い……」 「ここは「ありがとう」言うとこじゃ。――― ああ、言い直さんでええ。それは元気になった時に聞かせてもらうぜよ」 放っとけないと、思ってしまった。 ほんまは家に連絡なんてしてなければ携帯の存在を失念しとったし、第一我が家は放任主義じゃから帰りが遅くなろうが無断外泊しようが、特に問題はなか。そもそも昨日俺が帰宅していないことにすら、気付いていない可能性だってある。 まあ、そこは必要な方便。逆に不必要な遠慮をするサンが弱っちょるのをええことに、ゴリ押しして意見を通させてもらった。 「それじゃ、まずはもう一度ベッドに運んで」 「――― いや」 「は?」 「ベッドは、や……ここが、いい……ここ、……じゃ、なきゃ……やだ」 「……」 もう一度抱え上げようと腕を伸ばした俺に背を向ける形で寝返りし、その反抗を示すように、サンは背中を丸めた。 反動で、サンの腹の上で丸くなっとったねこが落っこちて、ひっくり返る。しかしすぐに起き上がると、ねこはめげることなく、丸くなったサンの腹部の隙間に潜り込んで再び丸くなった。 ほんまはベッドに寝かすのが一番じゃけど、本人が嫌がっちょるんじゃから仕方ない。俺はベッドに置いてけぼりになっとるじゃろう毛布を取りに立ち上がった。 ……別に、氷とも揶揄されたサンの子供っぽい口調と仕種に意外なギャップを感じ、二つの団子に絆された訳じゃなか。 五月雨沁みる 002*141124
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