** 切原赤也


 聞こえよがしに悪口言われたり、物を隠されたり、足を引っ掛けられたり。スクールに通ってた頃から、俺は周りにやっかまれてた。
 相手は俺より先にテニス始めてたけど俺より弱い奴らばっかで、だから部活で一部のセンパイらに嫌がらせされても、スクール時代に散々やり尽くされたコトばっかだったからどれも今更で、嫌がらせ自体は全然気になんなかった。
 まあ多少はうぜーと思ったし、憧れの立海大でもかってガッカリはしたけど。
 でも相手はみんな、いまだに名前も学年もわかんねー、ぶっちゃけ知る価値も覚える価値もねーと思ってるセンパイらだ。気にするだけ時間のムダだと思ってた。

 ――― だけど、一週間前の放課後。
 苦手な英語の授業を担当してる先生に運悪く捕まっちまった後、今度はセンパイだってことはわかっけど誰かまではわかんねー、でも何となく見覚えはある人に捕まった時は、さすがにヤバイって思った。
 部活の時間になってて校舎にはただでさえ人気がねーのに、連れてかれたのはもっと人気がねー旧校舎の裏手だし、抵抗してもタッパとかいろいろ違い過ぎて意味ねーし。

 この時になって俺は初めて、危機感ってのを覚えた。
 だけどそれじゃ遅すぎた。右肩を踏み付けられて、そして ―――


「おい、。んなとこに突っ立ってないで、こっち来て座れって」

 少し笑いの混じった丸井センパイの声に、俺ははっとした。

 それは向こうも同じだったみたいで、片手にお盆を持ったその人はぎこちない動きで部屋に入って、ドアを閉めた。
 そしてテーブルに飲み物とカゴに入った手作りっぽいクッキーを置いて、丸井センパイが叩いて示したその隣に、遠慮がちに腰を下ろす。

「一応紹介しとくか? 、こいつはテニス部の後輩の切原赤也だ」
「…………う、ん」
「んで、赤也。こっちは俺のクラスメートでダチの
……? ――― って、あの!!?」
「おお、多分ソレだ」

 丸井センパイは声どころか表情にもあからさまに笑いを出して言うけど、ってアレだろ!?
 入学式が始まる前からウワサになってた、すっげーキレイな二年のセンパイ!
 俺はあんま詳しくねーけど、聞いたウワサの中には丸井センパイとメチャクチャ仲がいいってのも確かにあって、でも! だからって何で! そのウワサの人が丸井センパイの家にいんだよ!?

「まあ、が何で俺んチにいるかは置いといてだ。―――

 さっき弟たちに向けてたのとも違う、もしかしたらそれよりもずっと、もっと深い優しさを含んだ声で丸井センパイが呼び掛けると、うつむいてたその人はゆっくり顔を上げた。
 その表情は泣き出す寸前みたいで、その瞳からは今にも涙がこぼれ落ちそうで、こっちが泣きたくなるような顔をしてた。
 横顔だけで息をのんだ俺に対して、正面からそれを見た丸井センパイは苦笑するだけで、こぼれる寸前のその涙をそっと拭ってやってた。

「これでもまだ、俺らの言葉が信じらんねぇ?」

 丸井センパイの問い掛けに、その人は首を横に振る。
 そして俺に目を向けると立ち上がって、俺の横に来て膝を付いた。

「怪我は、……肩は、まだ痛む……?」
「――― えっ?」
「ごめんね、ごめんなさい。わたしの所為で……、わたしがもっと早く、あそこに行っていれば……っ!」

 ごめんなさい。そう何度もくり返しながら泣き出したその顔を、俺は前にも見たことがあった。
 ウワサのこの人に会うのは今が初めてのはずなのに、丸井センパイと同じでケガのこと知ってるし、どうして……?

 そう思った瞬間、俺はその腕の中にいた。抱き付くみたいに抱き締められてた。
 包み込むような優しい香りに、頭を抱えられてるから少しくぐもって聞こえる、ごめんなさいの声。知らないはずのそれを知ってると思った瞬間 ――― 思い出した。
 踏み付けられた右肩の骨が折られるか外されるんじゃないかってあの時に、俺を助けてくれた。頭ん中も感情も何もゴチャゴチャになって、震えながらただ泣くことしかできなかった俺を抱き締めてくれた ――― あの人だ。

「ちが、う……」
「……?」
「アンタが、……センパイが、謝ることじゃ、ない」

 だって、この人は俺を助けてくれた。
 肩を壊されて、もう二度とテニスができなくなってたかもしれないピンチに現れて、助けてくれた。
 この人が現れた時、俺は天使が現れたと思ったんだ。本気で。

「ほらな、赤也だってこう言ってんだろぃ? は何でも後ろ向きに考え過ぎなんだよ」
「丸井くん……。だけど、わたしがもっと早くあそこに行っていれば、赤也くんはそもそも怪我をすることなんて」
「だーかーらー、その発想が後ろ向きなんだって」

 丸井センパイは呆れ切った顔でデカいため息をついた。

「自分がもっと早く行ってればっては言うけどな、大体の奴らが部活やってる放課後のあの時間、ただでさえ人気がねぇ旧校舎の更に人気のねぇ裏手に行く奴がいたことが、そもそも奇跡なんだよ。行くのが遅かったか早かったかじゃなくて、行く奴が居たか居ないかの問題だ」
「で、でも……」
「それにが来てなかったら、赤也は今ここにはいねぇ。だけどが来たお陰で赤也は今ここにいるし、怪我は大事に至らなかった。結果論になっちまうけど、あと少し遅かったらって可能性よりかずっとマシだろぃ?」

 ベッドから立ち上がった丸井センパイに頭をなでられて、うつむいた灰色っぽい目が俺を見て、泣き笑いに変わった。
 半分泣いてた俺もつられて、ぎこちなかったかもしんないけど笑い返すと、雫が一つ頬をぬらした。
事件発生 006*110109