** 丸井ブン太


「あの……、丸井センパイ?」
「ん? どーした?」
「俺たち、どこに向かってるんスか?」
「どこって、俺んチ」

 あの日から丁度一週間が経って学校に復帰した赤也を連れて乗り込んだ電車に揺られて、しばらく経った頃だった。
 放課後になって即行教室に乗り込んで、ほとんど強引に連れ出した時はすっげー驚いて茫然自失状態だったから、仕方なかったにしてもだ。学校から駅に向かう間とか電車を待ってた時とか、他にも機会はいくらでもあったっつーのに、ここまで大した抵抗をしなけりゃずっと黙りこくってた赤也からようやく出たのは、随分と今更な疑問だった。
 だけど何の説明もしてなかったから至極真っ当でもあったその疑問に答えてやった瞬間、何でか赤也は頬を引き攣らせた。

「丸井センパイの家って、何で? てかセンパイ、今って部活の時間っしょ? これってサボりになんじゃないスか?」
「来ればわかる。部活は事前に休みもらってっから、サボリじゃありませーん」
「センパイはそうかもしんねーけど、俺は違うッス!」
「バカ、天才的な俺に抜かりはねぇよ。赤也の分もちゃーんと休みもらって来てる。第一お前、まだ碌に腕上げられねぇんだから、部活に行ったって練習に参加できねぇだろぃ。あの先輩、性格がクズならやることも本当にクズだよな。外道過ぎだっつーの」
「――― えっ?」

 瞬間、赤也の様子が一変した。隣を見れば赤也は目を見張って石みたいに固まってる。

 そこだけ時間が止まってるみたいな状況に、思わず俺まで驚いた。
 だけど自分が今さっき言ったことを思い出して納得する。そういや赤也が一週間も学校休んでたのって、階段から足滑らせて怪我したのが原因ってコトになってんだっけ。表向きは。
 なのに俺が先輩のこと知ってたんだから、そりゃ驚くに決まってっか。特に“テニス部の”人間には知られたくなかっただろうしな。

 流石にマズったと思った。何の説明もしてなかったからこそ、余計に。
 そもそもこっちだって別に、これ以上赤也を傷付ける気なんか、これっぽちもねぇんだ。

「んな顔しなくたって、バラしゃしねーよ。示談は成立してるし、今更蒸し返したって良いことは一つもねぇかんな」
「っ、……なん、で……?」
「そこら辺の話は歩きながらしようぜぃ」

 丁度地元の駅に止まった電車を先に降りて、車内を振り返る。赤也は最初躊躇う素振りを見せたけど、扉の開閉を予告する音に慌てて席を立った。そして発車する電車を尻目にホームを出て改札を抜ける。
 駅前の人通りから離れたところで一度横目に窺った、半歩後ろを付いて来る赤也は挙動不審の一言に尽きた。
 場合じゃねぇのはわかってっけど、それが少し笑える。

「……言っとくけど、お前が旧校舎の裏であの先輩にボコられてたことは、幸村くんと真田と柳、ジャッカルの四人も知ってんぞ」
「――― はああっ!? で、でも今日の昼休みにあのバケモノ三人教室に来たけど、そんなこと一言も」
「そりゃあお前、事前に深ーく釘刺しといたかんな。それにあの四人が知ってんのは、お前が先輩にボコられてたってことだけだ。他の奴らはそもそも、コトの存在すら知らねぇよ」
「じゃ、じゃあ、丸井センパイは、どこまで知ってんスか……?」
「赤也が知らねぇことも含め、ぜーんぶ知ってるぜぃ」

 赤也があの先輩にボコられて、肩を壊されかけたこと。
 そこをギリギリで助けられたこと。
 テニス部のために ――― 自分のために、この件の隠蔽を願ったこと。
 そのために誰が、何をしたのか。その一から十までを俺は知ってる。知る必要があった。

「お前には思い出したくもない出来事だったろうってのも、全部承知の上で、赤也に会って欲しい奴がいんだ。――― ここだ、ここが俺んチ」


 ただいまー、って玄関を開けてすぐ、真っ先に出迎えてくれたのは賑やかな声と足音だった。
 リビングのドアの向こうから顔を出した今年小学校に上がったばっかの上の弟と三歳になる下の弟が、いつも通りタックルで飛び付いて来たのを受け止めて、二人の頭をぐしゃぐしゃに撫で回してやる。
 キャーキャー悲鳴を上げて、だけど気持ち良さそうに擦り寄ってくんのが、実の弟ながら人懐っこい犬みてーだ。

「にーちゃん、おかえりなさーい!」
「おかーりー!!」
「おう、ただいま。お前ら、ちゃーんと良い子にしてたか?」
「トーゼンだろい!」
「りょい!」

 俺によく懐いてくれてる上の弟と、その真似をするのが最近のブームらしい下の弟は、揃って胸を反らした。
 褒めて褒めてって言わんばかりにキラキラしてるその顔が、ますます犬を思わせる。要望通りまた頭を撫でてやると尚更だ。

「あれ? にーちゃん、その人だれ?」
「だえー?」
「お、お邪魔してます……」

 あ、ヤベッ。弟二人があまりに可愛かったから、素で赤也のこと忘れてた。

「こいつはにーちゃんの後輩だ」
「こーはい?」
「こぉは……?」
「あー、年下ってこと。それより、ねーちゃんはどうした?」
「かーちゃんといっしょにおやつ作ってる! もうすぐでできるって!」
「かーちゃ! つくっちゃあー!」
「おっ、マジで? じゃあねーちゃんに、そのおやつをにーちゃんの部屋に持って来てくれって、伝えてくれるか?」
「はーい! 任せとけい!」
「あーい! まちゃけとけっ!」

 元気良く返事をして台所に走ってった兄貴の後を追う、下の弟のどこか危なっかしい足取りに、俺は内心ハラハラだ。親曰わく俺ら兄弟の中で一番腕白らしい下の弟は、オムツを卒業してからホントにやんちゃが過ぎて、いっつも肝を冷やされてばっかなんだよなぁ。
 その背中が無事に見えなくなるのを見届けてから、俺は赤也を促して二階の自分の部屋に向かった。

 ラケバを置いて、脱いだブレザーをハンガーに掛けて、ネクタイを緩めながらベッドに腰を下ろす。赤也にも適当に座るように言う。
 そしたら赤也はラグに腰を下ろして、落ち着きなくっつうより物珍しそうに人の部屋を見回した。その様子は最初より大分リラックスしてるように見える。

「わりぃな、騒がしくて」
「えっ、あ、いや、……あの二人って、センパイの弟、さんッスか?」
「おう、俺に似て可愛いだろぃ?」
「……似てるのは否定しないッスけど、男なのに可愛いとか、普通自分で言います?」
「事実なんだからいいじゃん。それに、ちっちぇー時から親戚中に散々言われまくってたから、もう慣れた」

 それに自分が真田みてぇな男顔じゃねぇ自覚はとっくの昔にしてるし、この顔のお陰で女子の先輩らがお菓子の差し入れしてくれてるわけだし。今んとこ欠点より利点の方が断然多いから、特には気になんねぇな。気にしたこともねぇや。
 それに可愛いだろうが格好いいだろうが、褒められてんのは同じだし?

「丸井センパイって、すっげーポジティブなんスね……」
「そぉかー?」

 どこら辺がポジティブなのかはわかんねぇけど、俺を見る赤也の表情が何か呆れてるっぽくて、無性にイラッとした。
 反射的に手が出掛かった寸前、遠慮がちなノック音が割って入る。

 意識がドアに向いた赤也の横顔に視線を固定させて、俺は「どぉぞー」ドアの向こうに声を掛けた。
 ノックと同じで遠慮がちな小さな音を立ててノブが回って、そこから徐々に、赤也の顔が驚愕に染まってく。

「あ……」

 同時に別方向から、こっちも驚愕に満ちてる掠れた声が上がった。
事件発生 005*110109