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** 柳蓮二 立海大は文武の両面においてその名が県内外に知られる有名校だ。中でも俺たちが所属するテニス部は十三年連続関東大会優勝の実績と共に、昨年は全国大会優勝を果たしたことで知名度が高い。 故に今回の暴力事件は話題性として申し分なく、既に決定している県大会出場辞退が確実の不祥事と言えた。 しかし、実際のところ俺たちテニス部には何の処分も下されなければ、事件は公になるどころか、校内で噂になることすらなかった。 ――― まるで、事件など最初から存在していないかのように。 事実、あの場に居合わせた俺たち五人は理事長から直々に、この件に関して一切他言しないよう固く言い伏せられた。反発は許されず、沈黙と引き換えに詳しい情報を得ようにも、理事長を含め教師陣は皆一様に口を閉ざして何も語ろうとはしない。 それはつまり、裏から何かしらの圧力が掛けられていると考えていいだろう。 東京の氷帝学園ほどではないが、立海大にも名だたる名士の子女が通っているため、考えられないことではなかった。 「あー、つまり? 柳は何が言いたいワケ?」 「裕福な家庭の者はテニス部にも数名いるが、いずれも立海大の理事会に教育委員会、テニス連盟の全てに顔が利くほどではない」 「ふぅん、……で?」 「テニス部の人間でも関係者でもなく、しかしテニス部のために動いたことから考えてテニス部の関係者と懇意にし、そして事件を知る者。これはほとんど俺の勘と言っていい推測だが、可能性として考えられる該当者は一人しかいない」 ――― 。 頭脳明晰。容姿端麗。進級してからは耳にする機会が減ったが、氷の薔薇と渾名される立海大の“顔”だ。 その知名度に反して彼女自身に関する情報は皆無に等しいが、洗練された立ち居振る舞いから、彼女が上流階級の人間であることは明白だった。 負傷していた赤也は兎も角、特に外傷が見受けられなかった彼女もまた、風邪という名目で欠席を続けて三日。 恐らくは教師陣以外で唯一事実を知る丸井を昼休みの屋上へと呼び出し、現状で知り得た限りの情報を基にした俺の見解を話して聞かせると、丸井は持参の弁当に加え購買で購入した菓子パンをゆっくりと咀嚼し、嚥下してから口を開いた。 「要するに、教師がダメならと仲が良い俺から情報聞き出そうってか?」 「ああ、そうだ」 即座に肯定すると、丸井は「即答かよ」と顔を顰めた。菓子パンに齧り付く動作が荒々しくなる。 不快感を露わにしたその姿に俺は焦りを覚えた。 彼女は精市と共に大変興味深い対象だが、簡単なパーソナルデータすら不明で、精市以上に謎に包まれた存在である。 そのため実の所精市より遥かに興味をそそられる彼女 ――― “”に関するデータを得るまたとない機会に、つい気が急いてしまった。これで唯一の情報源である丸井の機嫌を損ねては本末転倒だ。 言い改めようとして俺は口を開いたが、それよりも丸井が口を開く方が早かった。 「柳にはさ、がどういう人間に見えてんだ?」 「……どう、とは?」 己に素直過ぎるところのある丸井が、らしくもなく感情を押し殺した声で問う。 「頭が良くて美人で、だけど無愛想な奴? 高嶺の花? 氷の薔薇とか言うあだ名の通り、冷たい奴? ……それとも、ダチのためなら金や権力にモノ言わせるような奴か?」 言葉は問い掛けの形を取りながらも、答など初めから望んでいないのか、そもそも聞く気などなかったのか。丸井の声は冷ややかでもあった。 その声音は勿論だが、何よりも告げられた内容に、俺は一瞬言葉を失った。我に返るとすぐさま否定しようとして、けれど思い止まる。自分が何を否定しようとしたのか、否定できるというのか、わからなくなったからだ。 “”に関して何も知らず ――― いや、知らないからこそ、勝手な推測を語った自分。 我ながら理屈っぽく婉曲した言い回しではあったが、その内容は直接的な丸井の言葉に指摘された通り“”を辱めるものだった。丸井の怒りを買うのは当然であり、このようなことは決してあってはならない真似だ。 目先の欲求に目が眩み、そんなことにも気付けなかった自分が恥ずかしくなる。これは人として、人格の問題だ。 「のこと、柳は何を知ってるっつーんだよ。何も知らねぇだろぃ? 何も知んねぇのに、勝手な憶測でがどんな人間か決め付けて、自分の描いた人物像をに押し付けんな。――― は“”だ!」 力強い言葉だった。 そして何より悲痛に響く言葉だった。 「……すまなかった」 謝罪の言葉はするりと喉を出た。 弁当箱と箸を脇に置き、深々と頭を下げる。 「え? あっ、や、柳?」 「確かに俺は彼女について何も知らない。何も知らず、何も知らないからこそ知ろうとして、その結果彼女を蔑ろにした。本当にすまなかった」 「わ、わかった! わかったから顔上げろって!!」 肩を掴まれて土下座に近かった体勢を戻されると、眉を吊り上げた表情から一転、丸井の焦った顔と目が合う。 するとほっと息をついた丸井は意味のない母音を零しながら、半端に浮いていた腰を落ち着け、頭を掻いた。顔ごと目を逸らされる。 「俺こそ、ごめん。今のちょっと、八つ当たり入ってた」 「八つ当たり?」 「、今日で三日も学校休んでっから、クラスの奴にも似たようなこと訊かれたんだよ。そいつのこと好きなのがモロバレで、と仲良い俺のこと目の仇にしてるし、そのクセのこと教えろてしつこいし、もうサイアク。ちょーうぜーの」 その相手のことを思い出したのか、丸井は顔を顰めた。 「周りの奴らは無関心なフリして聞き耳立ててるし、普段はのこと遠巻きにしときながら、こういう時だけ首突っ込んできやがって。あー、まじで腹立つ。お前がのこと好きだから何だっつーの! と碌に話したこともねぇのに、何が好きだ。好きなら人の事情に土足で踏み込んでいいのか? いい訳ねぇだろぃ! テメェの一方的な感情をに押し付けやがって、ふざけんな!!」 恐らく独り言のつもりなのだろうが、内容が内容だけに、俺からしても耳が痛い。 すると丸井は突然口を噤み、一度は背けた顔を戻して真っ直ぐ俺を見つめて来た。居心地の悪さに今度は俺が目を逸らす。 「……柳のことだから、お前がのこと知りたいのって、データ? だかのためだろぃ?」 疑問符が付いているはずが、確定事項の確認のように聞こえるのは気のせいではないだろう。 一度怒りを買った直後のため肯定していいものか迷ったが、俺は結局頷いた。丸井が腹を立てる人物のように、俺も“”に恋心を抱く人間の一人だと誤解されたくはない。俺が彼女に抱くのは、飽く迄、興味対象に対する探究心だ。 「んじゃ、そんな柳に忠告だ」 「……何だ?」 「のことが知りたいんなら、第三者に訊くんじゃなくて、自分の目でがどんな奴か確かめろぃ。但し、俺にしたみたいに、データのためとか興味本位とかでに近付いて、の内側に踏み込むことだけはすんな。……を傷付ける奴は、相手が誰だろうとぶっ飛ばす!」 静かに、しかしその瞳には獰猛な光りを宿し、丸井は宣言した。 決して声高ではなかったが、感情の見えない声音がそれだけ丸井の意思を明確にしていた。 “”が丸井にとってそれだけ大切な存在なのだと痛いくらいに伝わり、俺はその宝を傷付けたのだと、改めて罪の重さを突き付けられる。これは忠告というより、恐らく脅迫に近いのだろう。 「ああ、わかった。肝に銘じておく」 「絶対だぞ。――― って、昼休みもう終わりじゃん! つか次移動だ!!」 昼休み終了五分前を伝える予鈴の音に、丸井は食べ掛けだった菓子パンを口の中に押し込むと立ち上がった。 もごもごとしか動かない口では何を言っているのか正確には聞き取れなかったが、多分先に行くとか、そんなことを言ったのだろう。慌ただしく屋上を飛び出した丸井を見送り、俺も食べ掛けの弁当を片付けて屋上を後にした。 次の授業の担当は、本鈴が鳴ってから職員室を出る時間にルーズな人のため、急ぐ必要はない。 それにしても、あの日以来気が立っている精市と愚直と言っていいほど頭が固い弦一郎に、今の話を一体どう聞かせたものか。俺が丸井を呼び出したと知り同行しようとした二人を説得し、一任してもらった手前語らない訳にはいかない。 だが結局、謎は謎のまま残ったばかりか新たな謎まで生み出したこの結果に、果たしてあの二人が納得するだろうか。 それを考えただけで頭が痛く、先が思いやられた。 事件発生 004*101227
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