** ジャッカル桑原


「柳! ジャッカル! 何をしている、休憩はもう終わりだぞ!!」

 話の途中で突然走り出した幸村に驚いてると、後ろから怒鳴り声に近い大声を掛けられて、俺はまた驚いた。
 振り返ると、いつもより眉間に皺が寄った真田がコートを出てこっちに向かってくるところで、俺は思わずおののいた。自分にも他人にも厳しい真田は、規律を乱す人間は年上だろうと容赦がない。ブン太の尻拭いで代わりに被害を受けることが多い身として、反射的に身体が強張る。

「ジャッカル」

 そしたら突然近くで声がして、今度は肩が跳ねた。
 見ればいつの間にか隣に来ていた柳が真田に視線を固定させたまま、更に言葉を続ける。

「今すぐ精市を追ってくれ。俺は弦一郎に事情を説明してから、すぐに後を追う」
「えっ? いや、でも……」
「お前の方が俺より足が速い。今から行けば精市に追い付くはずだ。それに ――― 嫌な予感がする」

 プレイスタイルみたいに理詰めで物を考える理論的な人間で、非科学的な事象や第六感なんてものは到底信じなさそうな柳が口にした意外な言葉に、俺は一瞬耳を疑った。だけど普段は何があっても冷静で涼しい顔をしてる柳が、今はその表情どころか雰囲気まで、いつもと違う。
 それが事態の深刻さを物語っている気がして、俺は冷たいものが背中を流れるのを感じた。
 じゃなくたって、ブン太のあの取り乱し方や、あのが言っていたらしい不穏な言葉。幸村が駆け出す直前にほんの一瞬だけ見せた動揺。どれも不安を煽る要素ばかりだ。俺だって、何かよくないことが起こっていることは本能的に感じてる。

 俺は一つ頷いて、ブン太と幸村が走って行った方向に駆け出した。
 後ろでさっき以上の真田の怒鳴り声がして一瞬足が止まり掛けたけど、ここは柳に任せよう。

 それからすぐ、幸村には追い付くことができた。
 だけど変な場所で立ち止まって、何故か中腰になってて。妙だと思いながらその背中に近付くと、幸村以外にもう一人、ブン太でもでもない人間がいることに気が付いた。だが丁度幸村の陰になって、それが誰かまではわからない。ただ様子がおかしい。
 ――― 直後に、俺はぎょっとした。幸村が突然、相手の胸倉を掴み上げたからだ。

「ま、待て! 幸村!!」

 慌てて加速して止めに入ると、幸村は普段の穏やかさからは想像もできない獰猛な獣のような目で、俺を睨み付けた。
 完全に蛇に睨まれた蛙の状態だ。足が竦んで幸村の腕を掴んだ手を離しそうになる。だけどそこをぐっと堪えて、俺は幸村を見返した。

「駄目だ、幸村。手を放せ。な?」
「こんな奴、ジャッカルが庇う価値はないよ。それより赤也はどこだ?」
「は? 赤也? 何で赤也の名前が……?」

 こんな奴、と言いながら外した幸村の視線を追った俺はそこで初めて、幸村に胸倉を掴み上げられている相手が誰かを認識した。――― って、テニス部の先輩じゃねぇか! しかも悪い意味で有名な!
 驚きから来る動揺とこの状況に対して混乱する俺を、幸村は無視することにしたらしい。掴んでる腕から、幸村の手に更に力が入ったのがわかった。

「う、らに、っ……き、きゅ、……しゃ、の……!」

 首を絞められて苦しそうにする先輩の様子に、俺は慌てて幸村を引き剥がそうとした。
 だけど俺が手を出すまでもなく、幸村は先輩が言葉を絞り出すとあっさり力を緩めた。どさっと地面に落ちた先輩は蒼白い顔で喉を押さえて荒く呼吸を繰り返し、心配して俺がしゃがむと上擦った悲鳴を上げて、転がるように立ち上がって逃げ出した。
 同時に幸村も先輩とは反対方向に駆け出して、俺は驚く間もなくその後を追った。

(ああ! 訳がわかんねぇ!!)

 幸村はブン太の後を追ってたはずだろ。そのブン太はを捜して走り出したのに、何で幸村は赤也を捜してんだ?
 大体、あの先輩にどうして赤也の居場所を訊いた? あの先輩、前に赤也にテニスでボロ負けしてから部活に来なくなった先輩だろ? そんな人間にどうして赤也の居場所を訊く? それに答えてた先輩も、どうして赤也の居場所を知ってる?
 次々浮かぶ疑問に俺はまた、背中に冷たいものを感じた。脳裏を掠める可能性は俺の思い違いだと思いたい。

 屋内競技の部活が練習をする体育館の騒がしさを横目に、幸村の後を追って行き着いた旧校舎の裏手は旧校舎自体が静かな場所だからか、そこに漂う空気も同じように静まり返っていた。すぐ横の塀の向こうが住宅街だっていうのもあるんだろう。
 しっかり整備が行き渡っているその場所に、不自然で一際目立つ赤色があった。

「丸井!!」
「! 幸村くん!? ジャッカルも、どうしてここが……」
「そんなことより、さんと赤也は!?」

 地面に膝を付くブン太の腕の中には、頬を濡らして目を閉じるの姿があった。
 更にそのの腕の中には見覚えのある癖毛が見えて、俺は息を呑んだ。ブン太から聞いたが言ってたらしい“男の子”と“怪我”の単語が脳裏を過ぎる。否定していた可能性が現実になって目の前に突き付けられた瞬間だった。

「ジャッカル! 精市!」
「なっ!? これは一体……!」

 直後に柳と真田も一緒に現れて、絶句する真田を置いて柳はブン太たちに駆け寄った。

「二人の容体は?」
はさっき、俺の顔見たら気ぃ失っちまって。怪我はねぇみたいだけど、赤也の方は……」
「では、下手に動かさない方が賢明だろう。丸井、携帯を借りるぞ」
「お、おう」
「ジャッカル。誰でもいい、このことを教師に伝えに行ってくれ」
「……あ、ああ。わかったっ」

 地面に転がってたブン太の携帯を拾い上げた柳の指示で我に返って、俺は来た道を急いで駆け戻った。
事件発生 003*100924