喜びと驚きが連続した始業式から、およそ二週間。
 登校からSHRまでの時間や、休み時間を教室で過ごすように ――― 過ごせるようになって、丸井くんが及ぼす影響力の凄さを改めて実感するようになってからも、およそ二週間。

(丸井くん、まだかな……?)

 黒板の上の壁に掛けられている時計に向けた視線を、そのまま教室の扉へ向けて、わたしは小さくため息を零した。
 俯いた視線が向かう机の上には、時間潰しにと思って予習をしていた数学の教科書とノートが広げられているけど、いつもなら十ページは優に終えているはずの時間が経っているにも関わらず、今はまだ二ページも進んでいない。
 同じように、確認する度に間隔の狭まっている時間の経過が途方もなく思えて、またため息が出る。

 時間潰しというより、本当は頭の中を何かで一杯にして、余計なことを考えないようにするために行っていた予習だったのだけど。
 わたしは再度零れたため息と一緒に、教科書とノートを閉じた。机でトンと叩いて角を揃えたその上に、筆記用具を仕舞った筆箱を乗せる。そしてまた時計を見たけれど、先程見た時からまだ五分も進んでいない。

(遅いな、丸井くん)

 だけど、今はもう、いつもなら教室に来ているはずの時間だ。
 実際、他のテニス部に所属している子は数分前にやって来て、もう席に着いているのに。

(……お休み、なのかな?)

 そんな不安と心配に駆られた時だった。
 何だか騒がしい廊下の方から、ほんの一瞬だけど丸井くんの声がした。
 扉の方に目を向ければ聞き覚えのある慌しい足音もして、その直後に、開きっ放しの扉から赤色が飛び込んでくる。

「セーフ!?」
「ギリギリだけどな」
「いやでも、マッツンより先に教室入ったのは事実だし!」

 それと同時に鐘が鳴り、丸井くんに続いて現れた担任の松平先生が、持っていた出席簿で軽くその頭を叩く。どうやら丸井くんは廊下で先生の姿を見て、慌てて教室に駆け込んだらしい。
 先生に追い立てられ、丸井くんはこちらに、わたしの隣にある自分の席へ小走りにやって来る。

「はよ、
「……お、おはよう、丸井くん」

 丸井くんはいつもよりずっとキラキラ輝いた満面の笑みを浮かべて、その両腕に零れんばかりに抱える大小様々な、色取り取りの袋や箱でラッピングされているプレゼントの山を机の上へ下ろした。
 その中で一つ目に付いた赤い包装紙の箱に挿し込まれたカードには、筆記体で書かれた『Happy Birthday!!』の文字が踊っていて、わたしはそこから目を離すことができなかった。

「あの、丸井くん。それって……」
「ん? ああ、これ? 俺さ、今日誕生日なんだよ。で、さっき朝練終わったら女子の先輩たちが「おめでとー!」つってくれてさ。どっから俺の誕生日知ったのかしんねぇけど、こんなにお菓子もらえんならいっかなーってカンジ? あーもーまじしあわせ!!」
「そ、そうなんだ……」

 そう言われると確かに甘い匂いがするから、プレゼントの中身は丸井くんが大好きなお菓子がほとんどなんだと思う。
 だから丸井くんが喜ぶのも嬉しそうにするのも、早速一つ開けて食べ始めようとしたのを先生に叱られて、没収の危機を回避するのに必死になるのも、当然で。だから、だから……。


「おい、?」
「――― えっ、……え?」

 目の前でひらひらと振られる手にはっとすると、眉尻を下げた気遣わしげな表情で覗き込む丸井くんと目が合い、「大丈夫か?」と声を掛けられる。
 更に前からも「? どうした?」と声を掛けられ、松平先生とは異なる声に驚けば、教壇には一時間目の数学を担当する先生が教科書を片手に立っていた。そして同時に、わたしに注がれている教室中の視線にも気が付く。

「あ、れ……?」
「おい、顔色悪ぃぞ。先生、のこと保健室連れてっていい?」
「ああ、頼んだ丸井。も具合が悪いなら無理するな」

 先生の了承を取りながら、丸井くんはわたしの腕を掴んで立ち上がり、強くはないのに有無を言わさない力でわたしを引き摺った。
 だけど顔色が悪いと言われても、わたしには身に覚えのない指摘だ。いつの間にかSHRが終わり、一時間目の授業が始まっていたことにも気付けないくらい、ぼうっとしてはいた、けど……。

「ま、丸井くん? わたしは別に、何ともないよ?」
「バカ、んな蒼白い顔で言われても説得力ねぇから」

 そんなに酷い顔をしているのか、保健室に着くと今度は南城先生に心配されてしまい、わたしは問答無用でベッドに押し込まれた。
 その際、保健室に置かれているキャスター付きの姿見に写ったわたしは確かに、周りが心配して当然の顔面蒼白だった。何だか二ヶ月前のバレンタインの時を髣髴とさせられるけれど、そんな悠長なことを言っていられないほどだ。これでは丸井くんの言う通り、全く説得力がない。

 促されるままブレザーを脱いでネクタイを外し、ベッドに横になる。
 だけどいくら顔色が悪いと言われ、鏡を見てその自覚があっても、わたし自身は至って健康なつもりだし、ベッドに入る前の検温の結果も平熱を示していた。それに目も頭もしっかり冴えていて、目を閉じても眠気が訪れる気配はない。
 それどころか突然生じた空白によって、今朝からずっと避けていた余計なことを考える暇というものが出来てしまい、寧ろ気分的に最悪だった。

 それでも一時間目、二時間目と時間は過ぎ、わたしは途中で居心地の悪くなったベッドを出た。そして南城先生が淹れてくださったお茶を飲みながら、二人きりで取り止めのない雑談をして迎えた、三時間目の休み時間終わり。
 これまでの休み時間、一度も見舞いに来ないのはどういうことだと言って憤慨し、わざわざ放送を掛けて丸井くんを呼び出そうとした南城先生を、わたしは断固として止めた。

 ――― だって、今日は丸井くんの誕生日、だから。

 ベッドの中でいろいろ考え込んでしまっていた時に気が付いたのだけど、そういえば今日の教室前の廊下には、先輩と思しき人から同じ学年と思しき人まで、沢山の女の子たちの姿があった。
 恐らく彼女たちも、丸井くんが言っていた朝の練習終わりにプレゼントをくれたという人たちと同じように、丸井くんに誕生日のプレゼントを渡したくて、丸井くんが来るのを待ち伏せていたのだと思う。
 或いは直接渡す勇気を持てず、丸井くんが来る前に、せめてプレゼントだけでも机に置いて行きたかったのかもしれない。
 尤もそれは、今朝も一番に登校して一度も席を立たなかった、隣の席のわたしという嫌われ者の存在に阻まれて、かなわなかっただろうけれど。

(だとしたら、わたしは教室にはいられない)

 わたしが教室に戻れば、彼女たちはまた遠巻きになる。
 でも、だからと言って完全に逃げ出すことも、わたしにはできなかった。

 早退を勧める南城先生の気遣いを折角だけれど断って、わたしはお昼休みになったばかりの外へ、保健室を後にした。
四月二十日 001*100831