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** 柳蓮二 データ収集を得意する俺にとって、人間観察は一種の習慣のようなものだ。興味対象ともなるとその関心は一層増し、それがなかなかデータを取らせてくれない相手となると、関心は更に増した。 故に、ある時流れた『幸村精市がに告白した』という噂は、俺にとって大変興味深いものだった。 幸村精市もも、俺が今最も関心を寄せる興味対象であり、どちらもなかなかデータを取らせてくれない存在だったからだ。興味が涌かないはずがない。 とはいえ、はじめから信じてはいなかった噂は、やはり事実から程遠い虚言だった。 これは当事者の一方である精市本人に確認したため間違いない。寧ろそんな噂が流れたことに、精市自身が一番驚いていた。 尚、精市は訳あってを呼び出しはしたそうだが、思慮深い精市が噂になる懸念を想定せずに大衆の面前でを呼び出したその訳や、彼女との話の内容など、詳しいことは上手くはぐらかされてしまったため、詳細は不明だ。 そしてそれは、この冬初めての雪の影響でコートが使えず、部活がミーティングのみに変更になった日の放課後だった。 俺と同じテニス部である弦一郎が所属しているB組のSHRは、十以上のクラスがある学年で取り分け長い。原因は担任教師の語り癖にあり、朝のSHRでは一時間目の授業担任が来るまで喋り続けていることがざらにあるほどだ。 授業中は固より帰りのSHRでも遺憾なく発揮されるこの癖により、B組の帰りのSHRは、この日も長引いていた。放課後には朝のような時間の制限は、下校時刻を知らせる鐘が鳴るまで設けられていないため、とても性質が悪い。 まだ終わらないのかと教室の壁に掛けられた時計を見つめるクラス中と同じように、俺もまた時計を半ば睨み付けていた。 「さん!」 その時だった。聞き知った声が、何とも興味深い名前を呼ぶ声が廊下から聞こえた。 俺は即座に反応し、時計に向けていた目を廊下側の窓に向ける。すると丁度、声の主である精市がB組の前を早足で通り過ぎるところだった。その横顔から窺えた眼差しから、精市の目には呼び掛けた彼女しか映っていないことがよくわかった。 それから間もなく、担任の話がどうにか終わりを見た。 学級委員の号令で挨拶が済むなり、俺はとうに用意を済ませていたテニスバッグを背負い、教室を飛び出した。 ――― 驚愕。その光景を目にした感想は、その一言に尽きた。 には、氷の薔薇と言う影で呼ばれる渾名がある。 それは彼女の呼吸を忘れるほど美しい花のような外見で、氷のように冷たく棘のように冷淡な態度であることに由来する通称であり、また常に能面のような無表情であるへの、揶揄に近い意味合いが込められて呼ばれているものだ。 しかし今、こちらに背を向けている精市と向かい合っているため、精市の後方にいる俺の位置からよく窺えるの表情は、能面からは程遠い。花に譬えられるその外見の通り、まるで蕾が綻ぶような美しい微笑を浮かべていた。 あまりの衝撃に俺は言葉を失い、息を呑んだ。各自部活へ向かう者たちが溢れている放課後の廊下には、皆が一様に受けた衝撃により、不自然な沈黙が降りていた。 「――― 精市」 はっと我に返った俺は、何故か急いた気持ちに押されて、思わず精市に呼び掛けていた。 振り返る精市の視線と共に、の視線が俺に移る。 俺が声を掛けたその瞬間に、の顔からは表情が一瞬で消え失せ、常ある能面へと戻っていた。つまりあの微笑は精市にだけ向けられ、精市だけが見られるものだということだ。 何故だ。不思議と心が波立つ。精市が羨ましいと思った。 「柳」 「そろそろ行かないと遅刻するぞ」 「ああ。そうだね、悪い」 取り繕うように口にした言葉に、精市は腕時計に落とした視線をに移した。 「それじゃあさん、また後で」 「……ええ、後程また」 一体何が「また」なのか。精市に訊ねたところで、それこそ「また」上手くはぐらかされるだけだろう。 ほんの一瞬俺の方に視線をくれた後、精市を真っ直ぐ見たは軽く頭を下げて、早足に立ち去った。 約束の日 002*091116
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