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「無理させてもうたみたいで、ほんまにすんません。よかったらこれ飲んでください」 そう言って目の前に差し出されたペットボトルにつられて顔を上げると、そこにはとても顔立ち整っている、ミルクティー色の髪の男の子がいた。 見知らぬ人だけど、聞き覚えのある声はわたしを助けてくれた人のもので、喉がカラカラに渇いていたわたしは有り難く、彼が差し出すスポーツ飲料を受け取った。 たった一口飲んだだけで喉が潤い、だいぶ落ち着くことができて、ようやく人心地着く。 隣に腰を下ろした彼に「落ち着きました?」と気遣われて、わたしは頷くことでこれに応えた。 「あ、お金……」 「ああ、ええですわ。気にせんといてください」 「ですが、見ず知らずの方に助けていただいたばかりか、奢っていただくなんて」 「俺も似たような経験あって放っとかれへんかっただけですから、そない気にせんでもええですって」 とは言われても、助けられるばかりではやはり申し訳が立たない。 同等かそれ以上の感謝を彼に返せればいいのだけれど、思えばわたしはいつも、周囲から沢山のいろいろなモノを与えられるばかりで、誰にも何ひとつ感謝を返せてはいないのだ。 だから彼に対する感謝の表し方もさっぱりわからなくて。あまりにも自分が不甲斐なかった。 「ほな、名前教えてもろてええですか? 俺は白石蔵ノ介言います」 「……え? あ、です」 「さん、ですか。――― ほなお互いに名前を知り合ったちゅうことで、見ず知らずやあらへんですよね? せやからどうか、大人しく奢られたってください。その方が俺も男が立つっちゅうもんやし」 そう言う彼は ――― 白石さんは悪戯っぽく笑った。 それは屁理屈という名の理屈であり、同時にこじつけだったけれど、わたしには到底思い付かない論法だったものだから、わたしは度肝を抜かれた。 見ず知らずだったわたしを助けてくれたばかりか、機転を利かせて気遣ってまでくれる。そんなどこまでも優しい白石さんに、わたしは更なる感謝の気持ちを抱いた。丸井くんとはまた別の意味で、この人には頭が上がらなくなる。 その時携帯電話のバイブレーション音がして、白石さんがズボンのポケットから携帯電話を取り出した。電話らしい。 わざわざ一言断ってから立ち上がった彼は少し離れたところで電話に出た。と、何を言っているかまでは音割れして聞き取れないけど、とても大きな声が白石さんの携帯から響いて、一旦携帯を耳から離した白石さんは「どアホ! それはこっちの台詞や!!」と電話の向こうに怒鳴り付けた。 さ、流石は関西弁……! わたしが怒鳴られた訳ではないのに、先程まで穏やかだった白石さんの印象をガラリと変えてしまう言葉の威力と迫力に驚いて、肩が跳ねた。ペットボトルを握り締めて思わず縮こまる。 その後は普通の声量でしばらく通話を続けた白石さんは、電話を切ると背中を向けていたこちらをくるりと振り返った。 それにまた、わたしの肩が跳ねる。 「? どないしました?」 「……い、いえ、その……、言葉が、すごい迫力だなぁ、と……」 「あー、すんません、驚かせてもうて」 「わ、わたしこそ、ごめんなさい。少しびっくりしただけですから、大丈夫です」 申し訳なさそうに眉を下げた白石さんにわたしは慌てた。 驚いたことは確かだけど、本当にただそれだけだ。白石さんが謝ることは何もない。 「ところで、白石さんは関西の方ですよね? 東京へは、やはり観光にいらしたのですか?」 「そんなところですわ。友達の従兄弟が東京におるちゅうんで、大阪から二人で来たんですけど……」 白石さんの話によると、白石さんのお友達とその従兄弟さんはお互いをライバル視する負けず嫌い同士で、些細な理由で始まった喧嘩の決着をお互いが得意とするテニスで着けてやると息巻いて、いきなり走り出したのだという。 結果、駿足自慢の白石さんのお友達とその彼に対抗意識を持つ従兄弟さんに、白石さんは置いてけぼりにされのだそうだ。 お陰でわたしは白石さんに助けられた訳だけど、白石さんのことを思うと、何ともコメントし難い災難である。 因みに先程の電話はそのお友達からで、白石さんもお友達も東京の地理には明るくないため、はぐれてしまった駅前で落ち合う約束をしたのだそうだ。 東京住まいの従兄弟さんは急用ができたとかで、白石さんのお友達を置いて行ってしまったらしい。 「ちゅう訳ですけど、さんはこの後どうされるんです?」 「わたしも駅に向かいます。実は先程も、駅に向かっていたところだったので」 「ほな、一緒に行きましょか」 「よろしいんですか?」 「さっきみたいなのにまた絡まれるかわかりませんし、駅までの道が不安なんで、寧ろ俺が一緒に行って欲しいくらいですわ」 正直、あの人たちにまた遭遇するかもしれないと不安だったわたしには、白石さんの申し出は大変有り難いものだった。 駅から歩いて十五分ほどのところにあるこの公園からの道案内という役目も承り、こんなこととはいえ、これが少しでも白石さんに感謝を表すことになればいいと思った。 道中、丸井くんと親しくなったことで浅からぬ縁を感じるテニスを、お友達とその従兄弟さんだけではなく白石さんもやっているのだと知り、それまで全く存在に気付いていなかった白石さんのテニスバッグに驚いたり、それを白石さんに笑われたりしながら、わたしたちは念のため先程とは別の道を通って駅を目指した。 それにしても、あの人たちが勤める出版社へ、渡された名刺を見て苦情の電話を入れた白石さんの行動力には驚かされた。 何でも白石さんも前にわたしと似たような事態に遭った際、後々になって大変な目に遭ったのだそうだ。そこからの教訓らしい。 「本当にいろいろと、ありがとうございました。一体どう感謝すればいいのか……」 「さんはほんまに謙虚ですね。そないに気にせんでええですのに」 「だって、本当に助かりましたから」 謙虚も何も、お友達を待たせているのだから見送りはいらないと言っているのに、笑って「あいつには反省が必要なんで構いませんて」なんて言って、改札口まで付き添ってくれている白石さんに、感謝しない方がどうかしている。 それにしても丁度いいタイミングで神奈川に向かう電車が出て幸いだった。 そうでもなければ、白石さんはきっと電車が来るまでお友達を放って、わたしに付き添っていたに違いない。 「それでは、また」 今日限りで終わらせるには惜しく、何よりまだまだ足りない感謝を返せるように再会を願い、わたしは深々と頭を下げた。 改札機を抜けた後、最後にもう一度振り返った先で白石さんはまだわたしを見送ってくれていて、小さく振られたその手に、わたしはだらしなく口許を綻ばせて手を振り返した。 間幕 − 春休み − 東京にて 002*091220
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