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それは所用で朝から訪れていた、東京の中心部からの帰り道での出来事。 丁度お昼時で、昼食をどうしようか考えながら、一先ず駅に向かって歩いた時。交差点で信号待ちをしていたところ、不意に肩を叩かれたことがきっかけだった。 「今少しお時間よろしいですか?」 振り返ったところにいたのは、見知らぬ男女二人だった。男性の方は首に高そうなカメラを提げている。 だけどよろしいも何も、呼び止められる理由に一切思い当たることがないわたしは戸惑い、反応が遅れた。その隙に「私たちはこう言う者です」と差し出された物を反射的に受け取ってしまう。 手渡されたのは名刺で、何となく聞き覚えがある出版社の名前とわたしですら知っている女性向けファッション雑誌の名前、そして女性の名前が書かれていた。女性に続いて男性からも名刺を差し出されて、わたしはこれも反射的に受け取った。 そして極自然な動作で、わたしは信号が青に変わった交差点を行き交う人たちの邪魔にならない、道の端へと誘導された。 (あ、あれ? わたし、いいなんて一言も言ってないよね……?) 「実は今雑誌の取材をしていまして、街で見かけたお洒落な女性にお話を伺っているんです」 「は、はあ……」 「それにしてもお綺麗ですし、お洒落ですね。服はどちらのブランドですか?」 早口に捲くし立てるように質問されて、勢いに気圧されたわたしは、やはり反射的に答えていた。 するとファッション雑誌の編集員なだけにやはりそういう知識に明るいのか、女性は納得したように頷く。 「今若い人たちの間で人気急上昇中のブランドですね。因みに今日のファッションのポイントはどこです?」 「え、えと、チュニックです。桜の季節なので、ピンク色を……」 実際は咄嗟に思い浮かんだこじつけだった。 本当の理由は至ってシンプルであり、何とも照れ臭いものである。だから恥ずかしくてとても口にはできなかった。 そもそも流行を全く知らないわたしはお洒落でも何でもない。わたしはただ手持ちの中からその日の気候に合ったものを選んでいるだけで、お洒落なのは寧ろ、そんなわたしの手持ちを増やす贈り主の方だ。 だけどそんな事情を知る由もない女性は「とてもよくお似合いですよ」何とも見え透いた社交辞令を口にした。 それから十回以上、質問をされては気圧されて答えることを繰り返し、女性は最後に、写真を何枚か撮らせて欲しいと言った。――― 負った精神的な疲労を、わたしは一瞬で忘れた。 「こ、困ります!」 「一枚だけでいいのでお願いします! 大丈夫、彼プロに弟子入りした経験があって腕は確かですから!」 「そういう問題ではなくて……。そもそもわたしは、取材を受けるなんて一言も」 「取り敢えず背景はこっちにして、ポーズはどうします? 私的に斜めからのカットがいいと思うんですけど」 「ですから……!」 明らかに意図的に、わたしの言葉を無視する女性は完全に写真を撮るつもりで、カメラマンの男性と相談を始めてしまった。この様子では一枚どころか何枚も撮られることになるのは明々白々だった。何とも人権、並びに肖像権の侵害甚だしい行為だ。それがいくら仕事でも、大人なら分別ある行動をして欲しい。 第一、わたしよりお洒落な人なんて五万といるはずだ。嫌がるわたしではなく、そういった他の協力的な人にこそ、取材というものは行うべきなのではないのか。 このままではいくら嫌がっても撮影が敢行されると見たわたしは、逃げるのが得策と判断した。 だけど当初の目的地である駅に行くための信号は、運悪くたった今、赤に変わったところだ。体力がないわたしに逃げ切れるかはわからないけど、これは覚悟を決めて逆方向に走るしかない。 (こんなことになるなら、遠慮せずに車で送ってもらえばよかった……) だけど今更後悔しても遅い。 二人の様子を窺いながら、わたしは右足を半歩、後ろに引いた。――― それを見咎めたかのようなタイミングで、二人が振り返る。どうやら話し合いが決着してしまったらしい。 「それじゃあ背景はこっちでポーズは」 「ちょ、ちょっと待ってください!」 最初の誘導とは違い、逃がさないとでも言うように腕を掴まれ、あちらが思うような位置に据えられそうになったわたしは、勿論その強行に抵抗した。 「は、放して ―――」 「自分ら、何さらしとんねん」 しかし体力がないわたしが堪えていられるのにも限界があり、その限界が呆気なく訪れようとした、まさにその時だった。 わたしの背後から突然にゅっと、細いけれど逞しい腕が伸びて、わたしの右腕を掴む女性の手を上から掴んだ。そして乱暴ではないけれど強い力で女性の手を解き、わたしの腕を解放してくれる。 それと同時に左肩を掴まれて後ろに引っ張られた。いや、引き寄せられたと言った方が正しい。背中が、暖かくて固いのに、同時に柔らかくもある何かに ――― 人の身体にぶつかるように寄り掛かる。 「で? 嫌がる人の彼女捕まえて、一体何しとんねん」 耳元で聞こえる声は耳慣れない関西訛りで、当然、全く聞き覚えのない声だった。そんな人の彼女なんて地位に就いた覚え、わたしには全くない。 咄嗟に否定の言葉が出ようとして、だけど相変わらず肩に置かれている手がそれを制するようにほんの少し力を強めたから、わたしは出掛かった言葉を飲み込んで、口を噤んだ。 音量を下げた声が耳元で「話合わせてや」と囁く。 (もしかしてこの人、わたしを助けようとしてくれてる……?) この闖入は成功したのか、だけど二人が怯んだのは一瞬だけで、特に女性の方は持ち直すのが早かった。 女性は先程より表情も瞳も輝かせ、状況は寧ろ、悪化しているように思われる。 「わあ、格好良い彼氏さんですね! ――― そうだっ、折角ですから彼氏さんも一緒に撮りましょうか!」 「撮るて、自分ら記者か何かなん?」 「あ、申し遅れました。私たちこういう者です」 わたしの時と同様に差し出された二人の名刺を受け取った彼の反応は、だけど、実に気のないものだった。 後ろにいる彼の顔をわたしには見ることができないけど、今彼がどんな表情をしているのかは、想像に難くなかった。それは女性編集員が焦りを見せていることからも明白だ。 「せやかて自分、写真撮られるの嫌なんやろ?」 「――― は、はい!」 「俺も可愛い彼女が不特定多数の人の目に晒されるなんちゅう話、想像しただけで嫉妬して気が狂いそうや」 肩の手にまた力が入り、反射的にわたしは大きく同意した。恥ずかしい台詞がさらりと返される。 「ほな、そういう訳で失礼しますわ」 「――― !!?」 そして言い終わるのが早いか、背後の彼はわたしの腕を掴んで勢いよく駆け出した。驚き呼び止める声が背中に掛かったけど、わたしを引き摺る彼はお構いなしだ。 信号が変わる寸前の横断歩道を渡り、速度を落とすことなく軽やかに人ごみを縫い、走り続ける。そうして一体どれくら走ったのか、彼がようやく足を止めた時、わたしの体力はとうに限界を越えていた。 立ち止まってすぐ、 「だ、大丈夫ですか?」 「ッ……は、……な、とか……」 「いや全然大丈夫やないですやん!」 流石は関西人といったところか、すぐさまツッコミを入れられる。 ボケたつもりはないのだけど……。 彼にほとんど抱えられた状態で運ばれたベンチに腰を下ろして、わたしは必死に呼吸を整えようとした。 息を吸って、吐いて、また吸って。 しかしなかなか整わない呼吸に、自分の体力のなさを恨めしく思ったことは、今日ほどなかった。 間幕 − 春休み − 東京にて 001*091220
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