それは深夜。暦の上では未だ秋でも、日没後の冷え込みが冬の到来を間近に痛感させる日の、人通りがない公園での出来事だった。


「ちょっと、そこ行く少年」


 世間一般では未成年者が出歩くには相応しくないこの時間帯。けれども掛け値無しの不良として隣町にまで悪名が轟き、事実それ相応の悪事を働いてきた浦飯幽助には、そんな一般論など関係ない。
 煙草を吹かしながらの帰路の途中、自宅への近道にこの公園を横切っていた幽助は、不意に掛けられた女の声に足を止めた。
 声の主を探して辺りを見回す幽助の動きに合わせて、紫煙が揺れる。

 だがいくら目を凝らしても、薄明るい外灯が頼りない公園には幽助以外の人の姿が見当たらなかった。気配もない。空耳にしてははっきり聞こえた声だったが、気のせいだろうか。
 首を傾げた幽助だったが、その時吹き抜けた木枯らしに、疑問は攫われた。
 勘違いならばこんな寒い場所に長居は無用だと、帰宅を急ぐべく歩き出そうとする。


「折角立ち止まったのに行くな、少年」


 しかしまた、呼び止める声が聞こえた。
 今度は声の元がどこか特定できて、幽助は振り返る。

 近くはないが遠くもない。けれど通常であれば気配に気付かないばずがない距離を開け、その女はいた。
 灯りよりも夜の闇が強く、色彩まではわからない髪の長さは肩に付くか付かないか。Tシャツ一枚にジーンズの寒々しい格好をしている。年齢は二十歳前、幽助より最低でも三つは年上に見えた。薄着であるが故に露わになっている曲線は華奢な体格ながら豊かで、暴漢には恰好の的といえる。遭遇すれば一溜まりもないだろう。

「少年、これに火くれる?」
「……は?」

 すると女はゆったりとした足取りで幽助に近付き、片手を突き出す。外灯に照らし出されたそれは、誕生日ケーキに付いてくるカラフルな蝋燭だった。
 突然のことに呆気に取られた幽助は若干気圧され、女に言われるがままにライターを取り出す。二重の瞳は蝋燭の炎を映したにしては赤味が強いような気がした。

「ん、ありがとう。お礼に少年には線香花火十本一束を進呈しましょう」
「……は? 線香花火?」
「ロケット花火三本の方がいい?」

 いや、そういう問題じゃねーだろ。
 断る幽助に「気前がいいね少年」と見当違いなことを言い、女は背中を向けた。
 ゆったりとした足取りで向かう先のベンチには、女の物と思われる荷物があった。バケツと、先の言葉から察するに花火が入っているのであろう袋だ。

 女は袋を漁ると一本の手持ち花火を取り出し、先端を蝋燭の火に向けた。サアアアと花火は鮮やかな火を散らす。
 十秒ほどで燃え尽きると、女は残った持ち手部分の棒をバケツに放り、新たな一本を取り出す。そして蝋燭から点火し、今と同じことを繰り返した。

 二本目が終わったところで、女は未だ立ち尽くす幽助に取り出したばかりの一本を差し出した。

「少年もやる?」
「……いや、いい」
「そう?」

 それは残念。
 なんて、本音か怪しいことを呟き、女は花火を続けた。

 その光景をしばらく見ていた幽助は徐に移動し、女が荷物を置くベンチの空きスペースに腰を下ろした。
 煙草の灰が地面に落ちる。女は何も言わなかった。

「……なあ、何で今の時季に花火なんかやってんだ? 花火っつったら夏だろ」
「夏の海でおでんを食べ、冬に炬燵でアイスを食べるのと同じ心理」
「何だそりゃ?」
「やりたくなったから、ってコト」

 わかるようなわからないような、微妙なところだ。
 明らかに面倒臭がった話の纏め方に幽助は眉を寄せたが、追及しようとは思わなかった。終わりかけた蝋燭から新しい蝋燭に火を移し、花火を続ける女の背中をぼんやりと見つめて煙草を吹かす。

 ……自分は何をしているんだろう。
 ふと、そんなことを思った。

 偶然この場を通り掛かっただけの自分には、この女にわざわざ付き合う義理も責任もない。
 仮にこの女が何かの犯罪に巻き込まれても、それはこんな時間帯にこんな場所で無防備を晒した女の落ち度だ。こんな寒空の下、そんな見ず知らずの女に付き合う理由など幽助にはない。しかし、幽助はこの場を立ち去ろうとはしなかったし、思いもしなかった。
 とても楽しんでいるようには見えない、坦々とした動作を繰り返す女の姿をぼんやりと見つめる。

 そうしている内に銜えていた煙草を一本吸い終わり、踏み消すのが面倒でバケツに放った。ジュッと火が消える。
 幽助はズボンのポケットに手を突っ込んで縮こまった。ぶるっと身体が震える。

「……なあ、そんな薄着で寒くないのか?」
「少年は寒いの?」
「ああ、さみぃ……」
「……。なら有り難みに欠ける優しさの進呈。ちなみに拒否権なしの返品不可」
「は? ――― どわっ!!?」

 その時、新しく花火を取りに戻った女の視覚的に何とも寒々しい服装が目に止まり、幽助は何の気なしに問い掛けた。
 すると女は肯定も否定もせずに同じ問いを返し、肯定した幽助をほんの数秒見つめたかと思えば袋を漁り、取り出した新しい花火に火を点けた。そしてポイッと、幽助に向かい放り投げる。花火は大きく開いた幽助の足の間に落ち ――― 炸裂した。

 慌てて立ち上がった幽助に女は第二弾を放り、それを躱せば躱した先を先読みして次々と新しいものを投げてくる。
 まるで意思を持つかのように幽助を追い回すネズミ花火の群れから、幽助は必死に逃げ回った。
 一方で、女は先程とは一転して喜色満面の笑みを浮かべている。表情の通り実に楽しげだが、やっていることは大分えげつない。

「テメッ、何しやがる!!?」
「有り難みに欠ける優しさの進呈」
「そーじゃねー!!!」
「温まるには身体を動かすのが手っ取り早いでしょ? ほら少年、これが最後だ」

 そう言って女が取り出したものに、幽助の顔は引き攣った。
 いつの間に用意したのか、空き缶に刺さるそれは、そう。ロケット花火。

「ばっ、それは ―――」
「点火」

 無情な声はあっさりと告げられた。

 ピュウッと音を上げ、ロケット花火は幽助に向かって飛んだ。速い。それに軌道がぶれて動きが読み難い。
 だが幽助はこれを紙一重で躱す。しかし安心するのはまだ早かった。

「どんどん行くよー」
「ッ、ざけんなアアア!!!」

 ネズミ花火と同様に先読みがされたロケット花火の第二弾を躱す術は、流石の浦飯幽助も持ち得なかった。
 人通りがない夜の公園に男の悲鳴と、女の笑い声が響く。


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