もうだめじゃ。おわった。なにもかもおわりじゃ。
 一体何が、この片想いがバレんように、じゃ。今となってはちゃんちゃらおかしい。自分自身の愚かさに涙も出ない。いっそ嗤えてきよる。

 委員長のあの顔は間違いなく、俺の気持ちがモロバレしとった。
 つまり委員長は俺がさんのことを好きじゃと気付いとって、その上で、俺とさんが隣の席になるように細工したんじゃ。間違いなか。俺の時とさんの時とでクジを引いた手が逆じゃったから、恐らく左右の袖に同じ番号のクジを隠し持っとったに決まっちょる。そしてそこに、俺の恋心を応援するっちゅー気持ちがあるとは到底思えん。
 何故なら、この前見たあのあくどい笑みにそんな親切心は微塵も感じられんかったからじゃ。あれは寧ろ、これをネタに弄り倒してやろうっちゅー意地の悪さしかなか。

(さよならナリ、俺の初恋……)

 そう落ち込む俺の肩を不意に、遠慮がちな指先が叩いた。
 じゃけぇ、傷心中の俺にはそんなんに構う余裕なんかなか。無視しとると、今度は「おい、仁王」と呼び掛け付きでまた、少し強めに肩を叩かれる。渋々と顔を上げれば、同級である以外特に接点のない男子が困ったように苦笑を浮かべてすぐ脇に立っちょった。

「……何じゃ」
「何って席替えだよ、席替え。発表聞いてなかったのか? お前の席、今度は窓側の最後尾だってさ」

 ほんまは腕を盾にして突っ伏しちょっただけの俺の体勢から、結果発表を聞かずに寝とったと思ったんじゃろう。
 ご丁寧に俺の新しい席を教えてくれたクラスメートは「特等席だな」と単純に一般的な意見としてコメントしたんじゃろうが、俺からすればそれ以上の苦行を強いられる場所じゃ。善くも悪くも。

 言うても、いつの間にか大移動が始まって、新しくこの席になったんじゃろう奴が目の前におっては、いつまでもここに留まっちょる訳にもいかん。
 何より変に渋って、さんに自分の隣を嫌がっちょるんだとか、ありもせん誤解をされるのは絶対に御免じゃ。

 ほんまは持ち上げる気力もない机を、さんに無精な人間と思われたくない一心だけで持ち上げる。
 知らん間に担任が消えちょる教室は朝のSHRと一時間目の間にある短い休み時間に入っとって、とっくに移動を完了させたクラスメートたちが思い思いに過ごし、新しい席順に騒いどる。
 その賑やかさの後ろをのそのそ移動しながらふと顔を上げれば、進行方向 ――― 窓側最後尾の場所で、今まで散々見てきた後ろ姿やなく真っ直ぐこっちを、俺を、俺だけを見とるさんと、目が合うた。

「――― !!」

 瞬間、体温が急上昇する。
 血が沸騰したみたいに全身が熱くて、心臓が疾走する。

 思わず手放しそうになった机を、歓喜からかそれとも動揺からか、自分でもようわからんがとにかく叫び出したくなる衝動を抑え込んだ力で、どうにか持ち堪える。
 そして思わずすぐに目を逸らした挙句に俯いてもうて、ともすれば拒絶かその類いに見えんこともない反応をしてもうた自分に、最早絶望しかできん。途端にますます足が重たくなる。客観的に見るまでもなくぎこちなくなった足取りで、どうにかこうにか目的地にたどり着く。

「えっと……仁王、くん?」

 躊躇いがちに名前を呼ばれて、ますます心臓が跳ねる。
 雅治っちゅー俺個人やなく、いろんな奴に呼ばれちょる俺の身内全員に該当する呼称なんに、さんが口にしただけでそれが特別なもんに思えた。
 じゃけぇ、上手いこと反応ができん。何しろ遠目に見つめとった期間は長くとも、実はこれが初めてになる接触なんじゃ。
 いつかは「おはよう」ぐらいの言葉を掛けたい思っとっても、いざとなると後込みして事を先延ばしにしとった身には、あまりに展開が急過ぎる。そもそも「おはよう」の一言に後込みしちょる人間に、それ以上の言葉が必要になる“会話”なんて行為はハードルが高過ぎじゃ。

 結果、黙り込んでしもうた俺に、さんも戸惑った様子で黙り込む。
 もうこれ、さんの俺に対する印象は最悪で決定じゃ。二重の意味でおわった。

ー、を無視する仁王なんかの意見なんてどうでもいいじゃん」

 と、そこに俺の緊張も絶望も無視しくさった暢気な声が割り入る。
 はっとしてそちらを見れば、窓側から二列目の最後尾から二番目。つまり俺とさんの席の前列に、この現状を招いた原因の委員長が座っとった。

 ……だめじゃ。ほんまに、ほんまにおわった。挽回の余地すらなか。

「こら、“なんか”なんて仁王くんに失礼でしょう」
「だってのこと無視するなんて許せないし」
「気持ちは嬉しいけど、それでも仁王くんに失礼だよ。それに仁王くんは無視したんじゃなくて、わたしが誰かわからなくて驚いちゃっただけだって。ほら、わたしって地味だから」

 ところが、委員長の言葉に反論の余地もない俺を、俺への印象が最悪じゃろうさんが擁護してくれた。
 けど、ほんまは一年の頃、もっと言えば立海に入学したその日からさんの存在を知り、約半年後にやっと名前を知れた俺からすれば、ちぃと斜めなフォローじゃ。さんが俺の気持ちを知らんのじゃから仕方ないが、何とも複雑な心境ナリ。
 じゃけぇ、嬉しいのは確かじゃ。
 本人にその気がなくても、他でもないさんが与えてくれたチャンスやし。ここはいざという時に散々後込みしてきたヘタレな俺を払拭し、男を見せる時じゃ、仁王雅治!

さん」

 初めて口にした音は、意気込みに反して若干震えとった。ダサ。
 が、反省会は後じゃ。

 自分の発言通り、まさか俺が自分を知っとるとは思ってなかったんじゃろう。
 さっきは逸らしてもうた視線を今度は俺から合わせて、驚いた顔をしとるさんと真っ直ぐ向き合う。

 確かにさんには、委員長を始めとした女子のイマドキらしい派手さはない。対極とも言える委員長と並べば地味に映ってしまうかもしれん。
 だが、近眼レンズを通しても充分大きい二重の瞳も、天使の輪が出来る艶やかな黒髪も、ルージュを差しちょる訳でもないのに桜色をしとる唇も。とにかくさんを形作るすべてには、イマドキの派手さと比較するのが失礼なほどの華やかさがある。惚れた欲目を抜きにしても、ミス立海なんかヘでもない次元で綺麗やし。それに性格もメチャクチャええときちょる。
 なのにさんの存在は噂になることがないし、そもそも男子の中での認識がゼロと言ってええ。
 まあさんに恋しとる俺からすれば、恋敵がいなくてええんじゃけど。

「さっきは無視する形になってすまんかった。ちょっと寝不足での、ぼうっとしとったナリ」
「……そっか。あまり無理しないでね」
「ん、ありがとさん」

 さんに細やかとはいえ嘘をつくのは心苦しいが、どうか許して欲しい。印象最悪だけは勘弁なんじゃ。

「ところで仁王くん。座席なんだけどね、男女で左右どちらにどっちが座るかはペアで決めていいらしいんだけど、仁王くんはどっちがいい?」

 細工があったとは言え、同じ番号同士が組になっちょるんだから間違いはないが、さんの「ペア」発言にまた、簡単に体温が上がる。
 へ、平常心じゃ、平常心。ここで声が裏返りでもしたら、ダサい以上に恰好がつかん。

「お、俺は窓側でいいぜよ。さんも、親友と斜めより前後の席のがええじゃろ」
「! あ、ありがとう!」
「やったね、。流石は仁王じゃん、優しい〜!」

 さっきは人のことを“なんか”言うてたクセに。調子のええ委員長じゃ。

 陽射しが苦手な俺には、窓際の席は正直、特等席でも何でもないんじゃが。さんのためなら堪えてみせるけぇ。
 どうやら俺の意見を聞くまで待ってくれてたらしいさんが、委員長の後ろにちゃんと机を移動させて着席するのを見届けてから、俺も位置に着いて着席する。

(や、やり遂げたナリ……!)

 途端、肩から力が抜けた。が、さんにだらしないところは見せられんから、傍目にはいつも通りの俺を保つ。
 ちゅーか、さんが隣の席におるだけでも心臓がバクバクやのに。姿を見られる以上に稀少な声が耳を澄ませるまでもなく聞こえるって。幸せ過ぎて逆に辛い。俺の心臓、大丈夫じゃろか。

「仁王くん」

 思った矢先、殺されるかと思った。

 さっきも何度か呼ばれたが、今度は不意打ちで名前を呼ばれたもんじゃから、心臓の飛び跳ね具合が半端じゃなか。
 隠す間もなく身体も跳ねて、情けないことに「あ、驚かせてごめんね」とさんにいらん謝罪をさせてしもうた。ほんまにダサッ!

「ヘーキ、じゃ。それよりどうしたん?」

 それでも“コート上の詐欺師”の名にかけて、これ以上の失態は犯さん。……内心バックバクじゃけど。
 じゃがさんの前では見る影もなくなるそんな矜持は、問い掛けた俺に、うっすらと頬を染めたさんがはにかむように微笑んで見せた瞬間、物の見事に見る影どころか形も残さんで吹っ飛んだ。

「これからよろしくね、お隣さん?」


 ……。



 …………。



 ……、…………か、かわいすぎるじゃろおおおおおおおおおおおおおおっ!!!


 正に天にも昇る気持ちじゃった。
 体裁を忘れて身悶えし掛けたその時に、それこそすっかり存在を忘れ去っとった委員長のあくどい笑みが視界に入り込むまでは。


 ………………おわった。


003*121104