「ー」 休み時間の騒がしい教室で、じゃけぇ俺はその声を聞き逃さんかった。 いや正確には、声に呼ばれとった名前の方をじゃ。思わず名前の相手 ――― 廊下側最後尾の席の俺とは対角に位置する、窓側最前列の席で読書に耽る女子生徒の方に目を向けた。同じ教室内やのに、まるで目には見えない境界線が引かれてとるみたいにそこだけが切り取られて、穏やかで静かな時間が流れちょるのが目に見える一角じゃ。 そして本から顔を上げて、自分を呼んだ友人がやって来るのを迎え入れる。その横顔を見つめた。 耳の後ろで結わえて前に流しとる艶やかな髪に輝く天使の輪が、友人の話に相槌して頭が動く度にますます輝く。 髪と同じ黒色の、眼鏡のレンズ越しに見ても大きな二重の瞳が細められて、瑞々しい桜色の唇と一緒に笑みを形作る。 釣られて俺も、頬杖する手に隠した口許が緩んだ。 ――― 彼女の名前は。 俺が、かれこれ三年目に突入する片想いをしとる子じゃ。 (やっぱりクラスが同じっちゅーんはええのぅ) 去年も一昨年もクラスが違うどころか教室まで離れとって、日に一度姿を見られればいい方じゃったんだが。 三年目の今年は学校に来さえすれば無条件で、よっぽどのことがない限り毎日その姿を見られるし、いろんな表情も見られる。おまけに運がよければ声を聞く機会もあって、まさに最高じゃ。 これでこそ、今年の初詣で奮発した甲斐があったってもんじゃ。 「ちょっとにおー、あたしの話ちゃんと聞いてる?」 が、そんな幸福感は目の前に割り込んだ人間の身体で視界ごと遮られた。反射的に思わず、邪魔者を睨み付ける。 相手は生徒数もクラス数も多い立海大では珍しく、一年の頃から同じクラスの女子じゃった。 ちゅーても、名前は把握しとらん。ちょくちょく話し掛けられるんで顔だけは憶えた、単なるクラスメートじゃ。 「聞いとらん。そもそもお前さんの話なんかどうでもよか」 「なっ、ヒドッ! どうでもいいってどういうことよ!?」 「言葉通りの意味じゃ。あと、人の名前を気の抜けた呼び方するんは止めんしゃい」 ちゅーか、三年目にしてようやく噛み締めちょる人の幸福タイムを邪魔するんじゃなか。 そんな言葉は胸中に留めるも、邪魔された折角の幸せが偉大やった分その恨みは大きい。邪険にする気持ちを態度と語調へあからさまに込めて、虫でも追い払うようにしっしっと手を振る。 が、相手は引き下がるどころか、丁度留守になっちょる俺の前の席を借りて居座りの態勢に入った。 ……面倒臭い展開になったナリ。 「えー? におーって呼び方、可愛くない?」 「ない」 「うわっ、即答された上に単語でバッサリって。あたしカワイソー! におーが冷たーい!」 「……」 「無言は止めてよ。あたしまじでカワイソーな人じゃん」 んなこと知るか。そもそも話し掛けてくんな。話がしたいなら俺以外の奴のところに行け。 俺は自分の幸福を邪魔されて許せるほど寛容な人間じゃなければ、おまんに優しくしてやる義理なんてもんも持っとらん。――― たとえお前さんが俺に気があると知っとっても、な。 じゃって俺、さんちゅー好きな人がおるし。片想い歴三年目を舐めるんじゃなか。 まあ好意を寄せる相手に対して、積極的に行動する理由や気持ちはわからんでもない。好きな人を遠目に見つめることしかできん俺からすれば、こいつの行動力は尊敬に値するもんじゃ。 じゃけぇ、相手の都合を無視して絡んでくるほどの積極性はいただけん。 俺はもともと他人に対して壁を作るタイプの人間じゃし、自分が認めた人間以外に気安くされるのを好まん性格じゃ。つまり顔しかわからんこいつの、何かにつけて馴れ馴れしく話し掛けて来るところも、本人が嫌がっちょる呼び方を悪びれもせずに続けとるところも、不快にしか思えん。 特に今回は、一時の幸福タイムを邪魔されたのもあって余計にじゃ。 (さて、どうやってこいつを追い返したもんかのぅ……) そう思考を働かせた時、天の助けとばかりにチャイムが鳴った。これ幸いと席の持ち主が座れんじゃろうとそれらしい理由で奴を自分の席に戻らせ、さんの方に目をやる。 じゃけぇ、とうに友人が去って横を向く必要がなくなったさんは、授業が始まるっちゅーのもあって前を向いとったから、もうその横顔は見られんようになっとった。 おまけに俺とさんの間にある席の人間が次々着席して壁になって、最早姿自体がよう見えん。 (今はもう諦めるしかなさそうやの。……ん?) 仕方なく視線を戻そうとした時、壁になっちょる人間の一人と不意に目が合った。派手な外見の割には意外に真面目なんか、このクラスの学級委員を務めとる女子とじゃ。 そして委員長は俺と目が合ったことに気が付くと、ニヤリと不敵に笑った。 ……詐欺師とか呼ばれちょる俺が言えた義理やないけど、何ちゅーあくどい笑い方じゃ。多分に感じる含みがまた悪っぽいナリ。 だけど何で委員長がそんな笑みを向けて来たんか、始業の挨拶をしながら、俺は内心首を傾げた。 001*110611
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