** 幸村精市 「じゃあ、今日のミーティングはここまで。みんな、気を付けて帰れよ」 解散の合図をした部長がまず部室を出て行くと、先輩たちは下校する様子を見せずに、そのまま居座りの姿勢を見せて雑談を始めた。話の内容に興味はないけど、どうせ寄り道の相談でもしているんだろう。 今年の夏に引き続き、来年もまた全国大会優勝を狙っている俺たちテニス部は土日も練習に明け暮れる毎日だから、普段は帰りが遅くなってできない寄り道をできる今日みたいな機会に、浮き足立つのは当然だった。 何せものは違えど、俺だって浮き足立っている人間の一人だ。 俺は先輩たちに挨拶をすると、慣れたテニスバッグの重みを背負い、同じ一年生ながら共にレギュラー入りを果たしている真田と柳を振り返った。 「じゃあ、今日はお先に」 「ああ」 「む、幸村は今日は自主練をして行かんのか?」 こういうコートが使えない時は、いつもなら真田や柳、それに他の同じ一年のみんなと残って筋トレとか室内で可能な限りの自主練を行っているから、それをせずに出て行こうとしている俺を、真田が疑問に思うのは当然だった。 柳はさっき、その現場にいたから詳しいことは知らなくても、俺が帰ろうとしている大方の理由を予測できているんだろう。真田のように不思議がってはいなかったけど、興味深そうにしている様子ではあった。 「人と会う約束があるんだ、今日は止めておくよ」 「そうか、それは引き止めて悪かった」 真田が尊敬しているというお祖父さんが厳格な人だからだろう。小学生の頃に通っていたテニススクールで知り合った時から、年齢に不相応なお堅いところのある真田の大袈裟な謝罪に俺は苦笑した。そして部室のドアを開ける。 「――― 部長?」 ところが外開きの扉を開けたすぐそこ、扉を開け切るのを塞ぐような位置に、ミーティングが終わってすぐに出て行ったはずの部長の姿があった。 あれから五分も経っていないけど、真っ先に退室した部長が、未だこんなところに立っているのは明らかに不自然だ。というか部長が邪魔で、身体が出るだけの隙間は開くけどテニスバッグが引っ掛かって、部室から出られない。 後ろで残っている先輩たちが寒いだとか早く閉めろだとか言っているけど、文句なら部長に言って欲しい。 もう一度呼び掛けても反応しない部長は、テニスコートの方を見つめて微動だにしなかった。 一体何をそんな熱心に見つめているのか、一八〇センチ近くある部長の陰から身体だけ出してその視線の先を窺った俺は、うっすら積もった雪に地面が隠れるテニスコートの近くに立つ人の姿を認めて、驚愕した。 「さんっ!!?」 叫ぶような俺の声に、さんは髪をふわりと揺らして振り返った。 部長を見て、その後ろにいる俺に気付くと、さんは笑った。その瞬間に俺は部長を押し退ける形で扉を開き切り、さんの許へ駆け寄った。いつからいたのか、さんは鼻の頭を赤くしていた。 「どうしてここに、先に行って待っててくれてるはずじゃ」 「そのはずだったのですが、途中で幸村くんに美術部の活動場所をお伝えしていなかったことに気が付きまして」 「活動場所って、美術室じゃないのかい?」 「美術室は美術室でも、旧校舎の美術室なんです。授業で馴染みがある新校舎の方と誤解されている可能性があると思ったものですから、今日のミーティングがレギュラーのみ部室で行っていると聞き、お待ちしていました」 「ミーティングは終わったのですか?」と首を傾げるさんに頷きながら、俺はこの寒い中で待たせたさんに対する申し訳なさより、俺のためにそこまでしてくれたさんへの、感謝と喜びの気持ちが勝った。 さんの言う通り俺は美術部の活動場所を誤解していたけど、見学の申し出はほとんど俺の身勝手みたいなものだから、さんにはここまで俺に親切にする義理なんてないはずだ。 話をしたのは見学を申し込んだ時が初めてで、今日呼び止めたのが二度目。そして今が三度目だ。 裏では氷の薔薇と呼ばれる彼女に優しくされる理由が俺にはなければ、俺たちはそこまで親しい間柄でもない。だけどさんは俺に優しさを見せ、俺に笑い掛けてくれた。――― どうしようもない優越感だった。 「では、参りましょうか」 「――― うん! それじゃあお先に失礼します」 俺に押されてずれた場所で立ち尽くす部長と、開け放ったままにしてしまった部室の扉から顔を出して固まっている面々に軽く頭を下げて、俺はさんと連れ立って歩き出した。 約束の日 003*091125
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