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『えー、ただいま入ってきました情報によりますと今日の午後 ――― 本当につい先程のようですね ――― スラム街の一角で惨殺事件が発生したとのことです。殺されていたのはいずれも犯罪履歴のある者たちで、攘夷志士と見られる者も数名含まれているということです。被害者の数は百人を越えるものと見られています。
 詳しいことはまだ不明とのことですが、真選組では攘夷志士同士の間で何らかの争いがあったと見ていて、捜査に乗り出す方針です。尚これにより、真選組隊士二人と一般人四人が負傷し、内一般人女性一人が重傷、病院に運ばれましたが意識不明の重体とのことです。詳しいことは情報が入り次第お伝えします。

 では、次のニュースです ――― 』
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「ターミナルの騒動の時にも思ったけどよ、お宅らってまじゴキブリ並の生命力だよな」

 なんて言いながら、壱の視線は彼が持参したお土産の林檎の皮を剥く手許に集中していた。それにしても、ぶつ切り状態の皮は厚さも幅もまちまちで、彼の不器用さを如実に物語っている。皮を剥いたはずの林檎が再び赤くなるのは時間の問題だろう。
 それはあまりに皮肉なことだと、壮絶な壱の生い立ちを知る銀時は思った。


「それから入院費は慰謝料代わりにこっちで払っとくから心配しなくていいぞ。あとお宅ら前にもここに入院したことあるらしいけど、何か騒ぎ起こしたんだって? 婦長が目ェ光らせたから気を付けろよな。てか、急所を外れてたとはいえ軽い怪我じゃないんだから、大人しく治療に専念しろよ」

「……ンなことより、他に言うことがあんだろ」

「は? 何だ ――― いっ、くそ! あと少しで無事に剥き終わるとこだったのに……。で、何だって?」


 壱は果物ナイフを置くと、空いた手に林檎を移して切れた左手の親指を舐めた。しかし傷が深いのか血は止まらず、林檎も皿に置いた壱はティッシュを数枚取って止血を行った。
 銀時に視線を移した壱は首を傾げる。壱のその不自然な態度に銀時は苛立ちを覚えたものの、指摘することはできなかった
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 急所を外れていたとはいえ深手を負っていたとか、出血が多くて立ち上がることは疎か動くことすらできなかったとか、そんなのは言い訳にもならない。
 何を思ったのか、突如己の腹に太刀を衝き立てて引き抜く姿も、地面としての色を失っている大地に頽れる姿も、多量の出血に四肢を痙攣させる姿も、そのすぐ後にぴくりとも動かなくなる姿も、青白いを越えて白くなっていく顔色も。自分たちはただ見つめて、叫ぶことしかできなかった。

 そんな中、誰よりも平静を失っていたのは、が意識を手放した直後に駆け付けた壱だった。
 まるでそれしか言葉を知らない子供のようにの名前をくり返す壱は、それこそ、懸命に親に縋り付く子供のようだった。

 その壱こそが、誰よりも、を喪うことを恐れている。

 銀時たちの見舞いだとたびたび病室を訪れる彼のその顔色が、日を追う毎に悪くなっているのがいい証拠だ。おそらく碌に眠れていないのだろう。医師たちの懸命な治療の甲斐あって一命こそ取り止めただが、その後一度も意識が回復していないのだ。当然だった。
 噂では壱は集中治療室に入れられているの許を毎日訪れては、面会時間の終わりまで一歩たりともその場を離れないらしい。顔色の悪さを指摘する医師や看護師の声にも耳を傾けず、知り合いなら何とか言ってくれと銀時たちが頼まれたくらいだ。

 だが実際に銀時たちが壱の無理を注意することはなかった。いや、出来なかったと言う方が正しい。
 六人はあの時、見ているのだ。
 それまで飄々とした印象が強かった壱が、意識を手放して死んだように動かなくなったを抱き締め、狂ったように彼女の名前を呼びながら涙していた姿を。彼がどれほどを想っているのかをまざまざと見せ付けた、その姿を。

 壱にはそれだけが大切なのだ。
 たとえ今度は自分が倒れることになっても。
 がちゃんと『生きている』とわかるまでは、壱は己がどうなろうと厭わないのだろう。

 が壱を優先させているように、壱にとってもまた、が最優先事項なのだ。
 何ものにも代え難いものなのだ。


 歪な形の愛だと思っていた。
 しかし本当は、一人の女を想い欲した男の、とても直向な形の愛だった。
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 ピッ ――― ピッ ――― ピッ ―――

 一定のテンポで響くこの無機質な電子音のみが彼女が生きている証だと思うと、壱は吐き気を覚えた。
 確かに彼女は表情や感情の変化に乏しいが、こんな電子音のように冷たく無機質ではない。腕にすっぽりと収まる身体は柔らかく、乱れることのない鼓動はすごく温かいのだ。不快なことがあれば眉を顰めるし、困ったことがあると頬を掻き、嬉しいことがあればほんの少し眉尻を下げて、本当に微かにだが笑んでくれる。
 だからこんな、こんなにも冷たい音で彼女を、を表すことなんてできない。できないはずだ。

……」

 彼女との間にある五歩も歩けば縮まる距離が壱には酷くもどかしかった。
 本当なら今すぐ近付き、直接触れ、その生を感じたいのに。しかしガラス張りの壁に阻まれた部屋で眠るに、壱のそんな願いが届くことはない。

 ――― 最後に触れた彼女の身体は、まるで死人しびとのように冷たかった。
 その熱は未だ壱の身体に残り、壱を苛んでいる。眠ろうとすると当時のことを思い出して寝付けず、仮に眠れたとしても、当時の出来事は鮮明な夢となって壱を苦しめるのだ。お陰であの騒動から約一ヶ月、壱は眠れない日々を過ごしている。
 こんなとき、常人とは違う身体でよかったような悪かったような、複雑な気分になる。普通ならとっくに倒れているところだ。

 だが自分も、いい加減そろそろ、精神的に限界が近い。
20091019