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 伊達に逸材と呼ばれていた訳ではない自分にとって、一対多勢の敵はそれでも烏合の衆であった。
 それに第一、敵には統率力というものがない。そもそも殺し尽くしたはずの一族の者がこれほど多く生き残っているはずがないのだから、恐らくは金で雇われただけの者たちなのだろう。自分を殺した者には更に報酬を弾むだとか言ったに違いない。見縊られているのかと思うぐらいの雑魚ばかりだ。

(たとえ俺がこいつらに殺されたとしても、今度は自分がそいつを殺して『壱』の座を頂くって魂胆か。まじで畜生だな)

 『壱』の座を賭けた討ち取りは一対一であることが掟だ。
 それを破って烏合の衆を雇ったクセに、掟に従って壱を殺して『壱』の座を欲しているのだから矛盾している。

(――― いや、奴が欲しいのは『壱』の座じゃない、だ)

 を金の成る木と呼ぶ奴が欲しいのは、そのにとって唯一絶対である『壱』の称号でしかない。
 が欲しいから『壱』の座が欲しいのだ。かつて奴とは違う理由で『壱』の座を欲しがった自分と、同じように。

「ほんと、反吐が出る」

 奴に対して。そんな奴と同類である自分に対して。
 それでもを欲することを止められない自分が、壱は何よりも嫌いだった。
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 恐らくは一族の分派が持つ秘術によるものなのだろう。今のは指の一本も動かせず、声も出せない状況にあった。
 そして自分をこの状況に陥れた男と二人、高みの見物をしているしかない。壱の着物がどんどん血に染まっていく様を、ただ見ているしかできないのだ。

(嗚呼)

 視界が、歪んでいる。そして瞬きをした瞬間、頬を温かな液体が流れたことで、は自分が泣いていることに気付いた。
 そういえば街角でぶつかった土方と沖田もそんなようなことを言っていたが、まさか自分が涙を流せる人間だったことには少なからず驚く。何故涙なんてものが流れるのか、その理由はわからないけれど。ただ壱のことを考えると、今もまた一人、襲い掛かる敵を斬り殺した壱がまた血に濡れるところを見ていると、胸が苦しくなる。痛くなる。そして涙が零れる。

(壱、壱、いち……)

 それは彼の名であり、しかし彼だけを示す言葉ではないけれど。
 だがにとって壱と言えば彼だけで、彼と言えば壱で。他の誰でもない。
 仮にここで壱が誰かに討ち取られ、その座を明け渡すことになったとしても。にとっての『壱』は彼しかいない。壱は『壱』で、『壱』は壱なのだ。

(わた、し、は ―――)
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 男は戦いの場に選んだ廃材が詰まれたこの一角に、招かれざる客が現れたことに敏感に気が付いた。
 察するに、気配は六つ。殺気こそないものの鬼気迫るものを感じる。

 男はしばし考え、その唇を妖しく歪めた。男の前でただ立ち尽くす『ソレ』の耳元に唇を寄せ、そして囁く。
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 貧困層が集まる区画にいくつかある廃材の山の中、どこが指定場所であるかはすぐにわかった。
 だって風が吹くたび、におうのだ。鉄錆にいたそれが。

 到着してみれば案の定。それは銀時がかつて見た戦場に似た地獄絵図であった。
 免疫のない新八が口を覆い、夜兎としての血が騒ぐのか神楽は腕を抱く。職業柄、攘夷志士と斬り合うことが多い土方と沖田はいくらか見慣れているであろうが、それでも顔色は芳しくない。ここを教えてくれた先程合流した山崎も心なし蒼褪めている。
 そんな彼が「埠頭のとこの比じゃないですよ」と呟いた言葉から察するに、血の海だったという現場もここと似たような状況だったのだろう。埠頭の件は誰か知らないが、ここを作り上げたのは壱に違いない。
 廃材の山に飛び散った血飛沫に、足元にできた血溜り。そこに沈む無数の骸。原形を留めているのに出血が多いということは、頚動脈を斬られた失血のショックが死因だろう。
 やはり自分たちとは住む世界が違うのだと、そう突き付けられるような有り様だ。

 ――― リィン、鈴の音がした。
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 どうして、こんなことになっているのだろう。
 覚えているのは耳元を掠めた嫌悪感しか抱かせない男の息と、扱い慣れた太刀から伝わった肉を切る感触だけだ。

 気付けば膝を折った銀時が目の前で血を吐き出していて。
 土方の利き腕の肩を押さえる手が赤く濡れていて。
 沖田が腹から血を流していて。
 神楽があらぬ方向に腕を曲げていて。
 新八が廃材の山に埋もれてピクリとも動かなくて。
 山崎が大の字になって地に横たわっていて。

 ――― 何があった?

 反射的に退いた足が何か液体に浸かってぴちゃっと音を立てた。
 驚いて落とした視界に映ったのは一面のあかで、は息を呑んだ。ドクン、強く脈打った心臓を咄嗟に押さえ、その掌が感じた湿り気にまた息を呑む。白かったはずの着物も、手も、目に映るすべてがあかかった。他に何色もなかった。

 あかい。

 くれない。

 あかぐろい。
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 目の前の惨状が意味することなんて考えるまでもなかった。
 だって現状がすべてを物語っているのだ。
 血に濡れている自分と、血を流している彼ら。
 一撃で仕留めていなかったことがせめてもの救いだった。

(私が、やった……)

 そこに自分の意思が伴っていなくとも、が犯した行為は現実であり事実であった。
 自分は彼らを殺そうとし、そして彼らの血に濡れた。
 壱だけではなく、彼らをも自分は穢してしまった。

 そして、唐突に思った。

(どうして、私はここにいる……?)

 彼らを穢してまで生きる価値が、果たして自分にあるのだろうか。――― いいや、ない。あるはずがない。在り得ない。
 自分という存在がいなければ、こんなことは起こらなかったのに。

 そう考えた時、の手はその太刀の切っ先を自身に向けて握っていた。
20090604