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 アイツの姿を見るたび、苛立ってたはずなんだ。どうしようもない実力差に嫉妬してたはずなのに。
 兵器だ何だって碌な扱いを受けてないアイツが、それでも羨ましかった。

 ガキだったんだよ、俺も。

 尊敬していた父親に誰よりも認めて欲しかったのにその父親は金に狂って、商売道具にしか過ぎなかったはずのアイツのことしか目に入ってなかった。
 認められていないクセに。人として扱われてもいないクセに。ただ命令に従うだけでしかないクセに。
 そうやって蔑んでいたのに、本当は羨ましかったんだ。兵器だろうが人として扱われてなかろうが、あの人に見てもらえてるアイツのことが、さ。だからアイツを見るたび無性に腹が立って、アイツの近くに父親の姿があるとますます腹が立った。

 ――― だけど、違ったんだ。アイツの存在に腹が立っていたのは確かだけど、でもそれはアイツに対する苛立ちじゃなくて。俺がずっと羨ましいと思っていたのはアイツじゃなくて、あの人の方だったんだって。
 『壱』であるはずの父親がアイツに鈴をやった時、俺はやっと、そのことに気が付いたよ。
 アイツの絶対で在れるあの人が俺は羨ましくて、同時に妬ましかったんだ。アイツの意思じゃなくて、そうなるように『作り上げ』られて仕方がないとわかっていても、『壱』に対して忠実でいるしかないアイツが腹立たしかったんだ。

 そのことに気付いた瞬間から、俺はアイツが欲しくて堪らなくなった。

 欲に塗れてく周りを軽蔑していたはずなのに、俺こそ、誰よりも欲張りだったんだ。
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 少年がその正面に立っても、膝を抱えて地面に座る少女の瞳は地面に落とされたままだった。
 精巧な人形にも見えるその姿は血に濡れ、よくよくになって見れば、少女の着物の斑模様は幾重にも血が重なってできたものであった。被った血が固まった髪は見ただけで硬く、硝子玉のような瞳には精気がない。
 それに気付くと同時に少年は思い知る。
 少女にとって『壱』以外のものはすべて、存在していないのだと。少女の世界はイチとゼロで構成されているのだ。

 たとえば今ここで少女が顔を上げ、その瞳に少年の姿が映ったとしても。
 少女が目の前にいる少年の存在に気付くことはないだろう。
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 思えば一目惚れだった。
 戦場で初めてアイツを見たあの瞬間から、ずっと。

 感情を殺すことが当たり前だったから気付かなかっただけで、本当は最初から惹かれていた。


 アイツに殺されていった奴らと同じで俺も、戦場で舞うアイツの姿に、魅せられていたんだ。
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 いつもと変わらず血に濡れている少女の姿はしかし、いつもと違った。
 少年がそのことに気付いたのは、少女の身体が力なく荒野に倒れてからだった。地面に広がる血は返り血ではなく今まさに少女の腕から流れ出るもので、少しずつではあるが確実に広がり、小さな血溜りをつくろうとしていた。
 どんな戦場でも常に無傷で帰還する少女が初めて傷を負って戻ったことにようやく気付いた少年は、すぐさま少女の許に駆け寄ろうとした。――― しかしわずかに早く、父が動いた。少女の身体は地面を転がり、ピクリとも動かない。
 続いたのは少年はもとより一族の者たちも初めて耳にする父の激昂する声であったが、少年には何を言っていたか認識することはできなかった。
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 あの時のことだけは、どんなに思い出そうとしても思い出せない。
 あの人が何か怒鳴ってて、仰向けに転がったアイツが本物の人形みたいにピクリとも動かなくて……わからなくなった。

 頭の中が真っ白になったんだ。


 気付いた時には、今度はあの人がピクリとも動かずに俺の足元に転がってたよ。血だらけになってさ。
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 血に濡れた己の手とそこに握られる苦無の存在で現状を刹那把握した少年は、突然の事態に呆然とする一族の者たちを見回して唇を歪めた。虚を衝かれるなど忍として言語道断であるその様が、逆に少年には嬉しくてならなかった。
 やはり一族の力は死屍姫の登場以来衰退の一途をたどっているのだと実感する。ならばたった今一族の長になった自分は、その責務を果たすべきではなかろうか。

「我が名は壱」

 そう口にした瞬間、少年の内側を筆舌に尽くし難いほどの昂揚が走った。
 遅れてやってきた実感に気持ちが逸る。


「掟に従い、徒人へ堕ちた汝らを今この場にて ――― 斬る」
20090525