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 ターミナルでの騒動が幾日が過ぎたある日。万事屋は今日も今日とて閑古鳥が鳴き、暇を持て余していた。
 お茶を啜ってぼけっとワイドショーを見る新八は、死線を潜り抜けたあの一日から一転した長閑な時間に平和を噛み締めていた。万事屋に来てから何度か危ない橋を渡ることがあったけれど、先日の一件は中でも上位に入る危険度だったと思う。

 そこでふと、新八はあれ以来気になっていた疑問を銀時にぶつけることにした。
 幸いにも話題にする当人は今、神楽と買い物に出掛けていて留守だ。訊くなら今がチャンスだろう。

「あの、銀さん。僕ずっと、訊きたかったことがあるんです」
「……んあァ?」

 デスクに踏ん反り返って愛読書を読む銀時はほんの一瞬新八に視線をくれるとすぐに手許に視線を戻し、ページを捲った。

「俺のスリーサイズなら教えてやんねーよ。知りたきゃいちご牛乳買って来い」
「誰がんなこと訊きたいって言った。しかも微妙に安いなその情報料! ――― じゃなくて、さんのことです」

 ページを捲る銀時の手が止まった。
 銀時は無言で新八を見つめ、言葉の先を促す。だから新八は言葉を続けようとした。

 ピンポーン。

 しかし、出鼻を挫かれた。
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 玄関を開けたところに立っていたのは、栗毛の男だった。
 どこか見覚えのある白の着物姿の男は銀時よりも若干年下、二十歳前後の年齢だろうか。青年という表現が適切に見える。しかし新八と目が合った瞬間に青年が見せた笑みは、彼の印象をぐっと幼く見せる屈託ないものだった。
 そのギャップに驚いた新八は目をしばたたかせる。男の手荷物である風呂敷がまた異彩を放っていた。

「えっと……ご依頼ですか?」
「いんや、その逆だよ。預けてたものの引取りと、報酬の支払いに来た」

 男の言葉にえっと驚いた新八は、失礼ながら男の姿を今一度確認した。
 だが客への応対の大方を担う新八には、男に見覚えがなかった。新八がいないときに来た依頼だったとしても、その後銀時から何の話も聞かされないというのは考え難い。もしかしたら、自分が万事屋へ来る以前に受けた長期の依頼だろうか。だとしたら新八が知らないのも無理はない。或いは銀時が忘れているか、だ。

(銀さんなら平気で忘れてそうだもんな……)
「おーい? どうした少年、ぼうっとして」
「! あ、すみません! どうぞ上がってください」

 折角の客、それも報酬を払いに来たという客だ。
 新八は青年を歓迎し、中に招き入れた。
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 いつもの応対が悪い訳ではないが、それにしても今日の客に対する新八の態度がやけに丁寧であることに、銀時は内心首を傾げた。お客さんですよ、と新八がソファーに誘導した青年を銀時は一瞥する。

「で、依頼っつーのは?」
「そうじゃなくて、この人は報酬の支払いに来たそうですよ。やっぱり、銀さん忘れてたんですね」

 やっぱりとはなんだやっぱりとは。失礼な言い草の新八を銀時はじろりと睨み、改めて青年を見た。
 報酬を払いに来たということは、男は以前にここを訪れたことがあるということだ。しかし青年の顔をまじまじと見つめた銀時は頭を掻いた。

「あー、失礼ですけどどちらさんでしたっけね?」
「ちょっと銀さん! 依頼内容どころか依頼主の顔まで忘れるなんて失礼にもほどがありますよ!」
「いいのいいの、気にすんなって少年。だって俺たちは今日が初対面だもん」
「……は?」
「まっ、俺はアンタたちのこといろいろ知ってるけどな。万事屋オーナーの坂田銀時殿と志村新八くん、だろ?」

 驚く新八たちを見て、青年はその印象を変える笑みを深めた。
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「俺の名は壱。姓は故あってないが、まあ気にしなさんな」

 青年 ――― 壱はそう言って、ぽかんとした顔で固まる新八を笑って眺める。その顔を実に愉快そうだ。
 一方で銀時は眉間に皺を寄せた顰めっ面で壱を一瞥する。その聞き覚えのある名は以前、が口にしていた名前だった覚えがある。ということは、この男の依頼は一つ。

「……ちゃんなら買い物行ってていねーよ」
「みたいだな。あとどんくらいで帰るかわかるか? 俺もう、に会いたくて逢いたくて発狂しそうなんだよ」
「知るかんなこと。大体あんな方法で押し付けておきながら、随分勝手なんじゃねーの?」

 刺々しい口調の銀時の口から出たの名前に新八は驚き、二人のやり取りに困惑した。
 詳しいことは銀時が言わなかったため知らないが、確かは依頼で預かっているという話だった。ということは、を万事屋に預けたのは目の前にいる壱という青年で、彼は預けていたものを引き取りに来たと言った。
 それはつまり、を迎えに来たということで。

さんを、連れて行くんですか……?」
「まあ、そうなるな。つーか随分情が移ってるみたいだけど、『アレ』はもともと俺のモノだから」
20090518