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 襷掛けにした袖を更に捲くるように動作し、は「よし!」と気合を入れた。
 万事屋が半壊したままのため、たちは新八の自宅でしばらく世話になることになり、そのまま年明けが明日に迫っている現在。世話になっている御礼という訳ではないけれど、道場が併設されてることもあって大掃除のし甲斐がある環境に嫌でも気合が入る。

「今日のさん、今まで見てきた中で、一番生き生きしてますね……」

 道場の床を雑巾掛けするを見て、庭の掃き掃除をする新八がそう呟いたことを、は知らない。
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 大晦日に蕎麦を食べることは知っている。
 細く長く達者に暮らせることを願っての験を担ぐ風習で、年明け前に食べ終わらなければならないとか残してはいけないとか、地方によっていろいろな決まりがあると聞いた。……実際に行ったことは、片手ほどの回数しかないけれど。

「カトケンサッンッバァァァ!!」

 炬燵を蹴飛ばして立ち上がった神楽が突然叫び、はぎょっとした。
 幸いにも炬燵の真ん中に置かれた鍋がひっくり返ることはなかったものの、衝撃でアツアツのおでんの汁が零れる。慌てて布巾で被害の拡大を防いだは、隣でウフフと怪しく笑うお妙のとんでもない発言を聞かなかったことにした。

 いくら神楽が夜兎族とはいえ、沸騰したおでんの汁を顔面に浴びせられてただで済むとは思えない。事実、すごすごと引き下がった神楽の顔は心なし蒼褪め、冷や汗を掻いている。
 あの神楽を怯えさせるのだからお妙は本当に恐ろしい。新八の姉とは思えない鬼畜発言をさらりとするし、何より恐ろしいのはどんな無茶なことも有言実行するところだろう。大人しく引き下がった神楽の判断は賢明と言える。

「いやぁ、やっぱり大晦日は炬燵に紅白ですね。姉上」
「そうねぇ。お父上が健在な頃は、三人炬燵に入ってハジけたものだわ〜」

 懐かしそうに語る新八とお妙だが、紅と白で弾けるとは一体どんな状況なのかには到底想像できない。
 というか、大晦日といえば年越し蕎麦ではないのだろうか。志村家では蕎麦ではなく、目の前にある通りおでんのようだが。


「カトケンサッンッバァァァ!!」

 は神楽に、心中で合掌した。
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 もうすぐ日付が変わろうとしている深夜、見ていた番組が終わるなり外出の準備を始めたお妙たちに連れられて、は長い階段を上った先の小高い場所にある神社を訪れていた。境内には多くの参拝客の姿が見られ、時間帯はもとより場所柄にも似つかわしくない賑わいに満ちている。
 ここへの道中から予測していた人の多さには鳥居を潜ることを躊躇したが、の手を引く神楽に引きずられるようにして、結局石畳の上を歩いていた。
 本当は今すぐ志村家に取って返したいだが、夜兎族である神楽の手を解くことはどうやっても不可能だった。それどころか解こうとすればするほど神楽はますます力を強めるから、拘束された手の血流が止められて痛みを覚えるだけでしかない。

 の行方が一時知れなくなった先日の一件以来、神楽はどうもに構いたがる。神楽だけではなく銀時も新八も、の行動に過敏になっている節があった。
 が買い物に行こうとすれば付いてこようとするし、特に用件がないのに話し掛けられるし、同じ室内にいれば視線を感じる。の側には近頃いつも、三人の内の誰かが必ず側にいるような状態だった。まるで監視されているような状態だ。

 除夜の鐘について解説するお妙と新八の話に、興味深そうに耳を傾ける神楽を横目に、はそっと嘆息した。
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「……神楽」
「どうしたアル?」

 は神楽の手と繋がる手を軽く持ち上げた。
 寒さだけが理由ではなく、神楽が握る手首より先は赤くなっている。そろそろ青に変わるだろうけど。

「このままだと、血が流れずに手が腐る」
「!?」

 神楽は素早くの手を解放した。血液の循環が再開されるのをは肌で感じながら手首を解す。何度か握ったり開いたりをくり返して異常がないことを確認した。白い肌にくっきりと残る痕が、冬の夜の冷気で冷やされて心地よい。

「だ、大丈夫アルか……?」

 心配そうにする神楽に頷いて答えると、神楽はほっと安堵の表情を浮かべる。
 神楽は再び伸ばした手を躊躇って彷徨わせると、恐る恐るといった様子で今度はの着物の袂を握った。
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 不慮の事故により破壊された万事屋を、銀時は自分たちの手で修理すると言い出した。大工を雇うお金がないから仕方ないと言うが、相変わらず突拍子もない言動である。何の技術も知識も持たない素人に家が建てられるものか。
 ほとほと呆れ果てたはため息をしつつ、けれどもどこかほっとしていた。

 何に対して、どうしてなのかはわからないけれど。
20090512