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 初めて訪れた新八の自宅が道場だったことに、は少なからず驚いた。
 そういえば新八も銀時のように木刀を振り回しているが、その構えはきちんとした型に則ったものだった。実家が道場ならそれも当然であろう。恐らく幼少から鍛えられていたに違いない。そこに実力が伴っているのかといえば微妙であるが。

 久し振りの仕事で得た収入で鍋をすることになったのはいいが、今回は手を出すなと言われたは、目の前で次々と鍋に投入されていく食材の数々に目を瞑った。どうやら上には上がいるらしい。
 日頃家事を任せ切りだからと彼らは気遣ってくれたようだが、目の前で進化を遂げていくゲテモノを食べさせられるくらいなら、そんな感謝は欲しくない。熨斗をつけて返したかった。今すぐに。丁重に。

「ただいまァ」

 さあ、死刑宣告は目前に迫った。
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 詐欺師というのは、総じて口達者であるとは認識している。
 言葉巧みに人心を掴み操り、意のままに操る。それは一種の才能であると。

 インチキ宗教の詐欺に引っ掛かったというお妙の同僚の話を聞いたは顔を顰めた。
 今の話に、まるで説得力を感じなかったからである。

 自業自得だと、はお茶を啜った。
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 その日、万事屋の電話が鳴った。

 三度目のコールの途中で呼び出し音は途切れた。新八はまだ来ていないし銀時は少し前に出掛けたから、取ったのは居間でテレビを見ている神楽だろう。
 朝食の後片付けを終えたは次に掃除をしようと、濡れた手を手拭で拭き、居間に通じる戸を開いた。そこで首を傾げる。
 先程電話が鳴ってから十分近くが経過しているが、神楽はまだ受話器を手に電話の前に立っていた。珍しく長電話のようだが、しかし神楽はうんとも応答せず、何やら様子がおかしい。
 必死な様子で神楽の腕に鼻先を擦り寄せていた定春が、現れたを振り返って切なげに鳴いた。

「神楽?」
「っ、――― あ……」

 近付いて肩を叩くと、神楽は受話器を取り落とした。
 コードが伸びきる前に空中でキャッチしたは、無機質な電子音を一定の間隔で発しているそれにますます首を傾げる。どうやら通話は既に終わっていたらしい。ならば何故、神楽は受話器を戻さなかったのだろう。

っ、銀ちゃんが、銀ちゃんが……!」

 そして告げられた言葉に、は目を丸くした。
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 事情を説明してくれた警察に渡された袋の中身は、銀時が愛読書にしている週刊漫画だった。
 これを購入した帰りに、銀時は車に撥ねられたそうだ。原因は撥ねた車の運転手の注意力が散漫になっていたためだった。その癖反省の色が見られなければ悪びれた様子もない問題の運転手が、お登勢と神楽のリンチに遭っているのは当然だろう。

 見るも無残な姿に成り果てた男をは冷ややかに見下ろした。
 自分も一撃くれてやろうかと考えたが、お登勢と神楽が散々痛め付けたのでよしとしておこう。加減ができない危険もある。

「一体誰だい、君たちは? 僕の知り合いなのかい?」
「……」

 しかし間もなく、失敗した、と思ったは病室外の通路を見たが、あの男の姿はなかった。
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 医者の話によると、事故のショックで記憶に問題が起こるのはよくある話だが、それは事故前後の記憶が飛んでしまう極軽い症状のものが一般的らしい。銀時のように、自分の存在そのものまで喪失してしまうことは珍しいそうだ。
 何かきっかけがあれば、おのずと思い出すだろうと。回復するには気長に付き合っていくしかないという。

 取り敢えず自己紹介からし直すことになり、新八が代表して名乗り、神楽からお登勢、キャサリンと紹介していく。

「それで、彼女がさん。銀さんが内緒にしてるので僕らも詳しいことは知らないんですけど、銀さんが依頼の一環で預かっている人です。……ですよね、さん?」
「依頼、ですか? ええと、預かっているということは一緒に住んでた、とか……?」

 新八の確認に首肯するを、銀時は今までにない真っ直ぐな眼差しで見つめた。
 それに居心地の悪さを覚えながらも、は更に頷く。

「銀時は今、私の所有権を有する代理人。だから私は、銀時の『物』です」

 ――― 刹那、場の空気が凍った。
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 一先ず自宅である万事屋に戻ったが、銀時にはやはり回復の兆しは見られない。
 お登勢の勧めでかぶき町を見て回ることになり、銀時の旧友である桂に会いに行ったり、お妙に会ったりしてみたものの、回復の兆候が見られたと思えば悪化することをくり返して、ついには陽が暮れてしまった。
 今日はもう帰宅し、明日はまた別なところに行こうと決めて万事屋に戻った一行を待っていたのは、更なる悲劇だった。

「記憶も住まいも失って、僕がこの世に生きてきた証はなくなってしまった。でもこれも、いい機会なのかもしれない。みんなの話じゃ僕もムチャクチャな男だったらしいし、生まれ変わったつもりで生き直してみようかなって」

 半壊して万事屋を見上げる銀時の目に涙はない。けれどどこか、寂しげだった。

「だから、万事屋はここで解散しましょう」
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 『生き直す』という言葉の通り、どうやら彼は本当に人生を新しくやり直すつもりらしい。
 かぶき町の外を目指して歩く背中には迷いがない。それにしても自分のことすら覚えていない人間が、よく道を覚えているものだ。これが『身体が覚えている』というものなのだろうか。

「あの」

 不意に立ち止まった銀時に合わせて、もまた足を止めた。
 振り返った銀時は何かを言い掛けて口を開くが押し黙り、それには首を傾げる。言葉を待って銀時を見つめるだったが、それに銀時は酷く居心地が悪そうに視線を泳がせ、意を決するように顔を上げた。
 「あのっ」くり返された言葉は少し上擦っていた。

「一体どこまで付いて来る気なんですか?」
「銀時が行くところまでです」
「だ、だからっさっきも言いましたけど、万事屋は解散したんです! その、あなたを預かるという依頼が途中になって、投げ出す形になってしまったのは申し訳ないと思いますけど、僕はもう君たちが知っている『坂田銀時』ではないんです!」
「あなたに記憶があろうとなかろうと、私には関係ありません。あなたが如何様になろうと、あなたが私を所有している事実に変わりはありません。私はあなたの『物』です」
「所有とか物とか、さっきから何を言ってるんですか? 預かったのは確かかもしれませんけど、人間を ――― 自分のことをそんな風に言うのはおかしいですよ」
「おかしい? どこが? 代理とはいえ私の所有権があなたに移ったことは紛れもない事実です」
「だからそれがおかしいんですってば! ……本当にその所有権とやらを僕が持っていて、だからあなたが僕の後を付いて来ると言うのなら、本当に自分勝手ですけど、僕はその権利を放棄させてもらいます。僕のことは、もう放っておいてください」

 振り切るように駆け出した銀時はだから気付かなかった。
 その時が、一体どんな表情をしていたのか。既に背中が見えなくなった銀時は知る由もない。
20090308
祝100!