092
(あ、まただ)

 ビル郡の方から轟いた二度目の爆発音に、買い物に出掛けて外出中のは首を傾げた。
 そして直後に、そういえば以前にもこんなことがあったと思い出して、は早々に万事屋への道をたどった。
093
 その日、やはりいつもどおり買い物に出でいたは、玄関を開けてすぐに顔を顰めた。

(くさい……)

 食べ物の腐った臭いがする。しかし臭いの原因には思い当たるものがなかった。食べ物はいつも腐る前に大半が神楽の胃袋に収まってしまうからだ。何より食べ物がないから、は買い物に出たのだし。
 買ったものの片付けは一先ず後回しにして、は異臭がより濃い居間の戸を開いた。

「蟹?」

 居間のテーブルやら床には無数の残骸が転がっていた。臭いの原因はこれだ。一体彼らはどこから万事屋には不釣合いなこの高価な食材を仕入れてきたのか知らないが、何も腐っているものを食べることはないと思う。
 換気のため部屋の窓を全開にしたは買ってきたものを適当に冷蔵庫へ収めると、次にゴミ袋を持ち出した。手際よく片付けを済ませていく。

 その途中、明らかには他とは除けて残されていた手付かずの蟹を見つけたは手を止めた。変色が始まっている甲羅に、臭いからして油性のマジックだろう。でかでか『の分!』と書かれていたのだ。
 それを見たはとても複雑な気持ちになる。の取り分として残そうとしてくれていたのだろうけれど、生憎と腐っているものを残されていても嬉しくも何ともない。寧ろ嫌がらせとしか思えなかった。腐敗臭と油性の臭いが嫌なハーモニーをしているから尚更である。
094
 お登勢に聞けば、銀時たちはあの腐った蟹に中り救急車で運ばれて行ったそうだ。そういえば買い物帰り、万事屋が面する通りを歩いていた時に救急車と擦れ違ったが、銀時たちは恐らくあれに乗っていたのだろう。
 直後にもう一台と擦れ違ったのだが、キャサリンの姿が見えないのとの問いにお登勢が「銀時たちも」と答えたことから考えて、二台目にはキャサリンが乗っていたのだろう。揃いもそろってよくあんな異臭がするものを食べれたものだ。
095
 以前にも来たことがある病院だが、あの時は銀時の後に付いて行くだけだったためどうすればいいのかわからないだったが、案ずるまでもなかった。何しろ老人ばかりがいる中で一番騒がしい病室を探せばいいのだ。
 案の定簡単に見つかった病室では相変わらず万事屋の三人は騒がしく、はため息する。病人は病人らしく、こういうときぐらい大人しくしていればいいものを。

 取り敢えず、聞こえないと思うが開放されている病室の扉を叩いた。すると振り返ったのは目的の人物ではなく、憐れにも彼らと同室の男性だった。

「あ、お嬢さんは……」

 そしてその人物が誰かを知ったは、ますます彼を憐れに思った。
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、お見舞いの品は? どこアル?」

 神楽には食中りで入院した自覚がないのだろうか。
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 誰もいない万事屋に戻ったは、口にした「ただいま」という言葉に敷居を跨ごうとした足を止めた。
 咄嗟に口を押さえ、呆然とする。今自分は、何を言った? 何を期待していた?

 が今当たり前のように告げた言葉はここに来るまで馴染みがまるでなくて、それまで事務的に「ただいま戻りました」と告げていたを新八が指摘し、銀時が同意し、神楽が求めたから改めたものだった。
 返される「おかえり」は耳慣れていたが「ただいま」には慣れていなかったから、初めは大いに戸惑ったものだ。しかし銀時が「さん、はい!」とわざとらしく言うから、には拒否する術がなくて。聞き慣れていても言い慣れてはいなかった「おかえり」だってそれは同じだった。

 は動揺した。これまでにないほど、『自分』に対して狼狽えた。
 通常なら赦されない変化だ。だけれども、許可された、求められていた変化であった。しかし変わろうとしても変わらなかった面でもある。それがここに来てから変わり出していた。
 それがいいことなのか悪いことなのか、にはわからない。

 しばらくの間、はその場を動くことができなかった。
098
「あ、醤油がない……」

 更に言えば味噌もなかった。
 このままではただの豆腐とワカメを煮ただけになってしまう鍋を見つめたは、仕方なく火を止めた。確認を怠っていた自分の落ち度なのだから、今からでも買いに行くしかないだろう。
 いつも通りなら銀時も神楽もしばらくは起きてこないだろうし、朝食の準備に支障はないはずだ。空の醤油のボトルを目に付く場所においておけば、新八なら何があったか察してくれるだろうし。
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 その悲惨な状況には言葉を失った。
 万事屋の部屋という部屋中に転がる巨大なゴキブリの死骸は、つい先程まで散々ニュースで流れていた宇宙ゴキブリのものだということはわかる。わかるが何故、こんなにも異常に万事屋に集まっているのか。
 そもそも万事屋にゴキブリがいることがには屈辱と言えた。あんなに隅々まで掃除しているというのに!

「あっ、さん!? 今まで一体どこに……!!?」
「醤油と味噌が切れていたから買い物にスーパーまで」
「よ、よかったぁ。このゴキブリたちに食べられてしまったんじゃないかって、心配してたんですよ!」
「……そう」

 確かにこのゴキブリたちは肉食らしいが、いやしかし。

「…………片付け、よろしく」
「え、ええっ!!?」

 は玄関を閉めた。

 そんな訳で、ゴキブリの出没ポイントが神楽が寝床にしている押入れで、原因が酢昆布だとが知るのは、もう少し後の話である。同時に自分の不行き届きがなかったのだと知るのもまた。
 無論その後、神楽には厳重注意が下ったのは言うまでもない。更には頻繁に、は押入れの掃除をするようになった。
20090307