087
忌避されるはずの暴力が、『ルール』と呼ばれる規則があれば娯楽になる世の中をは奇妙に感じる。それともこの娯楽には相手を『殺してはいけない』という根底があるから、観客たちもまた安心して熱狂できるのだろうか。それはにはあまりに理解し難い感覚である。彼らの感覚は、世の中では『普通』なのだろうか。 「煉獄関。ここで行われているのは、正真正銘の」 だとしたら、とは思う。 「――― 殺し合いでさァ」 たった一撃で息絶えた男が流す紅を食い入るように見つめて、遠く離れていても鼻腔をくすぐる鉄錆とよく似たにおいを肺一杯に吸い込み。高揚を覚える自分は一生、『普通』にはなれない。 世に言う『普通』も、彼が自分に求めた『普通』も、どんなものかわからないけれど。 『異常』である自分にも、それだけは理解できた。 088
沖田から真選組とは関わりない内密の依頼を受けた銀時は、まずは煉獄関で最強と謳われる鬼道丸から探りを入れることになり、このまま奴を追跡する運びとなった。「ちゃんは危ないから、いつも通り留守番頼むわ。おい神楽、万事屋まで一緒に」 「いいえ、大丈夫です。一人で戻れます」 「いやいやでもさ、女の子一人じゃこんな悪の組織のアジトみたいな場所危険だし」 「安心してくだせェ旦那。のことなら俺が責任持って、表まで連れて行きまさァ」 家の仕事から留守番まで任せ切りのをたまには息抜きさせようと最初は出掛けたが、まさかこんなところまで来ることになるとは思っていなかった銀時は、沖田の申し出を素直に受け取ることにした。 こんな場所で最強と呼ばれる戦士の後を追跡するとなれば、どんな事態が待っているかわからない。そのため戦闘力において頼りになる神楽を欠くのは正直避けたかった銀時にとって、沖田の申し出は有り難かった。 ぶっちゃけ、新八ではどちらにしろ頼りない。 今や当たり前のように万事屋にいるだが、彼女は顔も知らない依頼人から預けられた存在なのだ。 高額な報酬云々の問題ではなく、万事屋に住んでいても万事屋ではない彼女を危険なこの仕事に巻き込む訳にはいかない。 特に今回は、銀時の勘が告げているのだ。一刻も早くをこの場から遠ざけろ、と。 089
視線で早く行けと訴える銀時に従う訳ではないが、沖田はの手を引いて足早に来た道を引き返した。手の中には確かに人の温もりがあるのに存在が酷く希薄な彼女は、大人しく沖田の後に続いた。女人には辛い歩幅で歩いているはずなのにそれは淀みがなく、危うさを覚える。 鬼道丸に一人の侍が切り捨てられた瞬間、日頃は無感情である彼女が俄かに感情を動かしたのを、沖田は目撃していた。 それは歓喜であって、同時に絶望でもあり。 あの瞬間に彼女が抱いた感情が何を意味するのか、沖田には到底理解できなし想像もできない。しかし直感的に、彼女をここに連れてきたのは失敗だったと思った。いつかの屋根の上で遠目に一度目撃した時から感付いてはいたが、やはり。 (攘夷派か? いや違う。何か、こう……) 沖田が強引に屯所を連れてきた際、天井裏に潜む山崎の位置を寸分の狂いもなく把握して見上げた彼女は山崎に告げたそうだ。「私はこの国に仇為す存在ではない」「私たちはただ普通に生きたいだけ」だと。 『私たち』と複数形である語が気に掛かるが、この言葉を聞いたとき、沖田は言葉にし難い引っ掛かりを覚えたのを記憶している。それは今も魚の小骨のように引っ掛かり続けているが、未だ言葉にならずにいる。 「総悟」 沖田ははっと我に返った。らしくもなく考えに耽って散漫になっていたが、いつの間にか表通りにまで来ていた。 思えば初めてに名前を呼ばれたが、まさかこんな場面になるとは。 「ここでいい。あとは一人で戻れます」 「そうですかィ? あ、くれぐれもさっきの件は内密にお願いしまさァ。依頼の件もは気にしないでくだせェ」 「……私は」 沖田が解放した手を反対の手で包み込むように握り、は目を伏せた。 「私は、『私』を知らない。知る必要がないと思っている。知りたいと思ったこともない。――― 私に『私』は必要ないから」 「……どういう意味でさァ?」 「わからない。『私』を知らない私は、何も知らない。私には「是」と答えるしかないから。それが私の『普通』だから」 まるで謎掛けのような言葉だ。それには沖田に語り掛けていると言うより、自分自身に語り掛けているようだった。 伏せていた目を、顔を上げたは真っ直ぐに沖田を見た。 その瞳が揺れているように見えるのは沖田の気のせいだろうか。 「だからこんな気持ち、初めてです。こんなにも 」 去り際に告げられたの「ありがとうございます」が、沖田にはただの皮肉にしか聞こえなかった。 090
件の話がその後どうなったのかを、銀時はに語ろうとしなかった。も知りたいとは思わなかったから訊ねなかった。しかし外の雨模様の所為ばかりではない湿っぽい空気から、決して気持ちのいい終わり方をしなかったことは、にだって察することができた。 依頼を受けた時に銀時がを帰らせたがったことがわかったから、は訪れた沖田にお茶を出すと言われるまでもなく部屋を出て、更には玄関の外に出た。ここまで来れば流石に、中での会話は雨音もあって聞こえてこない。 玄関脇の壁に背中を預けて立ち、空を見上げる。しかし軒が邪魔で視界は不良だった。 091
「オメェは行かねぇのか?」家主たちが出て行ったばかりの玄関から中に戻ると、掛けられたのはそんな第一声だった。 「留守番を頼まれましたから」 「……どうやらバカじゃあないらしいな」 「私の身は今銀時に委ねられ、銀時が残れと命令したから残る。それだけです」 「ならオメェは、オメェだったらどうする? やっぱりあいつらと行くのか?」 「私個人の意見は必要ありません。私はただ、与えられた命令を遂行するだけでしかない」 の答に土方は顔を顰め、煙草の煙を吐き出した。 20090306
|