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 神楽が寝床代わりに使っている押入れを開けたはぎょっとした。
 上の段に神楽の布団が敷かれているのはいいとして、下の段には何故か、この間まではなかったはず物のが押し込められていたのだ。が見たことがない、使用用途を想像できない代物ばかりだ。

 どう扱えばいいものかわからず、が困惑していると「キャッホォォウ!!」という神楽の謎の声とパンッという小気味いい音が居間の方から聞こえた。いつものことながら、三人が揉めている声が続く。
 すると突然神楽が小走りになってやって来て、を押し退けると押入れから謎の『それら』を抱えて居間に戻り、三人は更に騒ぎ出した。

 ちょっと出て来ますね、と言う新八と銀時が『それら』を抱えて外出し、それからすぐに神楽が、何故か銀時の木刀を抱えて定春と一緒に出掛けて行った。
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 万事屋への客を出迎えるのはか新八のどちらかだった。
 大方の場合、新八が出迎えてその間にがお茶の用意をする。お互いの間で決めた訳ではなく、いつの間にかそうなっていた。実家暮らしの新八がまだ出勤していない時やが買い物に行っている時など、たまに都合が変わることもあるけれど。

 そして今回は、その『たまに』の場合だった。

 野暮用で外出していた新八に代わり玄関に出たは、色眼鏡を掛け髭を生やした強面の男性が自分を見て、ぽかんと半口を開けて固まった理由がわからずに首を傾げた。
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 早退すると言って出て行った新八を結局追って出て行った銀時たちを見送ったは、お妙が差し入れにと持って来てくれた曰く『だし巻き卵』という黒い塊を見下ろした。
 箸がないので手掴みで口の中に放り、食べ物にはあるまじき音を立てて咀嚼する。花見の席で食べた卵焼きを思い出す。

 それにしても、銀時たちは本来の目的を忘れているのではなかろうか。

 つい先日に万事屋を訪れ、の存在に驚いていた長谷川と言う男性に店番を依頼されたはずなのに。
 長谷川たっての希望で何故か要員の一人に駆り出され、レジに一人立つは最後のだし巻き卵を嚥下すると風呂敷に包んで弁当箱を片付け、新八が途中にして行った店内の掃除をすべくモップを手に取った。

「いらっしゃいませ」

 客の来店を知らせる電子音に、は長谷川に教えられた通りの決まり文句を口にする。
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 一人で店を切り盛りするのは想像以上の労働を強いられることだと、は他人事のように思った。
 これならごみ屋敷の一つや二つ、一人で掃除させられる方がずっと楽だ。

 店内の掃除。減った商品の品出し。搬入業者との手続き。お会計。
 更には女一人と見縊り金を出せと要求するゴロツキが現れて、流石にうんざりしたは疲れ切ったため息を零した。するとそれに激昂した強盗が刃物を突き付けて来たから、咄嗟に手が出てしまう。

 リィンと余韻を残す鈴の音を背景に、レジの向こう側でひっくり返る強盗を見下ろしてはまたため息した。
 気を失っているだけとはいえ、少々やり過ぎてしまったかもしれない。放っておきたいところだが店内にいつまでも転がしおくわけにもいかず、一先ず店の外に放り出そうとは考えた。――― その時、電子音がした。

 咄嗟に「いらっしゃいませ」と言葉が出た自分には軽く絶望感に似たものを覚えた。たった数時間で随分と染まってしまったものだ。落ち込みたくなる。
 しかし訪れた客の顔を見て、不意を突かれたにそんな時間は与えられなかった。


「そいつ、どうしたんだ?」

 黒の洋服を身に纏い、帯刀する男は気絶している男を顎で指した。だがその視線が床に転がる刃物を認めたことで、大体は察しただろう。

「金を出せと刃物を突き付けられたので、正当防衛に至っただけです。殺してはいません」
「殺してない、ね」

 含みを感じる土方の発言には目を眇めたが、言い返すことはなかった。
 土方は慣れた手付きで強盗をお縄にすると、仲間に連絡して一服しようと煙草を取り出した。しかしどうやら箱は空らしく、土方は小さく舌打ちしてに銘柄を告げると小銭を出した。

「ここは禁煙です」
「んなこと、わァかってる。……お前、ここで何してんだ?」
「ご覧の通り店番です」
「一人でか?」
「結果的には」

 端的なの回答に土方は徐々に眉間の皺を増やしていき、最終的には深い谷を三つも眉間に刻んだ。
 元からよくない人相をしているだけにものすごい極悪人顔である。今は気絶している強盗より余程犯罪を犯していそうな顔なのに、これで市民の安全を守る警察官なのだから世の中はわからない。

 再び舌打ちした後、どこかにまた連絡した土方は強盗を引きずって店の外に出た。
 電子音を聞きながら、は「ありがとうございました」とやはり決まり文句を口にする。
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「やっぱり君がいてくれたよかった!!」

 夕方になって戻って来た長谷川の第一声はそれだった。
 両手を取られて上下に激しく振られ、仕舞いには泣き出した長谷川に一時はどうしたものかと内心焦ったが、長谷川の苦労を思うとには掛ける言葉がなかった。
 恐らく銀時たちが途中で仕事を放棄することを見越して、長谷川はも店に立つことを強く願ったのだろう。

 そういえば彼が依頼をしに来た初対面の時、お茶を出して「ごゆっくり」と持て成したを見て、長谷川は「万事屋に新八くん以外の常識人が……!」と言って何故か泣いていた。
 は単に、銀時に連れられて数度行った飲食店でのウエイトレスの応対を真似ただけだったのだが。
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 今度御礼しに行くと言う長谷川に見送られ、片手に空の弁当箱を持つは万事屋への道を歩きながら、横目で隣を見やった。「んー!」と背伸びをする山崎の骨が、小気味いい音を立てる。

「あー、お店の経営って思ったより大変なんだね。だけどあのバーコード読み取るの一回やってみたかったら、楽しかったな」
「……退」
「えっ!!?」

 素っ頓狂な声を上げた山崎にはぎょっとする。道行く人も何人か振り返り、すぐに興味をなくして家路に戻った。

「ご、ごめん。身内以外の人に下の名前で呼ばれたことなかったから、びっくりして。それにさんがまさか、俺の名前を覚えてるとは思ってなかったから、尚更びっくりして」
「……私のことはと、呼んでいい」

 山崎はきょとんと瞬き、何故か嬉しそうに笑った。


 山崎が店を訪れたのは、強盗を引き取りに来たパトカーと土方が去ったのと入れ替わりだった。
 店員が以外に誰もおらず、銀時たちが仕事を放って出て行ってしまったと知るや否や、自分も真選組の仕事があるはずなのに手伝いを申し出てくれたのだ。

 正確には、制服の余りがあるかと訊かれて店の奥にあると言ったら、勝手に着替えて接客を始めてしまったのだけれど。
 正直助かることだったから、も何も言わなかった。


 万事屋の前まで律儀にも送ってくれた山崎は、それじゃあと踵を返した。はそれを呼び止める。

「土方と言う人の、下の名前は?」
「副長の? 十四郎だよ、土方十四郎。それがどうかした?」

 何でもない、と言うようには一度緩く首を振った。

「彼にありがとうと伝えてください。退も、ありがとう」
「え、あ……う、うん」
20090304