「テーニースーがーしーたーいー!!!」

 梅雨らしい連日の雨に、もともと我慢っちゅーものを知らん金ちゃんが鬱憤を爆発させた時の話や。
 こういう外での部活動がかなわん時、運動部と文化部の掛け持ちが当たり前になっとる俺ら四天宝寺生の間では、屋内での活動が主体になっとる文化部の方に顔を出すのが一種の常識になっとる。
 けどテニス一択の金ちゃんに、そないな常識は適用されへん。お陰で帰りのSHR終了直後に教室を襲撃された白石と巻き添えになった俺も、今日ばかりはその常識に則れそうもあれへんかった。

 俺らかて人のこと言われへんテニス馬鹿やけど、中でも金ちゃんはそれが抜きん出とる。
 故にテニスが絡むと手が付けられんようになるっちゅーことは、金ちゃんが入部してからのここ二ヶ月ほどで、痛いくらい身に沁みて思い知っとる。物理的に。
 実際今日の襲撃も物理的なもんやったし、それに青筋を立てた白石の左手にビビった金ちゃんが俺の背後に逃げ込んだ際、本人は縋り付いてるつもりかもしれんけど、実際のとこ俺の五臓六腑は物理的に締め上げられとったし。
 しかもその状況から救出してくれたのが他ならん白石の左手なんやから、何ちゅう皮肉や。

「あのな金ちゃん。俺らかてテニスしたいし試合したいけど、外を見てみ。ザーザー降りの大雨や。こないな天気でテニスができるわけないやろ」
「いやや! ワイはテニスする!!」
「いや、だからな……」
「テニスがしたい!!!!!」
「……」

 閉口した白石が視線で「どうしたらええ?」て訊いてきたけど、俺らの中で唯一金ちゃんの手綱を握れとる白石にどうしようもないんやったら、俺にできることはないっちゅー話や。
 そういう意味を込めて肩を竦めると、白石はわざとらしく深いため息を返してきよった。何か腹立つわ。

「……わかった。ほな今度オサムちゃんに頼んで、どこか屋内コートがある学校と練習試合組んでもらえるようにするわ」
「! ほんまか!?」
「ああ。その代わり、これ以上駄々こねたらあかんで? あんまりオイタが過ぎるようやったら、この話はなしや」

 飛び跳ねて喜ぶ金ちゃんに白石はしっかり釘を刺したけど、本人舞い上がり過ぎて聞こえとらんぞ。
 事実、今度は「なあ、試合っていつするん? 明日? 明日試合するん?」て白石にまとわり付き出しとる。また左手使て脅されてもうてるけど。
 更にまた逃げ込んで来た俺の背後でも、やっぱりさっきと同じ流れが繰り返されたし。

 そんなこんなあった所為で、白石が“今度”言うた話は“今すぐ”に変更を余儀なくされた。ただでさえ面倒な感じやった金ちゃんが、尚の事面倒なことに、すっかり拗ねてしもたんや。
 お陰で金ちゃんとは別の面倒があるオサムちゃんを説得することから始まった話に、約束を取り付ける約束が得られたのは、あと三十分もすれば最終下校時刻になるっちゅー時分やった。
 しかも大雨の影響でどこの部活も早めに切り上げたのか、暗雲が齎す薄暗さに覆われた校舎はすっかり静まり返っとる状況や。

 当然このまま下校する流れになった俺らは揃って校舎を後にした。
 傘を持たせたとこでどうせ壊すか無くすかするのが親御さんにもわかっとるんやろ。幼稚園児が着とるような黄色いポンチョ型の雨合羽姿で、足取り軽く先を行く金ちゃんに続いて校門を潜る。
 お互いが傘を差しとるがための距離と傘に叩き付ける雨音の喧しさ。そして何より運動後とは種類のちゃう疲労感から、俺と白石の間に会話はあらへんかった。
 また俺の個人的な理由を言えば、この大雨の影響で人が少ない通りに、傘も差さんで立ち尽くしとったり徘徊しとったりする人影があるのも、俺から口を開く気力を失わせる要因になっとった。

 そうして通い慣れた道を進み、出身小学校が違えば住んどる地域もちゃう俺らが別れる十字路に差し掛かった頃や。
 一足先にそこへ着いた金ちゃんが、軽やかな足取りの途中で、一人だけ時が止まったみたいな不自然さで停止した。

「……金ちゃん? どないしたん?」

 雨音に掻き消されんよう張った声は届いとると思うけど、金ちゃんは微動だにせえへん。
 白石と顔を見合わせて首を傾げとる間に追い付いて顔を覗き込むと、こっちは凍り付いた言う方が適切な状態で固まっとる。一体何があったんかと、徒事ただごとではない様子に俄かに緊張が走った。

「おい、金ちゃん?」

 白石が肩を掴んで揺すると、金ちゃんは我に返った様子でハッとし、かと思えば慌ただしく視線を巡らせて俺を見つけると、戦慄くように唇を震わせた。

「――― っ、ケン、ヤ……」
「おお、どないし ――― ぬおおお!!?」

 呟くような声量で名前を呼ばれて、よう聞き取ろうと屈んだタイミングやった。いらんことに持ち前の瞬発力を遺憾なく発揮させた俊敏さで、金ちゃんは俺の首に腕を回す形で跳び掛かって来よったんや!
 雨合羽姿の金ちゃんの全身は当然ずぶ濡れで、激しい雨脚の跳ね返りで足元が水浸しなのはしゃーないけど、上半身は無事やったのに……!
 せやけど腕だけやなく足まで使て、小猿宜しく正にしがみ付かれた今、引き剥がすのは無意味な抵抗やった。憐れみの眼差しを向けて来る白石にイラッとする気力も湧かへん。

 一先ず首と腰に負担が掛かって酷いから、小柄でも中学生男子らしく重たい身体を支えるべく、抱え上げようとした時や。跳び掛かって来た時と同じ俊敏さで俺から離れた金ちゃんは、目標を見失って空振りした俺の腕を掴むと、力強く引っ張った。
 思わぬ加減とタイミングに抵抗する間もなく引き摺られて、一歩二歩と進んだ足は止まらんと、そのまま動き続ける。俺やなかったら金ちゃんのでもない、白石の家の方角に向かう道や。

「ちょ、まっ、金ちゃん!?」
「あかん! いったらあかんでケンヤ!!」

 いや何が!? ちゅーかどこに!!?

 見た目に反した怪力を振り払える訳もなく、抵抗も儘ならん。
 慌てて追い掛けて来た白石が制止しても聞かず、それは左手を使って脅しても同じやった。金ちゃんは何遍も譫言みたいに「いったらあかん」を繰り返し、三つ目の角を過ぎたところでようやく立ち止まる。

 その頃には、俺は頭の天辺から爪先までずぶ濡れやった。
 状況的にも体勢的にも傘を差しとる余裕がなかったんや。合羽着た金ちゃんが羨ましくも妬ましくなる。

「……一先ず、俺の家に寄って行きや。その方が近いし、金ちゃんも様子が変やし」
「…………ああ、せやな。おおきに」

 立ち止まりはしたものの、俺の腕を抱き込んで震え、何故か来た道の方を警戒しとる様子の金ちゃんに、何でこないなことをしたんか問い詰めるのは難しそうやった。
 ここは白石の気遣いを有り難く受け取って、俺らはそのまま道を進んで白石の家に向かった。
 せやけどその後、落ち着きを取り戻した金ちゃんに何であんなことしたんか事情を聞いても、俺も白石も首を傾げるだけやった。そもそも何を訊いても「いったらあかん」の一点張りで説明になっとらんのや。理解せえっちゅーのが無理な話や。


 そして、結局その答は翌日。
 いつも通り遅刻ギリギリに登校したさんから、朝の挨拶をすっ飛ばして言われた言葉で発覚した。

「鉞くんに感謝しな」
「は? まさかり?」
「あのまま進んでたら君、肉体ごと連れて行かれてたよ」
「…………え?」

 突っ込みたいとことか言いたいことは仰山あったけど、兎に角その日の放課後、俺が金ちゃんにたこ焼きを奢ったのは言うまでもあらへん。
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