「おおきに」

 それは現状の雰囲気にそぐわん、酷く穏やかな感謝の言葉やった。
 けど事実に気付いとる身にしたら、モラルある人として、至極真っ当な言葉や。
 その真意を寸分違わず汲んでくれたんやろう。静かな水面みなもに落とされた水滴が生み出す波紋のように、さんは驚愕に瞠目し、かと思えば嬉しいような悲しいような、複雑な色に顔を歪ませた。

「なに、それ……。君たち一族は、お人好しの家系なの?」
「俺と謙也に限って言えば、謙也は間違いなくそうやろな。俺の場合は相手によりけりや。……こんなアホでも、大事な身内やねん」

 おい。突然人のこと引き合いに出したと思たら、「こんな」言いながら顎で示された挙句「アホ」言われて落とされるとか、一体どういうことやねん。
 不当な扱いに文句を言いたいのはやまやまやけど、そないなタイミングちゃうのはわかるから、今は沈黙しとくけども。
 せやけど侑士、後で覚えとれよ。

「それにさん、昨日の内に謙也から聞き出しとった通りの人やし」

 笑いを滲ませた侑士の言葉に、さんは一体どんな話をしたんやっちゅー咎めの視線を俺に向けてくる。同じように侑士を睨んどった俺にとっては、思わぬ方向からの不意打ちや。
 た、確かに昨日家に帰ってから、ええ加減眠気がピークの深夜まで。さんに助けられた最初の時から今日に至るまでの事情を、根掘り葉掘り問い詰められたけど。何もおかしなことは言うとらんで?
 俺はただ、起こったことや言われたこと、その時俺が思ったり感じたりしたことをありのまま話しただけや。

 もし仮に、何か変なことを言うとったとしたら。それは重箱の隅をつつくような侑士のねちっこさに問題があったと思う。
 あないなことがあった後で、ただでさえ疲れとるんやから早く寝たくてしゃーないっちゅーのに、侑士の奴がほんましつこくて。昨日一晩だけで、何遍ど突いたろかと思ったことか。
 俺を心配する気持ちに由来する行動とわかっとるから、流石に自重したけども。

「おい。自分ら三人だけで通じ合っとらんで、どういうことかわかりやすく説明せえ。俺も光も訳がわからんやろ」
「や、俺は大体わかったんで。頭数に入れんでもらえます?」
「な、何やと!!?」
「だってつまり、大本の原因は先輩やけど、昨日の直接的な原因は忍足さんっちゅーことでしょ?」

 そんな時、一番の被害者で当事者やのに蚊帳の外扱いになっとったユウジが不満の声を上げた。
 巻き添えにされた光のまとめは簡潔過ぎるくらい簡潔やけど、しっかり要点を押さえとる。実際その説明にユウジが首を傾げたのは束の間で、すぐに「ああ」と納得の声を上げた。

 嘘はあらへん。かと言って、本当のことを全部話してくれとった訳やない。
 侑士が言うところの変な気遣て、自分一人だけを“悪”に仕立てて全部背負い込もうとしたさんの真実は、この時点で白日のもとに晒されたわけや。
 こうなると、もう隠すだけ無駄と観念したんやろ。さんは深く、諦めのこもったため息をついた。

「……簡単に言ってしまえば、後輩くんの言う通り。わたしが通っていた幼稚園や小学校、転校前の中学校でも、状況は同じだった。だけど君ほどの霊媒体質を持つ人間がいなかったから、問題はなかった」
「…………おい。今、全く嬉しない情報が聞こえたぞ」
「でもその強さがなければ、君はとっくの昔に“君”という自我を失っていたし、ゆーじに喰われて終わっていたけど」

 また恐ろしいことをさらっと言うたさんに、ユウジは頬を引き攣らせた。
 ちゅーか、ユウジを護ってくれとるはずのオネェさんに喰われて終わるとか、何やねんそれ!

「霊媒体質を、一つの器と考えてもらえればいい。器が小さければ力が弱くて容量は少ないし、逆に大きければ、力が強くて容量は多い。けど容量がある以上、限界もある」
「それを超えてしもたら終わり、か」
「でも君の器はとても大きく、それに深いから、その所為で終わることはまずないし、心配しなくても大丈夫」
「……だから、嬉しない言うとるやろ」

 そないな保証をされても嘆けばええのか喜べばええのか、奇妙に顔を歪めるユウジの様子に首を傾げとる辺り、さん的にはユウジを安心させるフォローのつもりで言うたのかもしれへん。けど目が合うたのに問答無用で取り憑かれるのに変わりはあらへんのやから、根本的な解決にはなっとらんやん。
 何より“死ぬ”やのうて“終わる”っちゅー表現遣とることが恐ろしいわ。“何が”とは訊かれへんやん。
 傍で聞いとる人間がそうなんやから、当事者のユウジはもっと、これ以上この話を掘り下げるのは自分の精神衛生上よろしくないと思たんやろ。物の数分で随分窶れた顔で「この件についてはもうええわ。それで?」話の先を促した。

「視覚的には一つの塊でも、実体は無数の個体である彼らにとって、大きさだけでなく深さまである君は理想の器だった。けれど君の器には既に先客がいた」
「あのオカマか」
「そう。とは言え、実のところゆーじの存在は容量の五分の一にも満たないから、ラップのように器の口を覆って、他の侵入を防ぐことしかできていなかったけど。それでも君を護るには充分だったし、あまりに多くの集合体となった彼らが収まるためのスペースを与えず、妨害には一役買っていた」

 そう言われると、白石を覆い尽くそうとしとった黒くて真っ暗なおどろおどろしいもんの時や、恐怖しかなかった転入生の時も、オネェさんはユウジの身体の主導権を積極的に奪っとったように思う。そうすることで騒動の中心からユウジを遠ざけて、いっつも雲隠れしとった。
 つまり主導権を握ることで、ユウジを狙う奴らの前に立ち塞がっとったっちゅーことか。
 で、実際のとこは器の口を塞ぐくらいのことしかできんかったから、それだけじゃ手に負えん時は、三十六計逃げるにしかずしとったと。

「けれど昨日、従兄弟くんへの嫉妬心でゆーじは君から離れ、彼らが虎視眈々と狙っていた器が空の状態で、君は下駄箱を通ってしまった」
「必須になる通過点、やったな。ほな仮に別のとこから校舎に入っとれば、あの空間に踏み込むこともなかったんか?」
「……もう過ぎた過程の話に意味はないと思うけど、そうだね。彼らの存在は、一般的に超常的なものだから誤解されがちだけど、彼らもまた理の上に在る以上は万能じゃない」

 侑士の質問にさんはそう答えるも、更に続けてこうも言うた。

「根本的な原因はわたしだけど、昨日の引き金は従兄弟くんにあった。それは認める。だけど従兄弟くんに罪はない。すべての責任は、こうなる可能性を知りながら放置していたわたしにある」

 ……。……だから、さんはどうして、こう、……だああああああああ!!!!!

 岩どころかダイヤモンドかっちゅー、さんのガチガチの硬さに、悲しいやら苛立つやら泣きたなるやら腹が立つやら、とにかくもやもやして頭を掻き毟りたなる。
 そんな俺の心理に気付いた侑士は苦笑して、さんに向き直った視線にはもっとその色を強めて見せた。

「放置っちゅーか、どうしようもなかっんとちゃう? さんの性質的に、下手に動き回れば感染域が拡大しとったやろし。そう考えると、転校から半年以上過ごしながら自分の座席にしか影響与えてないって、結構なことやで」
「……そんなの、君たちの存在を脅かした免罪符には」
「いいや! 侑士の言う通りや!! 感染域っちゅー言い方は悪いけど、さん、用事がない限り絶対に席を立たへんやん! 遅刻ギリギリに登校したり即行下校したりするのと一緒で、それがさんにできるせめてもの対策だったんやろ?」
「ちゅーか、事の一因はあのオカマにもあるやん。そら本命は小春かもしれんけど、人の身体で好き勝手しとるんやから、俺が受けとる被害分の賠償ぐらい寄越せっちゅーねん」
「俺とユウジ先輩が用足しに立った時、「いってらっしゃーい」言うて完全に見送りの態勢でしたからね。その上、昨日はいつも以上に喧しくてかなわんかったですし」

 チョイスはどうかと思わんでもあらへんけど、なかなかに絶妙な侑士の言葉は、やっぱり自分を“悪”にしたがるさんの主張を根底から覆すもんやった。
 そしてそれを裏付けるさんの日頃の行動を、初めて一緒に昼飯を食べた時、その前の騒動で居心地悪い教室をそれでも出ようとせんかった頑なさと共に、俺ははっきり憶えとる。
 一因になったオネェさんのことかて、転入生の騒動の時点で、さんは既に言うとった ――― ユウジと小春のどっちを選ぶのか、どっちも選ばんのか。けど他ならんオネェさん自身が、ユウジと小春の両方を選ぶ四つ目の選択をした。その選択を怠った結果が、昨日の一件や。
 実際、終始小春に張り付いて侑士を威嚇しとる姿を俺は目撃しとったし、顰めっ面の光の言葉からもそれは明らかや。

 オネェさんが何で小春を気にしとるのかまでは知らんけど、一切の力を持たず霊的存在を知覚できひん以前に、そもそも霊的事象の一切を信じとらん小春よりも、実害に遭うとるユウジの方こそ優先すべきちゃうかと。
 こうして助かっとる今だからこそ、客観的な意見としては思うんやけどな。

 次々挙がる俺らの主張に、せやけど対するさんは眉一つ動かさん。
 何や。ここまで来てまだ何かあるんか? これまでの経験上、悪い予感しかせんのやけど。
 そう身構えたら案の定、さんは初対面の時から今の今まで、通算何発目になるかわからん爆弾を落としよった。

「そもそも従兄弟くんの訪問を招いたのが、わたしだとしても。まだ、そんなことが言える?」
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