一夜明けた翌、五月四日。

 室内どころか敷地いっぱいに満ちた噎せ返るほど濃厚な、清澄せいちょう明澄めいちょうである空気とは裏腹に重苦しい空気をまとい、俺と侑士、光、ユウジ。そして二つの空気を作り出しとると言ってええさんの五人は、さんの家の居間で卓袱台を囲っとった。
 ちゅーのも昨日の件について、説明してもらうにしてもまずは衝撃的な告白に伴う土下座を止めてもらわなと、頑ななさんを説得しとる内にすっかり日が暮れてしもて、また明日改めてと持ち越しになったからや。
 そして迎えた今日、会場に選ばれたさん宅に俺らは集まった。
 ここには心配と迷惑を掛けた白石を始め他の連中も同席したがっとったけど、俺らの説得やなく、文字通りの逢魔が時が招く危険性を理由に土下座を止めてくれたさんが、頑として認めんかった。

 まあ確かに、同じ学校が現場でも、視えへん奴には説明のつかん事象で内々にするしかあらへんかった今までとは違て、今回は下手したら全国ニュースで取り扱われる事件にもなり得たもんや。
 そう考えると、視えも感じもせえへん人間に、必然的に説明する必要が出てくるさんや俺らの事情を含め、今回の件はわざわざ話して無闇に広めるもんやない。いくら半月前みたいな前例があるちゅーても、普通に考えたら非現実的なぶっ飛んだ話やし。
 特にさんについては、その半月前の件や、入学から一週間足らずの新入生にすら浸透する“霊感少女”のあだ名の件もあるしな。

「……わたし、出不精なの」

 そんな経緯と沈黙を経た話は、唐突な告白から始まった。

「学校と買い出し以外では絶対に外出しないし、そもそもしたくない。どうしても出掛けなきゃいけない時は、外にいる時間がなるべく短くなるようにして、用事が済んだらさっさと帰宅するようにしてる」
「……あ、ああ。さん、学校終わったらいつも即行下校しとるもんな。登校もチャイムが鳴るギリギリやし」
「察しの通り、わたしの力は伝染するから。一日の大半を過ごす学校にいる時間が少しでも短くなるように、ね。――― それが今回は仇になった」

 いつでもすぐに土下座へ移行してまいそうな正座をするさんの視線が、悔いるように伏せられる。

「昨日も言った通り、わたしの力は個体としての特性を持たない“もの”に伝染し易く、またわたしとの接触が長いほど効果が持続する」
「ほな、去年先輩が座っとった座席が空席やったのも……」
「あの席はわたしのために新しく用意された席で、転校から半年あまり、学校にいる間はずっと座りっ放しだったから。対して今の座席はほんの一ヶ月前まで卒業生の誰かが座り、途中わずかな時間とはいえ、生きながらに死に、死にながらに生きていた“モノ”が座ったこともあって、今はまだ力が伝染せず彼らにも知覚できていた」

 生きながらに死に、死にながらに生きていた“モノ”って、転入生のことやんな?
 確かに、さんに教えてもろた転入生の“声”曰く、転入生は理解に苦しむ確信を持って、さんの席が自分に相応しいと思い込んどった。つまり、三年二組にあるさんの座席を知覚できとったっちゅーことや。さん自身のことは全くの認識外やったけども。
 現にあの空間でも、さんの今の席には、ここらでは見たことあらへんブレザーの制服着た男子生徒が座っとったし。

「だけど、下駄箱は違った」
「下駄箱?」
「下駄箱は校舎に入る際、必須になる通過点。同時に自分がどの学年、どの学級に在籍するのかを示す場所でもある。それは転じて、自分がその学校に在学する証にもなる」
「……それが、“アレ”の生まれた理由すか?」
「そう。わたしが出不精だから、わたしの所有物でありながら、靴はその影響が稀薄だった。滅多に席を立たなかったから、靴としての用を成していない上靴もね。だからわたしの下駄箱でも彼らは知覚し、利用し、使用されている下駄箱の数に比例する最後の座席を得ようと集まり、思いを同じくして一つになった」

 さんの話に、光とユウジがそれぞれ納得の色を示す。
 そしてさんの言葉は、あの空間で俺が考えたことと図らずも一致しとった。

「だけど霊的存在である彼らに、わたしの力の影響を過分に受けた座席を見つけられるはずがない。でも下駄箱が存在している以上、座席はどこかに存在している。それを見つけ出すためにバンダナくんは招かれ、一緒にいた後輩くんが巻き込まれた」
「やっぱり連中の狙いはユウジだったんやな。ほな、俺と侑士まで向こうに入り込んでしもたのは何でなん?」
「あちらとこちらは表裏一体ではあるけれど、現世と常世とでは全くの別物。それを無理に繋げたがために薄くなっていた壁を、力を持つ君が無意識に通り抜けてしまい、その一瞬を一緒にいた従兄弟くんもまた抜けてしまったから。……あの時は、流石に驚いた」
「うっ……すんませんでした」
「いや、君が謝ることなんて一つもない。すべてはわたしの所為だから」

 ほんまに、あのさんすら驚く出来事だったらしく、当時を思い出すさんの目は遠い。
 無意識とはいえ自ら危険地帯に踏み込んでった己のアホさ加減に、昨日侑士に暴露された幼い頃の自分のアホさ加減も相俟って、一方の俺はあまりにも居た堪れへんかった。思わず謝罪すればさんはあの言葉を繰り返す。

 確かに、そもそもの発端はさんが持つ力にあるのかもしれへん。
 さんの強過ぎる力の影響で、連中は目的を達成できずに徘徊し、その目的のためにユウジを引き込んで、俺らまで巻き込まれたんやから。

 せやけど。

さんの所為っちゅーか、俺的には、単に巡り合わせの問題だったと思うんやけど」
「……どういうことすか?」
「いや、だって“アレ”がさんの席を探して徘徊しとったのって、昨日今日の話ちゃうやろ? さんが転入して来たのは半年以上も前やし、“アレ”も一人とか二人とかの規模ちゃう塊やったし。でも事は今更、昨日になって起こりよった」
「……ああ、成る程。「万物には必ず何かしらの意味があり原因があり、そして理由がある」、やったか?」

 伊達に血の繋がっとらん侑士が俺の意図を察し、昨日光も言うとったさんの言葉を引用する。
 俺は「せや」一つ頷き、首を傾げとる光とユウジにもわかるように言葉を続けた。

「今回ユウジが狙われたのは、確かにさんが原因だとは思う。けどそれは、何で昨日になって事が起こったのか。その意味と理由、原因とは、全くの別物っちゅー話や」
「……言われてみれば、まあ、今更やな。俺は四天宝寺の生徒で、の転入後も普通に登校して、あの校舎で過ごしとったんやから。嫌な話、機会はいくらでもあった訳や」
「せやったら、何が原因で昨日は……」
「その答なら昨日の内に出とる。――― せやろ、さん?」

 あの場所で俺が頭の中で考えるに留めとったことや、俺らの会話の内容を把握しとったくらいや。俺の言いたいことがわからんはずないさんを窺えば、息を呑み、滅多に動じへん表情を強張らせたとことかち合う。
 それはいつも淡々として、こっちの動揺なんか存在してへんみたいに平淡なさんが初めて見せた、ほんの一瞬の隙やった。俺と目が合うたことで取り繕う機会も余裕も失ったさんは、一度は開いた口をすぐに噤んだ。形にならずに消えた言葉がどんなもんだったのかは、自分を悪にしたがるさんのことや。想像するまでもあらへん。
 そしてさんの反応は、この考えが当たっとるっちゅー、何よりの裏付けやった。

「ええよ、さん。変な気遣わんでも」

 俺と同じく真実に気付いとる侑士が、そんなさんに苦笑する。

「この件の原因は俺なんやろ?」
「は? ど、どういうことや!?」
「昨日あっちの世界で、どうして俺らが閉じ込められてしもたのか考えたやん。それを今度は逆説的に考えればええねん」

 そう、つまりや。

 ユウジがあっちの世界に入り込んでしもたのは、オネェさんがいてへんかったから。
 オネェさんがユウジの傍にいてへんかったのは、小春の傍を離れようとせんかったから。
 ならどうして、オネェさんは小春の傍を離れようとせんかったのか。

「俺がおったから、オネェさんとやらは金色から離れようとせんかった」
「侑士にごっつ嫉妬しとったからな。小春が侑士に絡む度、ユウジの身体使て割り込んどったし」
「そこんとこは俺には視えへんからようわからんけど、まあ兎に角、俺の存在が原因だったワケや」
「――― 違う」

 行き着いた答に重々しく静かな否定が割り込んだ。
 見ればさっきの動揺が嘘みたいに消え、削ぎ落としたように表情の失せたさんが背筋を正し、侑士を見つめとる。

「遅かれ早かれ事は起こっていた。それがたまたま、従兄弟くんの訪問と重なっただけで、君は何一つ悪くない。すべての責任は、わたしにある。君が気に病み、責任を感じる必要なんて、どこにもない」

 殊更ゆっくり、言葉一つひとつを強調するような喋り方やった。まるで言い聞かせ、思い込ませようとしとると思うのは、俺の考え過ぎやろか。
 せやけどそれも、侑士の場違いと思えるくらい穏やかな表情と声で紡がれたたった一言の前に、崩れ去った。
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