居心地の悪い沈黙が流れてどんくらい経った頃か。恐らく、実際はものの数秒だったとは思う。
 せやけど疚しいことは何もあらへんはずやのに、妙な居た堪れなさに苛まれるこちらの体感としては、最低でも分単位の時間に感じた。
 そんな間を置いて、やっぱり最初に動いたのは、この空気を作り出した張本人と言っても過言やないさんやった。

「部長くん、そこ退いて」

 一すら聞かずに十を知ってまうさんは兎も角、他の連中が今回の件について、どこまで事情を把握しとるのかはわからん。
 ただ確かなんは、いつまで経っても戻らんユウジと光を探しに行ったはずが、ミイラ取りがミイラになる状態で行方知れずになった俺らを、あの白石が過ぎるくらいに心配しとらん訳がないっちゅーことや。事実、一人だけ真っ先にここへ駆け付けとるし。
 ところが、いざ見つかった心配の一因であるユウジは異性を膝に乗せ、その胸に顔を埋めて微動だにせえへん。そんな何とも言えんシチュエーションで白石を出迎えた。剰え、異性ことさんはそないユウジを放置したまま、驚愕のあまり出入口で立ち尽くす白石に淡々と立ち位置の移動を促す。
 ……無情や。俺かて心配の一因やけど、無性に込み上げて来るもんがあるで。

 但し、さんは見るからにキツいユウジの抱擁に身じろぎしたり、宥めるように背中を叩いたりして、一応は解放を促しとった。それだけは擁護させて欲しい。
 まあどれも逆効果で、そもそも最初にユウジの膝に乗って頭を抱き締めたんは、他ならぬさんなんやけど。

 なんて、当事者の一人やのに第三者みたいな状況に現実逃避という名の遠い目をしとると、慌ただしい複数の足音が近付いて来とるのに気付いた。
 それにはっとした白石が飛び退くように場所を移動した直後、開け放たれたままの戸口から見慣れた面々が駆け込んで来て、さんとユウジの有り様に白石と同様、硬直した。理由は以下同文やろ。
 けど、それを気に止めないのがさんや。右腕でユウジの頭を抱え、手を差し伸べるように、先頭の光と侑士に向かって反対の左腕を伸ばす。

「後輩くんと従兄弟くんはこっちに。わたしの手でもどこでもいいから、兎に角触れて」
「……触らへんかったら?」
「可能性が一番高いのは、肉体は君でも中身が君ではない誰かに成り代わることかな」

 やっぱり駆け付けていきなりアレな態勢を見せられたのが悪いんか、疑心暗鬼の侑士に相変わらずさらっと恐ろしいことを言うたさんは、急かすように二人を手招きした。するとこれまでの経験上、さんへの信頼が大きい光が先に動く。
 光は挙動不審に周りを気にしながら小走りにさんの許へ駆け寄り、せやけどさんが伸ばす手を素通りして、何を思ったんかその首筋に顔を埋める形で抱き付きよった。
 妙な居た堪れなさが再び、嫌な沈黙を引っ提げて漂う。光の行動には流石のさんも驚いたんか、その肩越しに目を瞠ったのが見えた。それもすぐに消えて、ユウジにもそうしとったように、背中を軽く叩いて宥めに入っとったけど。

 この様子でますます怪訝になった侑士が視線で俺を窺って来よったのに、俺は真面目に一つ頷いて返した。
 やってさんが“肉体”っちゅー表現を使たってことは、中身ってつまり、魂とか心のことやろ?
 前に聞いた“死”についての話に則るなら、人を“ひと”として成り立たせとる要素三つの内二つが欠けて肉体だけが残るっちゅーのは、俺ら人が言うとこの“死”には該当せんのかもしれへん。せやけどさんは中身が別の誰かに成り代わる言うたんや。
 それって要は、侑士の魂も心も消えた空っぽの肉体に、逆に肉体を失った別の魂やら心やらが入って、侑士の人生を乗っ取るっちゅーことやん!

 そない事の重要性を理解しとらん侑士は俺の同意でようやく、渋々とやけどさんのとこへ行って、差し出された左手と握手を交わした。
 これで一先ずは安心や。

「これ、何の意味があるん?」
「外的刺激で肉体と魂が分離しないように目眩まししてる」
「……は?」
「あそこは言わば常世。肉体も魂も失った死者たちの世界だから、肉体も魂も持つ生者の君たちは、あの世界の理に反する。それを正すために、今君たちの肉体と魂の繋がりは酷く脆い状態にある」
「…………え?」
「指でつつく程度の衝撃で切れてしまう脆さだから、この世の理に馴染むまで、霊的存在に脅かされないようにしてるの。……わたしの性質については彼らが話していた通り。この力の伝染についても、君たちの推測は大方当たってるよ」

 さっき俺が頭の中で思うに留めとったことを引き合いにしたこともやけど、だから何で、あの場にいてへんかったさんが俺らの会話の内容を把握しとんねん。またさらっと恐ろしいこと言いよるし。
 それがさんなんや言うたらそれまでやし、俺らからしたらこんなん毎度のことやけど、今がさんと初対面の侑士は心霊経験からして今回が初めての素人なんやから、さんのあんまりさに絶句しとるやん。……や、俺らかて玄人ちゃうし、そんなん絶対になりたないけど。

 いろいろ衝撃がデカ過ぎて間抜けな顔で固まる侑士を余所に、それから一分も経たんと、さんは「もういいよ」と手を放した。
 そうして空いた左手を光の、反対の右手をユウジの頭から背中にそれぞれ回して、「君たちも放して」服を引っ張る。
 ここまでされるがままに近かった中でも結構本気の抵抗を受け、ユウジも光も渋々やけどさんを解放する。ようやく顔を上げたユウジは最後に見た状態を思えば健康的な顔色をしとって、せやけど隠せへん疲労が色濃く浮かんどった。ユウジには特に、身体的にも心理的にも強烈な出来事やったし当然や。

 ユウジの膝を降りたさんは三歩、窓側に下がった。そしてユウジ、光、侑士、俺と、順に視線を巡らせる。
 それから俺らに向こて徐に膝を折り、更には床に手を付いて腰まで折った。

「本当にごめんなさい」

 所謂、土下座。
 見紛うことなき土下座。
 ……土下座やった。

「ちょ、ちょっ、さん!? い、いきなり何して」
「今回の件は全部、わたしの所為なの」

 その上、今度は超ド級の爆弾までもが落とされよった。
 さんの突然の行動にぎょっとしつつも、止めさせようと駆け寄った足が途中で止まる。今までとは全く種類のちゃう沈黙が場を支配した。

「ど……ゆ、……意味、や……?」

 引き攣ったように渇く喉から絞り出された声は掠れて、音が跳びまくっとった。それでもなんとか疑問の形だけは取れとる。
 口にしたのは俺の、俺らの。この場におる誰もが抱く共通の問い掛けやった。

「君たちの推測通り、わたしの力は伝染する。特に個体としての特性を持たない“もの”に対して伝染、継続し易い。それをわかっていながら放置していた。本当にごめんなさい」

 さんは床に額を付けて、これ以上ないっちゅーくらい更に頭を下げる。

「こんな謝罪に意味がないことも、この程度のことがあがないにならないこともわかってる。だから赦さなくていいし、絶対に赦さないで。ただ他に、どうやって誠意を示せばいいのかわからない。……ごめんなさい」

 繰り返される「ごめんなさい」は、回数を増す度に震えてっとるような気がする。けど旋毛を向けとるさんが今どんな顔をしとるのか、俺らにはわからん。
 ただ俺の脳裏には、さんが自分は誰も救えないし救わないと繰り返したあの時の、ともすれば泣き出す寸前にも見えた痛々しい表情が過ぎっとった。
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