一先ずの目的は果たせたし、ちょっとした興味で敢えて職員室の前を通って中におるいくつかの気配を確認してから、俺は三人が待つ空き教室に戻った。
 それにしても、空き教室が近付くのに比例して、この空間に対する恐怖心がじわじわ上がってくのが、何とも不思議な感覚やった。そら侑士との物理的な距離が縮まるのに合わせて俺の力は弱まっとるわけやから、さっきまで俺より下だった連中との力関係が逆転して、それが恐怖に変わるのは当然やけど。
 ……あれ? そうすると、俺にとって一番の脅威って侑士の存在やないか?
 力が弱なってたから、さっき“アレ”の存在に気付けなくて、あわや取り込まれるとこだったわけやし。

「謙也! 無事か!?」

 なんて思たりもしたけど、戻って一番に俺の心配をしてくれた侑士をそないな風に思うのも失礼な話や。
 でも普段の俺らの付き合いから考えると、今の侑士って正直、ごっつ気色悪いわ。状況が状況やからしゃーないけど。

 そんな侑士をどうにかこうにか宥め賺してから、ようやく本題に入る。
 俺らの推測の整合性や教室内におる無数の気配たちについて。この空間が俺らと変わらん日常を送っとること。授業時間と休み時間でキッチリ仕切られてしもてる、固く閉ざされた戸について。
 この単独行動で知り得たことを全部話し終えると、三人はそれぞれ難しい顔で黙り込んだ。

「休み時間いうと十分が精々か。教室に入れる時間に制限があるのは厄介やな」
「その十分が来る前に“アレ”をええ感じに二年一組の前に連れてって、チャイムに合わせてユウジ先輩に取り憑かせて、先輩の席に着席する。……やるとしたら相当厳しいっすね。取り憑かれたと同時の着席は不可能やないすか?」
「……いや、手がない訳やないで」
「ちゅーと?」

 否定的な意見ばっかの中で、唯一肯定的な意見を挙げたユウジに説明を求める。

「その席を教室の外に運び出してまえばええ。そのくらいなら十分あれば足りるし、の席に座りたいだけなら、場所はどこでもええやろ」
「ナルホド、発想の転換やな」
「ユウジ先輩にしては冴えてますね」
「光は一言余計や」

 確かに、そうすれば何の制限もなしに席には座れるかもしれんけど、ほんまにそれでええんやろか?
 いまいち納得できひん俺の不満に気付いたユウジは、ユウジには珍しい曖昧な笑みを浮かべる。そんな顔されると、やっぱ何か誤魔化されとる気がするんやけど、俺の考え過ぎなんか。腑に落ちひんわ。

「俺とを信じや」


 俺一人だけが釈然とせえへんまま、俺らが行動を開始したのは、およそ一時間後。時計が意味をなさんから感覚的な読みやけど、授業時間がそろそろ終わりを迎える頃やった。併せて徘徊する“アレ”の現在位置を確認して、間違っても途中で遭遇せんように移動を始める。
 言うても、今回の実行班は“アレ”の感知役の俺と、俺にはどこにあるかわからんさんの席を見つける役の光の二人だけやけど。
 このテの事象に何となくの感覚しか働かん上に、俺を弱体化さす原因である侑士と俺は行動を共にできひんし、これからやって来る休み時間に溢れる連中と霊媒体質のユウジを同じ場所には置いとけへんから、必然的な組み分けやな。

 にしても、隣を歩く光のこの落ち着きのなさは一体何なんやろ。
 普段は賺しとるくらいクールなのに、さっきから顰めっ面でキョロキョロして、視えへん癖に何を探しとるんや?

「謙也さん、ほんまに何ともないんすか?」
「何って、何が?」

 訝る俺の視線に気付いた光は更に顔を顰めておかしなことを聞いて来よる。
 その要領を得ん問いに問いを返せば、今度は諦めたみたいに深々とため息をつきよった。何やねん、その反応は。

「今ほど謙也さんとの力の差を思い知った瞬間はありませんわ。ムカツク」
「おい、さっきから一言余計やろ」
「聞こえるだけの俺でさえ肌で感じるヤバさの中で、けろっとしとる人に言われたくないっすわ。ああでも、考え方によっては、ここのヤバさはその程度っちゅーことか。それなら悪くないっすわ」

 何か知らんけど、人のこと一方的に罵った挙句に無視して、一人で納得してもうたぞコイツ。
 毎度のことながら、俺に対する扱いがあまりに酷ないか? ……や、それこそ毎度のことやけど。悲しいことに。

 無駄口もほどほどに、到着した二年一組の教室前で待機すること数分。チャイムが鳴って、無数の気配が廊下に溢れ出す。かと思えば、連中の出入りが落ち着くのを待って脇に避けとった俺らを更に避けるように、連中が遠巻きにざわめき出す。
 さっきはこっちの存在を認識せんかったのに、急に態度を変えた連中の反応に動揺したのも束の間、すぐ隣で舌打ちが上がった。そして納得する。連中にとって、光は認識できる範囲内の存在なんやな。
 “声”が聞けん俺には、連中がコソコソと噂するような動作で何か言うとる様子しかわからんかったけど、不愉快そうに顔を歪めた光は一刻も早くこの場を離れたいと言わんばかりの態度で、さっさと用事を済ますべく閉ざされとる戸に手を掛けた。――― 瞬間、周りにおった連中の中から何人かの霊が光を追い越し、教室内に消えてった。
 視えへん光は当然それに気付かず、何の抵抗もなく戸を開く。

「……ほんまにここで、俺らみたいな日常が送られとったんすか? さっきまでコソコソと耳障りやったのに、今は不気味なくらい静かなんすけど」
「……そら光のこと警戒しとるからな。自分の席が取られたらかなわんちゅー感じで、全員自分の机にかじり付いとるで」
「ふぅん? 視えへんからようわかりませんわ。まあ、そんなことより、先輩が去年座っとったのって、確かこの辺りでしたよね?」

 そんなことって、さっきここのこと、聞こえるだけの自分も肌で感じるヤバさ言うてたのは、一体どこのどいつや。
 こんな状況やなかったら思わずそんなツッコミを入れたなるほど、光はしっかりした足取りで堂々と ――― 否、ふてぶてしい態度で教室に踏み入ると、連中を無視して適当な机に手をついた。

 その時訪れた感覚を一体どう表現したもんか。筆舌に尽くし難いとは正にこのことっちゅー、とにかく何とも言えへん。
 気付いたら、そこに一つの座席があった。でも俺は光がその机に手をついた瞬間を確かに目撃しとった。なのに今、光が手をついて初めて、俺はあの座席を認識した。そんな感じや。
 矛盾しとるのはわかっとるけど、その矛盾が事実であり、また真実でもあるんや。他に言いようがあらへん。

 一発でさんが去年まで座っとった座席を見つけ出した光は「ああ、ビンゴっすね」呟くと、椅子を机に上げて、俺らの今回の目的やった運び出し作業に入る。
 その周りで、向こうからしたら忽然と姿を消した光の消失に動揺が走っとる。
 けど光はその“声”が聞こえてへんみたいに ――― いや、実際机に伝染しとるさんパワーで聞こえてへんのかもしれん。我が目を疑って出入口に立ち尽くす俺のとこまで戻って来た光は、訝しげに首を傾げた。

「何すか?」
「……俺はここよりお前が恐ろしいわ」
「は?」

 そんなこんなあったものの、無事にさんの座席を持ち出せた俺らは、それを教室棟四階の昇降口とは対角線にある空き教室に置いて、侑士とユウジが待つ特別棟四階の空き教室に戻った。
 その間の“アレ”はっちゅーと、俺らが二年一組に着いた頃は重たい足取りで三階を徘徊しとる思たら、休み時間中はその気配を完全に消して行方を眩ませとった。
 まあ、かと思えば、休み時間の終了と同時に姿を眩ませた位置にまた現れて、徘徊を再開させとったんやけど。
 更に言えば、“アレ”が徘徊するのは一階から三階までで、各階の突き当たりまで行くとどうやってか一瞬で真上の階に移動して、三階まで行ったらまた一階からやり直しとるみたいや。そして特別棟には絶対に立ち入らん。まあ学級教室の座席があっての特別教室の座席なんやから、そこは当然やな。

 このことから、どうやら“アレ”は授業中にしか姿を現さんちゅーことがわかる。せやなかったら、座席を持っとる他の連中が自席を離れられる訳があらへん。
 もし“アレ”が休み時間にもおれば、席を外した隙に横から奪われるかもしれへんし。そうなれば“アレ”も、最後の椅子なんて表現をせんかったら、それを探して徘徊しとるはずがあらへん。

 それにしても、何で“アレ”は授業中にしか姿を現さんのやろ?
 休み時間にもおれるなら、椅子取りゲームみたいなって切りがないのはあるけど、少なくとも“声”がややこしくなるくらい仰山の数の霊が一つになることはなかったはずや。
 やっぱり、自分の席を持っとらんことと、何か関係があるんか?
 まあ席がないっちゅーことは、クラスの一員として数えられてへんかったら、ひいては学校そのものに在籍しとらんっちゅーことにもなる、かもやけど。

(――― あれ?)

 そう思た瞬間にふと、欠けとったパズルのピースが嵌まったみたいな。
 宙ぶらりんやったものがすとんと落ちて、妙な納得を得た。

 ……そうや。“アレ”は自分の座席を探して教室棟の学級教室がある階だけを徘徊しとる。特別教室の方には全く目もくれへんから、“アレ”が求めて止まないんは、教室棟の学級教室にある座席と考えるのが妥当や。
 そして確かに、最後の座席であるさんがもともと座っとった席は二年一組の、学級教室にあった。

 ――― その座席を、俺らはどこに置いて来た?
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