去年の夏休み明けに始まる一から十までの話をしたら切りがないし、悠長にそんなん話しとる時間もないしで、俺が話したのはほんまに極一部の、掻い摘んだ内容やった。
 そんでも、話しながら思い返すその内容の濃さといったらない。それでも今日まで生き抜いてきた自分を賞賛したいような、今や遥か遠い平穏を思って涙したいような、複雑な心境や。掻い摘んでこれなんやから全部話したらどんだけ濃くなるんか、あまり考えとうないわ。
 せやからして、侑士の表情がどんどん険しなってくのは仕方ないっちゅーか、当然のことやった。

「俺の話はこんなとこや。それで、侑士の方は?」
「――― ん、あ、ああ。うん。その前に一つ確認なんやけど、謙也の命の恩人ちゅーそのさんは謙也のこと、よく今まで無事に生きてこられたって言うたんやな?」
「? ああ、碌でもないのに限って好かれる素質があるのに、て。それが?」
「いや、多分それ、俺の影響や」
「……は?」

 コイツは何を言うとるんや?

 そう思たのが露骨に出てたんか、侑士はむっとした顔で俺を睨むと、次の瞬間には呆れたように深いため息をついた。
 今、ものごっつバカにされた気がするのは、絶対に気のせいやないと思う。
 いつもなら噛み付いとる場面やけど、俺だって状況と空気くらい読む。流石にこめかみの引き攣りは抑えられへんかったけど、ここはどうにか努めて冷静な態度だけは保った。

「どういうことや?」
「謙也はいろんな意味で鈍いから気付いてへんかったけどな、自分はこの十数年で、俺が知る限りもう百回以上は命の危機に晒されとるんやぞ」
「…………は?」
「身体だけやなく精神的にも少しは成長したんか、スピードスターを自称しとる今は大分ましになったけど、お前は昔からスピード狂で、その所為か猪突猛進なとこがあったさかい。その上好奇心が旺盛で、どう見ても死にに行くだけでしかない危険な場所へ「探検や!」言うて突っ込もうとするから、その度に俺がどんだけ苦労してお前を引き止めてきたことか……!!」

 途中やっぱりイラッとくること言われたけど、それ以上に、明かされる話に対する驚愕の方が勝っとった。
 そのまま俺の驚きを余所に続けられる秘密の暴露っちゅーか、侑士が秘密にしてきた年月だけ溜まった鬱憤の愚痴と言った方がええ語りに、段々頭が痛なってきた。

「待て待て待て。ちょい待ち。待ってください」
「――― 何や、話はまだまだこれからやぞ」

 右手を突き出して言葉通り待ったを掛けた俺に、侑士もまた言葉通り不満を露わに眉間に皺を刻んだ。
 俺には自覚のない百回以上の危機の数だけ侑士は気を揉んで来た訳やから、この三分足らずでその出来事や愚痴を語り切れんのも、他でもない原因の俺に話の腰を折られて不満げな顔をするのもわかる。わかるけど、ほんまにちょっと待て。
 俺もまた眉間に浮かぶ皺を、突き出したのとは反対の左手で揉み解す。

「詳しい話はここを無事に出たら聞くから、取り敢えず質問したいんやけど」
「……何や?」
「侑士がそういう危険から俺を遠ざけて来たっちゅーことは、侑士には霊的なもんが視えたり聞こえたりしとるんか?」
「いいや、全く。勘が働く言うか、何となくこの先はヤバいとか近付かん方がええとか、そういうのを感じるだけや」

 ナルホド。俺もさっきみたいにヤバいもんが近付くと悪寒が酷いから、それと似たようなもんか。

「ん? けどそうなると、侑士は今回どうして何も感じなかったんや?」

 まあ俺かて、そう言えば昇降口に踏み込んだ瞬間に妙な違和感があったのに、然して気にもせんかったけど。
 思えば、あれが境界を跨いでしもた瞬間だったんやろ。

「それは俺にもわからん。しかも今回はそれだけやなく、こんな状況やっちゅーのに、ヤバいとも何とも感じひんのや」
「……それは、かなりヤバいんとちゃうか?」

 少なくとも、さっきの大きな影はヤバかったで。悪寒が半端なかったし。
 けど実際、侑士は何も感じなかった言うんやから、これはアレか。つまりさんの言葉を借りて能力値的解釈をすると、今回のこの事象は侑士の能力値を超えとるっちゅーことか。そんで最初の違和感を感じ取れた俺の能力値とは競ってると。
 侑士の力がどれだけのもんか俺にはわからんけど、少なくとも俺は、俺自身の力がそれなりに強いことをさんに教えられとる。それがまた碌でもないのにはご馳走なのだとも。

 そんな俺の力と競る今回の事象って、ほんま堪忍してや……。

「なあ、ふと思ったんやけど」
「あァ?」
「さっき便所に行った二人も、ひょっとしてこの校舎に閉じ込められとるんやないか?」
「――― ああっ!!?」

 あまりのことに心が荒んでついガラの悪い声が出てもうたけど、二度目に出た同じ音は別の色を含んで口から飛び出した。
 確かに侑士の言う可能性は十二分に在り得るで。ユウジも光もこんな怪異に何遍も遭遇しとるんやから、今回もそうであったって何ら不思議はない。

 けどそうなると、いつまでもこうして話しとる暇はない。
 素早く立ち上がって教室を飛び出そうとした俺を、今度は侑士が「待て待て待て!」と人のジャージを掴んで引き止める。勢いの分だけ首が締まって「ぐえっ!」蛙が潰れたみたいな声が出たし、床に座っとる侑士に引っ張られた訳やから引き下ろされる形になって、ケツとも腰とも言えん尾骨の辺りを固い床へ強かに打ち付けた。
 無論、激しい痛みに悶えたことは言うまでもあらへん。

「――― っ、お前は幽霊より先に俺を殺す気か!」
「いや、今の流れやと自分から殺されに行っとったパターンやろ。謙也のそういうとこが昔から問題なんやて、さっきも言うたやん」
「うぐっ……!」

 自覚のない危険から長年護られて来ただけに、反論できひん。ついでに否定も。
 けどこのまま黙る訳にはいかん。涙が滲むこの痛みの分だけ、抗議と主張くらいは赦されはずや!

「俺より今はユウジがピンチなんや! 落ち着ける訳ないやろ!?」
「ユウジって、一氏か? ピンチ言うても、俺が言うたのは可能性の話であって、ほんまに二人がここに閉じ込められとると決まった訳では……」
「別にそれならそれでええ。けど可能性がゼロやないならはよ見つけたらな、オネェさんがおれへんユウジなんて、こんな場所じゃ裸も同然や!!」
「待て待て待て、ほんまに待て! 一氏の何がどうピンチで、オネェさんて誰や? 簡潔でええからちゃんと説明せぇ!」

 痛みを堪えてもう一度勢いよく立ち上がった俺を、侑士はまたもジャージを掴んで引き止めようとしたけど、同じ手は二度も食わん。
 更に言えば、そんなに焦らんでも、今さっき注意されたばかりの愚行をすぐに繰り返すほど、俺やって愚かやない。

「ユウジは霊媒体質で、目の合うた霊に問答無用で取り憑かれてまうんや! それをオネェさんが護っとったんやけど、さっきユウジが便所行った時オネェさんはお気に入りの小春の傍におったから、こんな如何にもな場所じゃ今のユウジは裸も同然なんや!!」
「……そない捲し立てられても、オネェさんとやらが誰なんか結局ようわからんけど、今が一氏にとってよくない状況っちゅーことはわかった。――― それで? 謙也はおるかも知れん一氏と財前をどうやって見つけ出して、自衛もできひん身で、どう一氏を護る気なんや?」
「ふぐっ……!」

 痛いとこを指摘されて、俺は呻いた。

 確かに俺には、碌でもないのに限って好かれる素質と、他人の気に同調して精神から死に兼ねない危険性と、それなりに強い視る力ぐらいしかない。
 そんな俺にユウジと光を見つけ出し、更には護り通す力なんてあるはずもない。いつだって、俺は護られる側におったんやから。

 自分の不甲斐なさが悔しくて、どうせそれなりに強い力があるんなら、さんみたいに誰かを護れる強さが欲しかった。そう歯噛みして、気付く。
 せや。俺は、俺らはずっと、さんに護られてきた。真っ直ぐ手を差し伸べられたことは数えられるほどしかないし、それが甘えで、前に約束やと大口叩いときながら恰好つかんし情けないけど、俺らが咄嗟に助けを求める相手はいつもさんやった。

(ほなら、今回だってそうなんやないか?)
「別に、何もできんかって、謙也が気に病むことやないで。人間には向き不向きがあるし、正直俺としては、昨日今日の仲でしかない奴より身内であるお前の方がずっと大事やし ―――」
「侑士」

 どこか聞いた覚えのある言葉で俺を慰めようとでもしたんか、普段聞けば鳥肌もんでしかない、気色悪いくらい優しい声色の侑士を遮る。
 呼び掛けに俺を見た侑士は目が合うと口を噤み、今日一番のふかーいため息をついた。そして如何にも渋々、立ち上がる。伊達に従兄弟をしてへんだけあって、言葉が少なくて助かるわ。

「で、目的地は?」
「三年二組 ――― 俺らの教室や!
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