侑士の突然の帰省から一夜明けた五月三日。国民の休日で授業はなくとも部活はあるから、俺らは今日も学校に来とった。
 それは見慣れたいつもの光景なんやけど、たった一人の存在がぶち壊しとる。――― 言うまでもなく、侑士のことや。
 中学に上がって東京行くまで、関西圏からは離れんでも何度か転校の経験があるからか、それとも部員たちの寛容さか。他の連中が俺らにどこか一線引いとる中、全く気にせず慕ってくれとる点から間違いなく後者の理由とは思うけど、何や昨日一日でごっつ馴染んどるんやけど。違和感なさ過ぎて逆に違和感や。
 とは言え、やっぱり小春に対しては腰が退け気味で。本人はいつも通りにしてるつもりかもしれんけど、昨日が初対面の連中にはわからんでも、俺の目は誤魔化されへん。

 そんな感じで、侑士を交えた部活は問題なく過ぎて時刻は昼休憩に入った。
 五月の暖かな陽射しの元、みんな思い思いのメンバーで好きな場所に散って、弁当やらコンビニの袋やらを広げる。
 因みに俺と侑士の昼は、侑士の訪問を喜んだオカンが作ってくれた弁当や。いつもは休日ぐらいは休ませぇて、昼飯代渡されるのに……。

「にしても、謙也くんがたまに話題にしとった従兄弟くんが氷帝の天才やったなんて! んもぅ、謙也くんたら、何でもっとはよ教えてくれへんの!」
「あ、ああ、すまへん……」

 って、何で俺は謝っとるんやろ。
 せやかて、しなを作っとるつもりなんか無駄にくねくねと動き、拗ねた様子で唇を尖らせ恋する乙女のように頬を染める ――― その実、眼鏡に坊主頭の性別男の中学生がしても気色悪いだけでしかあらへん仕種で迫られれば、反射的に謝罪が出るのはしゃーないっちゅー話や。防衛本能的な意味で。
 あと侑士。俺の隣に座っとるのは構わへんのやけど、人のこと盾にするんやない。小春の目当ては自分なんやから、俺を挟んだところで意味はあらへんで。

 そう思とったら、いらん知恵ばっか働く侑士は、先手必勝と言わんばかりに打って出よった。

「俺のことより、謙也がどないな学校生活を送っとるのかとか、聞かせてくれへん?」
「謙也くんの、話?」
「せや。謙也のオカンに聞いた話やと、何やイイ仲の女子がおるとか何とか」
「――― はあ!!?」

 こ、こいつ! 人をダシにしただけやなく、何ちゅー話をしとんねん!!
 ――― って、いやいやいや。ちょい待ち。そもそもイイ仲て何やねん。そないな相手にも存在にも、当事者の俺には全く身に覚えがないんやけど!?

「前に謙也が世話になったとかで、その礼に夕飯に呼んだらしいんやけどな。物腰が丁寧で、しっかりしたお嬢さんやったって聞いたで」
「まあまあまあ! 謙也くんたら、ワタシという者がありながら酷いわっ!! ワタシのことは遊びだったのね!!?」
「何や、オンナゴコロを弄ぶとは男の風上にも置けへんな。ちゅーか、謙也の癖に生意気やで」
「いやいやいや!! ちょ、侑士! 何を言うとんねん!? 白石も余計なこと言うんやないし、謙也の癖にとは何やねん!!?」

 ああ、もう! これこそ侑士に弄ばれとるやん! 白石も悪ノリしとるし!!
 大体、俺が世話なって、そのお礼にオカンが夕飯に呼んだ女子言うたら一人しかおらへんやん。イイ仲て、邪推もええとこやで。

「それさんのことやから!」

 つい大きなった声でそう言うた途端、人の悪い表情をしとった小春と白石が固まった。
 白石が固まった理由は、まあ、わからんでもない。けど固まったかと思えば、顰めっ面とまではいかんまでも渋い表情になった小春の変化の理由が、ようわからん。
 その他の連中もまあ、転入生の一件からまだ一ヶ月も経ってない訳やから、どこか居心地悪そうにしとる。比較的和気藹々としとった空気がたった一人の名前で一変して、侑士は訝しげや。

さん?」
「そう。俺と白石の同級で、前に帰宅途中で気分悪なっとった俺のことを介抱してくれたんや」
「……ああ、ナルホド。そう言えば、そないなこと言うとりましたね」

 実際のとこはちゃうけど、ほんまのことは言えへんからオカンにもした建て前の事情を話せば、状況を静観しとった光が納得したように頷いた。
 あの翌日、俺を追及してきた光は大まかながら事実を知っとるはずやから、その肯定は本来なら在り得へんはずのもんや。けど流石に、今回は空気を読んでフォローに回ってくれたらしい。ちゅーても普段のひねようと憎たらしさを知る身としては、正直、有り難いよりも怖いんやけど。

「オカンがありもせぇへん深読みして一人で盛り上がっとるだけや。さんには、一回こっきりっちゅー条件で無理言って来てもろたのに、また招待しろてしつこいし……」
「まあ、そんなこととは思とったけど、予想まんまでつまらん」
「何で人をダシにした奴を楽しませなあかんのや」

 侑士がその気なら、今度はこっちから小春が食い付く話題振ったろか。
 そう意思を込めて侑士を睨めば、笑っとった侑士の頬が微かに引き攣る。自分どんだけ小春に対して苦手意識もっとんねん。

 そうため息が出た時、ユウジが徐に立ち上がった。
 昼休憩に入ってからまだ一言も発しとらんから存在感に欠けとったけど、実はいつも通り小春の隣を陣取っとったユウジの顔は、まだ午後の練習があるっちゅーのに濃い疲労の色に彩られとる。けどそれはしゃーない。
 前に聞いた話やと、ユウジにとって部活の時間は、テニスは観る専門ちゅーオネェさんの乗っ取りから解放される、唯一の時間らしい。それが昨日今日の二日間は、侑士の登場にテンション上がった小春が侑士に絡む度に、嫉妬したオネェさんに身体の主導権を奪われては取り返すことの繰り返しやったんやから。ユウジの状態は必然やと思う。

 自分の行動に視線が集まったことに気付いたユウジは「便所」と一言呟いて、ゆっくりとした足取りで校舎に向かってく。その後を「俺も行きますわ」と光が追って、すぐにユウジの隣に並んだ。
 因みにオネェさんは、小春の後ろで「いってらっしゃーい」とでも言うとるように手を振って二人を送り出しとる。
 それに応えるようにひらひらと手を振るユウジの背中に、俺は目頭が熱なる思いやった。だってユウジ、いつもなら絶対無視しとるのに。反応しとる辺りかなりキとるやろ、あれ。

「一氏、やったっけ? 自分らの中で一人だけキャラが安定してへんのもやけど、大丈夫なん?」
「あー……まあ、大丈夫やろ」

 そう思いたい。小春が自重せん限り叶わん無意味なもんやけど。
 少なくとも、侑士の発言に素知らぬ顔しとるオネェさんの方には、自重する気がないみたいやし。

 そんな感じで話しとる内に休憩時間は終わって、白石と小石川を中心にした指示の元、午後の練習が始まった。
 因みにゲームをすることになっとって、侑士の相手は希望者によるじゃんけん勝ち抜きで選出することに決まった。つい十分くらい前に。
 また俺は侑士と従兄弟やし、“氷帝の天才”と試合する機会はいくらでもあるやろっちゅーことで、問題無用に候補から外されとる。別にそれ自体は構わへんのやけど、問題無用っちゅーのが何や釈然とせぇへんわ。自分ら、そこまでして俺のことをいじりたいんか。

「せやけど、ユウジと財前がいてへんから、じゃんけんのしようがないし……」

 どこまで行ったんや、あの二人。そう呟きながら、白石は周囲を見回す。

 じゃんけん勝ち抜きの話が出る更にもう十分くらい前やから、かれこれ二十分以上は経っとるか。便所に行く言うて校舎に向かったユウジと光の二人は、休憩時間が終わった今になっても、一向に戻る気配があらへんかった。
 けど希望者を取ってじゃんけんすることになっとる手前、その話が出る以前に消えた二人の希望を聞かずにじゃんけんを始めてまうんは平等やない。

「金太郎はん、さっき自分も便所に行ったようやけど、二人には会わなかったん?」
「ワイが行ったんは華月の便所やから、二人のことは知らんで?」
「華月って、何でそんな遠いとこまでわざわざ行ったん? 校舎に行った方が近いし早いやろ」
「んー? ……何となく?」

 度量があるし本人も懐いとるしで、金ちゃんの世話をよう見てくれとる銀さんの質問に、当の金ちゃんは期待通りとはいかん答をけろりと返す。
 何となくって、まあ本能で生きとると言うてもええ金ちゃんのことやから、気紛れのように動いても不思議はないからええけど。

「ほな俺がひとっ走り行って見て来るわ。みんなは二人が戻った時すぐにじゃんけんできるように、アップでもしながら待機しとってや」
「あ、それ俺も一緒に行くわ」

 こうなれば次の選択肢はそう多くはないし、適任ちゅーのも限られる。
 その最たる人間として立候補し、言うが早いか駆け出そうとした俺を、侑士の言葉が引き止める。

「侑士もって、自分もアップあるし、侑士がいてへんかったら、二人が戻った時すぐに試合始められへんやろ」
「謙也、俺はこのメンバーと過ごしてまだ二日目やけど、もう十二分に理解しとるつもりやで」
「……何をやねん」
「こいつらがじゃんけんやって簡単に、素直に、決着が着くワケないやん」
「…………」

 どないしょう。否定の言葉が一切思い浮かばれへん。
 いくら自覚があることでも、部外者でもある第三者から改めて指摘されて、俺はそっと目を逸らした。つまり二人の捜索中に当の二人が戻ったとしても、アップする時間は十分あると。そういうことやな。

「それに謙也の通っとる学校がどんなんか興味あるし。何より氷帝っちゅー規格外な学校に通っとると、“普通”の感覚が麻痺してあかんのや」
「……嗚呼、侑士んとこの部長の話か」

 走って行こうと思とったとこを侑士がおるから歩いて校舎に向かう道中、侑士は遠い目をして言うた。
 その口振りに侑士が何を言いたいのか察し、中学進学後に初めて会うた時から聞き続ける“跡部景吾伝説”の数々を思い返した俺もまた、つい遠い目になる。一口では到底語り切れるんもんやないから、割愛させてもらうけど。
 ただ一つ言えるのは、医者の息子である俺らも世間的には富裕層になるんやろけど、跡部景吾の存在はほんまに規格外過ぎるっちゅー話や。

 そんなこんな話ながらやって来た、昨日侑士に呼び止められた昇降口。
 侑士が新しく仕入れた跡部景吾伝説をどこか別次元の出来事のように思って聞きながら潜ったところ、ふと、違和感を覚える。けど何かようわからんままその違和感は消えて、反射的に振り返って見た昇降口から見える外の景色にも異変はあらへん。

「謙也? どないしたん?」
「……いや、何でもないわ」

 俺の突然の行動に、隣を歩いとったはずが先を行く形になってもうた侑士が、足を止めて訊いてくる。
 せやかて自分でもようわからん、それも一瞬で消えてしもた感覚や。何でもないと首を振り、今度は俺が先行して自分の下駄箱に向かう。

 そうして下駄箱の前に立ち、違和感の正体に気付いた時には ――― もう、遅かった。
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