つい昨日、新年度が始まってからようやくカレンダーをめくれた本日五月二日。世間は所謂黄金週間の真っ只中にあった。
 ちゅーても、祝日やなかったら土日でもない平日やから、昨日も今日も、しがない学生にはいつもと変わらん登校日でしかないんやけど。――― そう、平日の登校日のはずなんや。せやのに今、俺の目の前にはおるはずのない人間がおった。夢や幻やなかったら、まさかの心霊現象でもなく。確かに。
 驚く俺の様子を性根の悪さありありに、ニヤニヤ笑て楽しんどるソイツが。

「何で自分がここにおんねん、侑士……!?」
「正月以来会う従兄弟に、随分つれない言い種やなぁ」
「喧しいわ! そういうことは、その気色悪い笑い方を引っ込めてから言えっちゅー話や!! ――― いや、やっぱ引っ込めんでええ」

 心のこもっとらん台詞と表情の不一致に文句をつけたんはええけど、その文句を言いながら、台詞通りの表情した侑士っちゅー、それこそ気色悪いもんを想像してもうたから大変や。全身にサブイボが立つ。
 心霊関係の時とは違う種類の寒気に身を震わせて腕をさすると、侑士も顔を顰めて同じように腕をさすった。きっと俺と似たような想像をしたんやろ。

「で? 何で侑士がここにおるん?」

 ここっちゅーんは、登校日なんやから勿論学校なワケで。
 そやかて、東京の学校に通とる侑士がおるはずのない大阪の、四天宝寺のことや。
 授業が終わった放課後、部活へ行くのに昇降口出たとこを聞けるはずのない声に呼び止められて今に至るんやけど。ほんま何で侑士が大阪におんねん?

「そら勿論、謙也に会いに」
「ど突くど!!」
「何や、いつになくからかい甲斐がないなぁ」
「からかっとったんか!!?」

 侑士の人を食ったような言動が今に始まったもんやなかったら、それを俺によう仕掛けてくることも、今に始まったもんやない。いつものことや。
 そして気が長い方やない俺の性格と、普段はスかした態度しとるけど実際は結構アツくなりやすい侑士が、こんな言葉の応酬からすぐヒートアップすることもまた、今に始まったもんやなかった。せやから売り言葉に買い言葉で、最初の話題から大きく逸れ、最終的には何の話をしとったか忘れることも珍しくあらへん。
 けど、今回の応酬はそこにまで至らんかった。

「はいはい、二人共ちょっと落ち着き」

 声と同時に、頭突き合わして睨み合っとった俺と侑士の間に腕が一本差し込まれる。
 咄嗟にお互い身を退くと、広がった隙間へ更にもう一本差し込まれて、二本の腕を広げ俺らを引き離してできた場所に、今度は身体本体が割り込んできた。

 そこでハタと我に返る。

 仲裁に入った白石の呆れ返った表情にバツが悪なって目を逸らした。
 そんな白石越しの視界の端で、侑士がズレてもいてへん趣味の悪い眼鏡を直す仕種しとったけど、今更取り繕っても無駄っちゅー話や。何カッコつけとんねん。

「お二人さん、仲がええのはようわかったから。どうせ再会を喜ぶんやったら、もっと落ち着ける場所に移動せぇへん?」

 白石の台詞にはいろいろ言い返したいところやったけど、ここが放課後間もない昇降口前っちゅーことを思い出せば、反論は飲み込みざるを得へん。

 べ、別に、無言の圧力が入った白石の無駄のない笑顔が、怖かったからやないで。
 白石からそっと目を逸らしとった侑士はそやったかもしれへんけど、俺はぜ、絶対にちゃうからな!?


 そんなこんなでやって来たのは、侑士の登場がなければとっくに着いとったテニス部の部室やった。
 いくら部外者の立ち入りに寛容ちゅーても、それは学校関係者に限った話であるからして、完全な部外者である侑士を部室に入れるのは問題アリなんやけど。転入生の件以降、今までの比やあらへん注目と言う名の警戒態勢に囲まれとる俺らが落ち着ける場所っちゅーんが限られとるもんやから、こればっかりはしゃーない。
 俺の親戚て身元がはっきりしとるのもあって、白石が部長の職権使た特別待遇や。

「ほほー、ここが四天宝寺の部室か。門構えは立派やったけど、中は案外普通なんやな。おもろない」
「ほっとけ。そないなことより、で?」
「ん? で、って何や?」
「せやから! 何で侑士がここに ――― だあァっ!!?」

 可愛くなかったら薄ら寒くなるだけでしかない小首を傾げる仕種で、それこそおもろないすっとぼけた反応されたことに、気色悪さよりも苛立ちの方が勝って、噛み付く。
 けど言葉も苛立ちも、すべては脳天に落とされた痛みで地面に叩き落とされた。
 物理的に叩き落とされた頭に至っては、地面の前に、間にある机に叩き付けられる始末や。ぶつけたデコが無茶苦茶痛い。悶絶する。

「落ち着け言うとるやろ。その頭は見た目だけやなく中身まで鳥なんか? ん?」
「し、しらい、し……、自分、左腕使た、や、ろ……!?」

 俺は知っとる。白石が左腕に巻いとる包帯の下には、オサムちゃんからパワーアンクル代わりに渡された純金のガンドレットが隠されとることを。そして俺の頭を殴ったもんが、人の拳ではありえへん強度を持っとったことを。
 何しろ、この身に確かと受けたんやからな!

「すまへんなぁ、ウチの謙也がアホで」
「……いや、こっちこそ、ウチの謙也がアホで申し訳ないわ」
「ええて、謙也がアホなんは今に始まっとらんし」
「せやな。今更やったわ」
「自分ら……!!」

 人をネタに、何いらん意気投合しとんねん! ユウジやないけど死なすど!!
 しかも何を和気藹々と自己紹介を始めとんねん!!? ……いや、よう見たら侑士の顔色が悪い。白石を見とるようで実際はその左腕に視線が向いた愛想笑いが、わずかに引き攣っとった。

「ところで、忍足クンは学校どないしたん? 自分、聞くところによると東京の学校に通っとるんやろ。今日は平日やし、登校日やないん?」
「それが休みやねん。俺の通とる学校は金持ちの子息子女が多くてな。そういう連中て連休なるとすぐ海外旅行に行くんやけど、三四日の連休じゃ足りひんて、今日みたいな連休中の平日は学校サボるのが当たり前になっとんねん。そんなんやから、それで生徒の半数に欠席されてまうならて、最初から休みの日にしてもうてん」
「へぇー! そらまた、金持ちの考えることは庶民にはようわからんなぁ」
「せやな。こっちとしては、その休みの分土曜に補講入れられるし、課題出されるし、ええ迷惑やで」

 侑士は肩を竦めた。
 ちゅーか、俺的にそないな話は初耳やし、この連休に侑士が帰省して来るのも、侑士が東京に行って三年目の今年が初めてのことやった。
 せやから今年になって帰省したのには何か理由があるんやないかと思て、三度質問を繰り返す。勿論頭の防御はバッチリや。

「家で待っとればええのに、わざわざ人の学校まで来て何かあったん?」
「んー? まあ、あったと言えばあったけど、もうええわ。済んだことやし」
「何やそれ」

 けど、どうやら俺の考え過ぎだったみたいや。侑士は食えない笑みを浮かべる。
 こうなったら話は終いや。

 侑士のことは放って、はよ部活しよ。昇降口での予期せぬ侑士の登場と、今のこの時間とで、すっかり遅なってもうたわ。
 そう考えた俺が着替えを始めたのに白石は一瞬戸惑った顔で侑士を見たけど、当の侑士は人のとこの部室を物珍しそうに見回すばかりで、全く気に止めとらんどころか、そもそも気付いとらん。
 納得したみたいに白石は一つ頷いて、俺を真似して仕度を始める。

「なぁ、折角やし、自分らの部活見学してってもええか?」
「何や、もう全国に向けた偵察か?」
「アホ。そんなんせんでも、勝つんは俺ら氷帝や」
「はっ! 寝言は寝て言い。大体」
「――― はい、そこまで。もう一発もらいたいん?」
「……」
「……」

 言葉の応酬が加速する前に、白石が仲裁に入って目の前でその左腕を揺らす。
 俺も侑士も黙らざるを得へん最強の脅しやった。

「用意が済んだんならはよ行くで。忍足クンも、見学でも偵察でも好きにしてええよ。部長の俺が許可したる」
「……ほんまにええん?」
「ええて。全国の頃には今よりもっと強なっとるから、今のデータが取られたところで、痛くも痒くもないし」
「自分、なかなか言いよるな」
「ははっ、それほどでも。何なら練習に参加してもええで?」

 白石は楽しそうに笑て、俺の肩を叩くと一足先に部室を出てった。間もなく、小石川を呼ぶ白石の声が微かに届いた。
 残された俺らは思わず顔見合わせて、お互い肩を竦める。
 またあの凶悪な鈍器に殴られたないし、一先ずは休戦や。手ぶらの侑士に、しゃーないから予備の着替えとラケットを貸したる。部長の許可がおりとるし、侑士も練習に参加するかどうかなんて、確認するまでもあらへん。

「あ、せや」
「ん?」
「言うても無駄とは思うけど、一応言うとくわ。眼鏡の坊主頭には近付かん方がええで。逆に向こうが近付いて来たら、全力で逃げた方が身のためや」
「何や、それ」
「すぐにわかるて」

 俺の忠告に首を傾げる侑士がその意味を知るのが、そう遠くない未来であることは、言うまでもあらへん。
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