そして次に、小石川は渦中にある転入生へ向き直った。

「そういうことで神野さん。部員の勝手で招いといてこんなこと言うのは申し訳ないんやけど、テニス部への入部は諦めてもらえへんか」
「っ、で、でも! 全国を目指してるなら、やっぱりマネージャーがいた方が……!」
「全国目指しとるのは俺らだけやないし、そんなにマネージャーがやりたいならちゃんと募集してるとこに行った方がええで。ここよりよっぽど歓迎されるはずや」
「だからっ! あたしがなりたいのはテニス部のマネージャーなの!!」

 まるで癇癪を起こした子供みたいに、転入生は叫ぶ。
 酷く憎らしげに小石川を睨み付けるその顔は、人より整っとるからこそ余計に凶悪さが際立って、正に般若の如く。人一人殺しとると言われても、違和感どころか納得できるほど恐ろしいもんやった。
 こうして露わになった転入生の本性をきっかけに、場の空気が一変する。転入生に魅入り、小石川の反対に険しい顔をしとった連中が急に、戸惑った様子で動揺し始めたんや。中には白石に負けず劣らず蒼褪めたり光に負けず劣らず顰めっ面しとったりと、何かを予感させる反応をしとるもんもいる。
 その中でも小春は、転入生の態度の急変に混乱しとるようやった。信じられへんっちゅー顔で転入生を凝視しとるけど、俺からすれば今日知り合うたばかりの相手の、一体何を以て信じられへんのかがさっぱりや。

「……わかった」

 ため息混じりに小石川は言う。
 聞き方によっては小石川の方が折れたようにも受け取れるそれに、転入生は満足げで嬉しそうな顔をした。一方で正気に返った連中は、嫌そうに顔を歪める様変わり様や。
 けどお互い、それは束の間のことやった。

「そこまで言うなら、もうハッキリ言わせてもらうわ」
「……え?」
「全国への第一歩が懸かった地区大会まで約二ヶ月。たった二ヶ月や。その間俺らは練習だけやなく、引退後に残る後輩たちの指導もせなあかん。つまりマネージャー経験のない人間に一から仕事を教えとる暇なんて、俺らには全くないんや。しかもそれが長くてもあと四ヶ月で引退するのが決まっとる三年生部員ともなれば、そもそも育てる意義が見出せん」

 確かに。マネージャー経験がないっちゅーことは必然的にそういった知識にも乏しいんやろうから、こっちは一から鍛えたらなあかん。けど俺ら三年に残された時間は半年もない。育てたところで俺らと一緒に引退する身なんやから、何とも非生産的な行為や。ならその分を練習時間に回した方がよっぽど採算が採れるわ。
 そしてこの非効率さは、同時に一つの疑問を生んだ。

「何より、そない熱心にテニス部のマネージャーになりたい言いながら、前の学校でその経験がないっちゅうのが俺には不思議でならん」
「それは……ま、前の学校にはテニス部がなかったから……!」
「それはそれで意外やし、いろいろとおかしな話やな。……ちゅうか根本的なことを言えば、経験とか知識とかの前に、俺は神野さんがマネージャーには相応しくないと思っとる」
「な、んですってッ!?」

 頭からの否定に転入生はいきり立つ。
 けど小石川の態度はどこまでも冷静やった。

「別に部外者の立ち入りを禁じとる訳やないけどな。いくら呼ばれてたから言うても、練習中で場合によってはボールが飛んどるコートへ、一切の断りもなく、シューズやなくローファーで、堂々とコートの中を突っ切って、練習を中断させたことにも気付かず気に止めず、部員の一人とお喋りに興じる。剰え自分がマネージャーになった暁には練習を差し置く発言をしたその部員を諫めるんやなくて、手伝われて当然とばかりに喜んどる。……そんな人間、マネージャーとしても人としてもどうかと思うで」

 印象には欠けるけど、キャラの濃いメンバーばっかりやからこそ逆に際立つ穏やかさが売りの小石川が口にしたとは思えへん、辛辣な言葉の連続やった。わざとらしいくらいに区切って言うから、余計に厳しさが増しとる。
 怒りか羞恥か、それとも両方からか。転入生は顔を真っ赤にして震えた。
 そしてギッと今までで一番凶悪な顔で小石川を睨むと、たった今指摘を受けたばかりやっちゅーのにコートの中を突っ切って、荒々しく飛び出してった。限界まで勢いよく開かれて跳ね返ったフェンスが中途半端なところで揺れとる。

「……何をボケッとしとるん、手が止まっとるで。早く練習再開しぃや」

 何とも言えへん場の空気をため息一つで流して、小石川は何事もなかったかのように部員たちを促す。
 そうして各々が動き出す中、夢から醒めたみたいにぼんやり立ち尽くしとる小春に、小石川は「ほら、小春も」本来の穏やかな声音で呼び掛ける。

「後輩たちが待っとる。早く行ったり」
「え、あ……うん……」

 小春は見たことない大人しさで素直に頷いて、自分の指導を待つ後輩たちの許へ少し覚束ない足取りで向かってった。
 そして次に、小石川は部長としての立つ瀬なく突っ立っとる白石に向き直る。

「一人で勝手言うてすまんかったな。けど流石に、アレはないっちゅうか……」
「い、いや。小石川が言うてたことは尤もやし、俺も同意見やったから。こっちこそ嫌な役させてもうて、すまんかった」
「部長を支えるのが副部長の役目なんやから、そら気にすることやないで。それよりまた顔色悪いし、ここは俺らに任せて、白石は少し休んどき」

 言うて小石川は白石の肩を軽く叩き、俺らにも「謙也とユウジも走り込みの途中やろ。はよせなメニューが終わらんで」と声を掛けて、後輩たちの指導に戻ってった。

「……嬢ちゃんが予言した通りやな」

 ぼそり、横におるオネェさんが呟く。
 それに俺は、さっき後輩の一人を経由して届いた四つ折りの紙をもう一度開いた。紙の大きさと行線の数に対して、そこに書かれとるのは真ん中にたった一言。

“副部長くんに任せれば問題なし。”……小石川って何者なんや?」
「さあ? ワタシにはただの人間にしか見えへんけど、あの子が正気になったんなら何でもええわ」

 ほんまに小春以外はどうでもええって調子でオネェさんは言うと、次の瞬間にはユウジの身体から飛び出して、今度は草葉の陰やなく小春の傍を浮遊して付きまとい出した。そんな光景に、ナルホドあんなん確かに凝視せん訳にはいかんわと、ユウジにとっては苦々しい思い出を追体験する。
 その当事者のユウジは、オネェさんが出て身体の自由を取り戻したものの、当時を思い出す光景を見てしもたもんやからか、開放感を味わうよりもこれ以上ないくらいの顰めっ面を浮かべとった。
 下手な慰めは身の危険を招くから、悪いけどユウジのことはそのままにして、俺は小石川に叩かれた肩を押さえて何故か驚愕顔しとる白石に近付いた。

「白石? どないしたんや?」
「――― あ、謙也。……なあ、小石川って何者なん?」

 それ、今さっき俺も言うた台詞や。
 けどさんからのメッセージを見た訳やない白石の口から、どうしてそないな言葉が出るのか。

「何者って、叩かれた肩、どうかしたんか?」
「肩がっちゅうより全体的にやけど、転入生が来てからごっつ気分悪かったのが小石川に叩かれた途端、急に軽なって……」
「何やそれ。つまり健坊には、みたいな力があるっちゅーことか!?」

 追って来たユウジが信じられへんとばかりに驚く。
 確かにそれなら、さんが“副部長くんに任せれば問題なし。”いうたのにも納得できる。
 けどそれやと、オネェさんが何で小石川を“ただの人間”言うたのかが疑問や。そんなさんみたいな力を持っとるって、全然“ただの”やないし。

「……明日、さんに訊いてみた方がええな」

 預かっとった白石の分のプリントと一緒にさんからの手紙も渡すと、中身を読んだ白石はそう結論する。
 放課後はさっさと帰ってまうさんを部活中のこっちが捕まえるのは無理な話やから、まあそれが妥当やろ。

 話がまとまると、俺らも他の連中に遅れて、転入生が来る前までしとった続きに戻った。
 そうして後にしたコートの方から、どうやら戻って来たらしい金ちゃんの「毒手はいややああああああああああ!!!」っちゅー悲痛な、せやけど自業自得が招いた悲鳴が聞こえたけど、俺とユウジは黙々と走り込みを続けた。
 強くあれ、金ちゃん……。
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