「んもぅ! 二人共、来るのが遅いやないの!」

 如何にも待ち草臥れたっちゅー台詞を口にはしとるけど、一度しか人のこと呼ばんかった上に、今の今まで転入生と話して盛り上がっとった小春には微塵の説得力もあらへんかった。
 更に言えば、小春は俺らに対して苦言を呈しとるはずなのに、その意識だけは転入生の方に向いとる。行き当たりばったりに見えて実は計算高く、敢えて空気を読まへんふざけたところはあるけど、俺らの中では一番オトナな金色小春には在り得へん態度や。これが転入生の齎した変化と思うとまた恐ろしく、同時に怒りに似た感情が湧いてくる。
 隣におるオネェさんなんて、まとっとる空気の険が増したで。せやけど小春は、いつもなら気付くその変化に全く気付かん。

 俺とユウジの身体を借りとるオネェさんが来ると、小春はぐるりと視線を巡らす。
 つられて俺も周りを見れば、ここには今、新入部員たちの相手もあって各々別に動いとったはずの三年 ――― 俺自身も含んどるから、ちと憚られる言い方ではあるけど ――― レギュラーメンバー有力候補の面々が集まっとった。因みにまだ候補なのは、レギュラー決めの試合をするのが来週でまだ未確定だからや。
 尤も、その一人である千歳はどうやら酷い放浪癖があるらしく、初日に顔を出して以来部活どころか校内でも姿を見掛けへんから、当然今もいてへんし。また候補っちゅー点で言えば最有力の、部活開始前にあんだけテニスやテニスて騒いどった金ちゃんも、いつの間にかどこにも見当たらへんから、全員集合って訳ではあらへんけど。

「それで、練習中にいきなり集合掛けてどないしたんや?」

 転入生が側におる影響で顔色の悪い白石を気にしながら、代わって小石川が、代表して小春に問い掛ける。
 いろんな意味で濃いメンバー内やと影が薄くて存在を忘れられがちやけど、副部長として縁の下の力持ちよろしく部長を支えとる小石川は穏やかな性格の持ち主や。せやのに今の小石川からその性格は鳴りを潜め、伴って口調が鋭くなっとる。
 それに少なからず戸惑いは覚えたけど、思いは同じやから指摘はせぇへん。

「よくぞ聞いてくれたで、健ちゃん!」

 そして、いつもなら気付かんはずがないそれにやっぱり気付かず、小春は両手を合わせる。

「これだけの別嬪さんやし、もうみんな知っとると思うけど、この子は神野じんの愛子あいこちゃん!」
「初めまして、神野愛子です。いろいろあって始業式に間に合わなくて、今日付けで転入して来ました」
「謙也くんと蔵りんのクラスやから、二人は勿論知っとるやろ」

 小春の紹介を受け、転入生が一歩前に出て笑顔で頭を下げる。俺ら ――― 特に白石のこと ――― をじっと見つめる、あの恐ろしい視線付きでや。
 しかしながら、俺が転入生の名前を知ったのは今が初めてやった。クラスでの自己紹介の時はそれどころやなかったし、そもそも存在を知ったこと自体、今朝が初耳や。特に名前については、ずっと転入生呼びやったから多分白石も知らんと思う。けど流石にそれは言えんから、一先ずここは愛想笑いで誤魔化しとく。……転入生の笑みが深まった気がするのは気のせいや。絶対に。

「それで、神野さんは何でここに?」
「えっと……」
「そのことなんやけど、みんな可愛くて美人なマネージャー、欲しくなーい?

 瞬間、雷に打たれたみたいな衝撃を受けた。
 何に則るのかわからん定番と恐らくは夢小説っちゅー代物に係る王道には、元の習慣と転入生に対する言いようのない恐怖から、乗りようもあらへんかったはずやった。少なくとも俺と白石、光とユウジの四人は。
 けど思えば、俺ら四人なんて新入部員も入れて五十人近くおる部員数のほんの一握りや。そんな俺らだけが転入生をマネージャーに誘わんでも、誰か別の人間が誘う可能性はいくらでもあった。現に今、らしくない小春が転入生の望みに叶った行動を取っとる。完全に油断で、盲点やった。

 このままじゃ、このままやったらあかん。何とかして転入生のマネージャー就任を阻止せな!
 せやけど何て言えばええ?
 理由を正直に話せばええんか?
 いくらさんの証言いうても、霊感ゼロの小春にも姿が視えて、声が聞こえて、触れられる。生身の人間と変わらん存在が、“ひと”やないかもしれへんなんて、そんなこと。いくらなんでも信じてもらえる訳がない。

「えっ!? マネージャーだなんて経験ないし、あたしには無理よ!」
「無理なことなんてあらへんて! わからんことはアタシに遠慮なく訊いてくれてええし、手伝ったるから!」
「ほんとに? ありがとう、小春ちゃん!」

 遠慮がちな態度を見せてはいるけど、転入生の瞳、表情、まとう空気には、ありありとした歓喜が滲んどった。
 対外的なもんやとわかる口先だけの言葉に、その綺麗な顔の裏に隠れた醜い本性を垣間見た気がする。
 何より、まるでマネージャーになることが決定したかのような感謝の言葉。

(もう終いや……)

 そう思った時やった。

「俺は反対や」

 客観的な見方をすれば、美少女転入生がマネージャーになる。
 そんな思春期の中学生の男子部には嬉しい話に俄かに沸き立っとった場の空気が、小石川のハッキリとした否定の言葉によって静まり返った。

「こう言うたら失礼やけど、テニス部にその子は必要あらへん」
「な ―――」
「何を言うとるのよ、健ちゃん!? これから全国目指してやってくんやから、練習に集中するためにも愛子ちゃんがいてくれた方がええやろ?」
「俺から言わせれば、そう言う小春こそ、さっきから一体どないしたんや?」

 噛み付くような小春の言葉に対して、小石川は冷静に、そして怪訝そうに眉を顰める。

「俺らに何の相談もなしに、今日転入して来たばかりで右も左もわからへん神野さんを、突然マネージャーにしたいやなんて。小春らしくないで」
「べ、つに、ウチかてたまにはそーゆー行動に出ることくらいあるわ。人間なんやし、思い立ったが吉日言うやろ」
「いや、他にもあるで。本人も驚いとったくらいやし、神野さんもマネージャーの件は今ここで言われたのが初耳やったんやろ? 俺らにどころか当事者の神野さんにも相談しとらんて、おかしいやろ」

 小石川の指摘に小春は沈黙する。知能指数の高さに合わせて頭もよう回る小春が論破されるなんて、初めてのことや。
 けどこれは同時に、理数脳の小春がそれだけ理に適ってないことしとる“らしくない”ことへの何よりの証拠とも言えた。

「言うても、俺やって男やし、可愛くて美人なマネージャーが欲しくない言うたら嘘になる。そんな魅力的なマネージャーに応援されたら志気も上がるやろ」
「っ、せやったらッ!!」
「けど、神野さんの存在は寧ろ逆効果や。周りを見てみ。神野さんが現れてからずっと、みんな手が止まっとる。張り切るどころか意識し過ぎて全く身が入っとらん」
「……」
「それに小春。神野さんにわからんことがあったら手伝うて、レギュラー候補が何を言うとんねん。全国目指して練習に集中するためにマネージャーが欲しい言うときながら、逆に自分がマネージャーを手伝ったら本末転倒やないか」

 今の小春よりもよっぽど理に適った小石川の言に完敗を喫した小春は、自分の意見を真っ向から否定されて動揺しとるようやった。
 人より頭がええだけに、今まで口で負けたことがなかったんやろう。反論の言葉を探しとるのか目が泳いで、でも結局、小春はそのまま沈黙し続けた。
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