「あいつはもともと小春に憑いとったっちゅーか、付きまとったんや」 ユウジの衝撃的な曝露話は、これまた衝撃的な言葉から始まった。 「言うても、小春には全く霊感ないし、そもそも幽霊とか非科学的なもんを信じるタイプやないから、微塵も気付いとらんかったけどな」 「そ、それがまた、何でユウジに……」 「前にも言うたやろ。俺は目が合うた奴に問答無用で取り憑かれてまう霊媒体質なんや」 ふっ、とそこでユウジは自嘲気味に嗤う。 「入学式の会場で、あないどギツいピンクのヒラヒラした服着てクネクネする半透明のおっさんが浮遊しとるのを、凝視せぇへん訳がないやろ……!」 「……」 慟哭と言ってもええ嘆きに、俺は返す言葉が見つからんかった。何しろ俺も初見でオネェさんを凝視した身や。 確かにあんなんが視界に入ったら見たなくても見てまうし、それが自分以外の目に止まっとらんのなら、我が目を疑って凝視ぐらいするわ。 「それで、目が合うてもうたんか」 「せや。しかも見た目だけやなく中身も強烈で、人の身体の主導権奪った挙句に公衆の面前で小春にプロポーズ紛いのことしよって……っ!!」 「……ああ、あれか」 思い出すのは二年前の今頃。ごっつ頭のええ子供がおるて、この辺りでは有名やった金色小春が私立の進学校やなく公立の、それも勉強より笑いに比重が寄っとるここ四天宝寺に進学したっちゅーことで、ただでさえ話題性も注目度も充分やったのに。 当然の如く新入生代表に選ばれた小春が登壇して、答辞を読み上げようとした、正にその瞬間やった。 座っとった椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がった一人の男子生徒 ――― ユウジやった訳やけど、知り合う前やから当時の俺はまだ知らん相手やし、俺の座席の位置からは顔もよう見えへんかった ――― が叫んだんや。 「「金色小春さん! 俺の一生涯に渡る相方になってください!!」やったか」 「それを言うんやない!!」 またも悲痛に叫んだユウジの握る拳は震えとって、身の危険を感じた俺は咄嗟に距離を取った。 思い返せば、天才様っちゅー頭の固そうなイメージと先入観から冷たい反応するとばかり思とった小春が、オネェさんが言うたと考えれば本気で言うとったと今になってわかるあの言葉に、予想も予想外も斜め上をいくノリと笑いで返したことから始まった二人の関係。そして、ユウジのガチホモ疑惑や。 当時のことを思い出して改めてショックでも受けたんか、拳を解いて項垂れとるユウジには、やっぱり同情を禁じえん。 かと言って、不用意に近付いてさっき白石にしたみたいに肩を叩くような真似はせぇへん。そんなことしたら八つ当たりされるのは明白やで。 取り敢えず、我が身可愛さの危険回避に過去の話は止めて、今現在の話をしよ。うん。 「ところで、小春が“彼”なら、オネェさんはさんの言葉を借りれば小春を護りたいんやろ? 何であんなこそこそ、見守る言うか逆に射殺さんばかりに睨み付けとるん?」 「あ? そんなん俺が知る訳ないやろ。俺はほど力強ないし、ただ視えて聞こえて、取り憑かれ易いだけなんやから」 「さ、さよか」 途端に険を取り戻したユウジに気圧されて、どうやら選択を間違うたらしい話を一刀両断された ――― 刹那のことや。 ぞくり、悪寒が背筋を撫でる。 あまりに唐突で、心構えもなんもできてへんかった身体が瞬間的に竦み上がる。足が止まった。 併走しとった俺が突然足を止めたから、ユウジは数歩先で同じく足を止めて振り返る。そして訝しんだ表情もほんの一瞬。よっぽど酷い顔色しとるのか、俺の顔を見るなり驚愕にすげ替わる。けど俺の心中は今それどころやない。 ひたり、ひたり。じわじわと、確実に背筋を這い上がる悪寒。 鼓膜を支配する鼓動は喧しく騒がれるよりも、逆に耳につくほど静かに、せやのに力強く脈を打っとる。 漠然と。せやけど明確な、暗い恐怖を感じた。 ――― この感覚を、俺は知っとる。 「ユウくーん!! 謙也くーん!」 いつもより声のトーンもテンションも一つ高い小春が俺らを呼んどる。 目の前のユウジが条件反射的に、一足先に反応して、声のしたテニスコートへ視線を転じようと動いた、ほんの数瞬前。ユウジが振り返ろうとしたコート脇におったはずのオネェさんが、タックルの勢いでユウジに突っ込んだ。 普通やったら衝突しとるはずの場面やけど、幽霊のオネェさんとそんなことが起こる訳はなく。かと言ってすり抜ける訳でもなく、オネェさんの身体は吸い込まれるみたいにユウジの中へ消えた。その瞬間にユウジの身体はほんの一瞬だけ硬直を見せとったけど、何事もなかったみたいに動作を続けた。多分今のが、身体の主導権がオネェさんに奪われた合図や。 「あのクソアマが……」 そしてそのユウジ ――― オネェさんが、近くにおった俺にしか聞き取れへん声量で、低く唸るように暴言を吐き捨てた。 その言葉、背筋を這う悪寒に、コートの方で今一体何が起こっているのか嫌でも察してまう。 ほんまは見たない。けど名前を呼ばれて、目の前におるユウジが反応しとった以上聞こえてへんかったフリも出来ひん。 せめてもの抵抗と己を奮い立たせる覚悟を決める猶予に、緩慢に振り返る。そして文字通り異色の存在が目に付いた。コート内におる小春の隣に当たり前みたい立ち、俺らの視線に対して、普通ならドキッとしてもええのに寧ろゾッとする完璧な笑みを浮かべとる、転入生の姿が。 コート内に部外者は立ち入り禁止とか、四天宝寺の校風やテニス部の気質からそないな固い決まりがある訳でもないから、転入生がそこにおることには百歩譲ったる。たとえ練習中のコートに入り込む、常識に欠ける行いが目にあまるとしても。 今それよりも問題なんは、転入生がここにいること自体そのものの方や。 手招きしとる小春を、こうして振り返った以上は無視する訳にもいかず。 けど本能はそれを拒絶しとる。そちらに向かう一歩を踏み出せないんやなく、踏み出したない。 オネェさんも、大好きな小春に呼ばれとるのに射殺さんばかりの鋭い視線を向けたまま、苛立ちを隠さず微動だにせぇへん。状況は膠着しとった。 「あの……」 そこに横から、躊躇いがちな声が掛けられた。 さん以外からは久し振りに受ける全くの不意打ちで、俺だけやなくオネェさんも驚かされて振り向くと、そんな俺らの反応にこそ驚いた顔した新入部員の一人が肩を揺らした。 「す、すんません」 「……いや、何も謝ることはないで。それより、どないしたん?」 咄嗟と言える後輩の謝罪に首を振り、努めて冷静に対応する。 驚いたのは一瞬で、また元の険しい表情に戻っとるオネェさんに怯えを見せる後輩を庇うように、二人の間にさり気なく移動して言い淀む先を促した。 「あの、これを渡して欲しいて、言う先輩に頼まれて……」 「――― さんから!?」 「は、はい。謙也先輩と、白石部長にも。帰りのSHRで配布されたもんやからって」 言うて二枚の藁半紙を差し出されたけど、俺はそれを受け取らずに辺りを見回した。せやけどどこにも、さんと思しき姿を見つけるけとはできひん。 ……いや、もともと受動的にしか見つけられへんけど。気持ちの問題や。 「えっと、先輩……?」 「あ、ああ、おおきに。白石の分は俺から渡しておくわ」 「ありがとうございます。それから、これも」 藁半紙を受け取ると、次いで今度は四つ折りにされたルーズリーフを差し出された。 何となく見覚えを感じるそれに首を傾げると、後輩は「これも先輩からです」言うた。確かに言われてみれば、さんがノートに使てるルーズリーフもこんなんやったと納得する。 「練習中にすまへんな」 「いえ。噂の霊感少女と話せた上に不思議な体験ができたんで、こっちこそありがとうございました。早速友達に自慢しますわ!」 紙三枚を渡すように頼み頼まれるだけの、然して時間を要さんやり取り中に一体何が起こったのかは知らんけど、九死に一生しか経験しとらんこっちには羨ましい限りの昂揚振りや。 入学から一週間足らずの一年にまで認知されとるさんに何とも言えへん気持ちになったけど、練習に戻る後輩を見送って、手の中に残った四つ折りの紙を見ればそれどころでもない。 「その紙、あの嬢ちゃんの私物やろ」 後ろから横に移動したオネェさんに問い掛けられる。 せやけどその内容に奇妙さを覚えた。首を傾げると、オネェさんは「気付いとらんのか」と呆れたみたいな顔をする。 「嬢ちゃんの触れとる人間がアタシたちには知覚出来ひんようになるのと一緒で、嬢ちゃんの持ち物も、アタシたちには知覚出来ひんのや」 「えーと、つまりオネェさんには、このルーズリーフが見えてへんっちゅーことか?」 「今はこの子の目を介しとるから見えとるけど、この身体から出たら……どうやろな。いやでも、いつもよりハッキリ見えとるし、それほど影響されてないんか? ……訳がわからんわ」 後半は独り言だったみたいで、思考を放棄したオネェさんは顎をしゃくる。 「それより、手紙やろそれ。はよ読みや。自分で手渡せばええプリントを人に頼んで、言伝やなくわざわざ紙に書いたんや。多分あのクソアマに関係したことやろ」 「あ、ああ。せやな」 手招きした人間、それも内一方は相棒であり相方やのに。 呼んだのは最初の一回だけで、今は転入生と楽しげに会話しとる小春を鋭く見たオネェさんに急かされて、俺は四つ折りにされとるだけの紙を開いた。 027*130316
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