あれから一週間が経った。

 人によっては長くも短くも感じられる微妙な日数やけど、俺の個人的な感情で言わせてもらえば、“まだ”一週間しか経ってへんっちゅーのが正直なところや。
 そんだけ一日一日が長く感じられてしゃーない一週間やった。ほんまに。

 こちとら突然の怪奇現象と立て続けた心霊現象に殺され掛けたんや。
 人の口に戸は立てられへんとはよく言うたもんで、二年一組の教室がアレなことになったのと併せて広まった当時の話に、好奇の的は必至やった。
 ただ内容が内容なだけに、流石の四天宝寺生と言えども突っ込んだ話をしてくる奴が誰もおらんかった上に、ダチたちもよそよそしくどこか遠巻きにしてくるもんやから、そらもう酷い針の筵状態やった。これならいっそのこと、無遠慮でも何でも踏み込んで来られた方がいくらかマシだったっちゅー話や。

 そんでも俺の状況は、さんに比べればまだええ方やった。
 何故ならさんの本意がどこにあろうと、一連の出来事はさんを中心に巻き起こったもんだったからや。

 光が授業中の他学年の教室に乗り込んだのはさんを探してやし、何より不吉な内容の話を一方的に終わらせたさんを引き止めようと白石がその肩を掴んだ瞬間に、あの怪奇現象は起こった。
 俺らはそれが、霊的存在に一切の認識をされへんさんとの接触によって、他人もまた同じような効果を得られるっちゅー説明をさん本人にされたから。あれが、さんに触れた白石を見失った霊たちの混乱からくる発狂やったとわかる。
 せやけど傍はそない事情を知るはずもないから、自分が見て聞いたもんだけで判断するしかあらへん。

 つまり、あれ以来、さんは周囲から孤立しとった。
 ちゅーても、その力を理由にもともと人付き合いを避けて来た言うさんやから、孤立したところで日常には何の変化もないらしい。これは隣の席の白石も認めるところや。

 それはそれでさんに友達がおらんちゅー、別の問題が浮上ちゅーか事実が発覚ちゅーか、してもうたけどな。ははっ……。


 そんな昼休みの出来事やった。

 どこに行っても居心地が悪うて、同じ気持ちの白石と肩身狭く一緒におることが多くなった俺は、必然的に一組の教室に入り浸ることが多なった。
 ほんまは白石共々、他より休憩が長い昼休みは人目を避けたいところやけど、それもこれも注目を意に介さず堂々しとるさんがまさか「一緒にお昼にしよう」と誘ってくれる上に、移動することを頑として譲らんのやからしゃーない。
 せやからこの日の昼休みも、俺ら三人は俺らを避ける一組の人間が極端に少ない教室で、これと言った話題もなく静かに飯にしとった。

 そして一足先に食べ終わった俺が、居心地悪い思いしながら購買部の自販機で買うてきた青汁を啜ってた時や。
 不意に何か筆舌に尽くし難い奇妙な感覚が首筋を這った。
 ここ一週間、こういうのに全くええ思い出がない俺はすぐさまさんを窺った。ちっさい弁当箱の中身がまだ半分ほど残っとるさんは相変わらず淡々とした様子で箸を進めとったけど、俺の視線に気付くとほんの数秒目を合わせ、それから食事を再開する。言葉にされた訳でもあらへんのに意味がわかって、背筋がぞっとした。
 俺とさんの様子に気付いた白石も身体を強張らせて、辺りを警戒しとる。ちゅーても、さん曰く白石は基本的に視えへんし聞こえへん人間やから、出来ること言うたら気を確かに持つことぐらいなんやけど。

 そうこうしとる内に、奇妙な感覚は段々強なって来とる。
 伴ってはっきりしてくる気配に、俺は教室の後ろの戸を見た。視界の端で白石が俺に倣う。

 ――― ガラッと、閉まっとった戸が開かれた。

「おっ、アレとちゃうか?」
「見ぃひん顔の女子やし、白石と忍足の二人もおるから間違いないやろ」

 現れたのは学年では見たことあらへん男子生徒三人やった。せやけど向こうは俺と白石のことを知っとるらしい。
 昼休みの喧噪から遠いこの教室では異質な賑やかさを連れて来た三人は、内二人のやり取りからして一週間前の件を聞いた野次馬みたいや。

 但し、遠巻きにするばっかやったこれまでの野次馬と違て近付いてくるあたり、タチが悪そうや。
 さっきまでとは違う意味で、俺も白石も身構える。

「なぁ自分、幽霊がみえるんやろ?」

 案の定、恐らくは先輩やろう内の一人が座っとるさんを覗き込むように身を屈めて訊ねる。
 その口調は揶揄そのもの。せやけどあの恐怖を味わった俺らからしたら笑い事やない話題や。先輩ら以外の教室におる一組の人間全員が息を呑む。

「アホ、そんなんネタに決まっとるやん。全くおもろないけどな」
「せやけどその決死のボケで教室メチャクチャにしたっちゅーツワモノやで? 転入生なんやし、頑張りを少しは汲んだり」

 ゲラゲラと品なく笑とる先輩二人に、どうしょうもない怒りが込み上げる。
 さんが味わって来た絶望も苦悩も悲しみも、何も知らへん癖に。
 それをさんが目立ちたいがために仕出かしたみたいに扱って、ほんまにぶん殴ってやろうかと思った。せやけどそれじゃさんの立場を悪くしてまうだけやから、拳を握るだけで堪える。

「なあ、そう思うやろ?」

 そしたら先輩が不意に、最初からずっと黙りっ放しの三人目に同意を求めて話を振る。
 そこで初めて気付いたけど、三人目の先輩は野球部のエースで、将来はプロも夢やないと知られとる人やった。顔も成績も性格もええって、どっかの白石みたいに男女も学年も問わず人気があって、とてもこない胸糞の悪い人らとつるむような人やないはずや。

 連れの言葉に先輩はさんを見て、馬鹿にしくさったように嗤う。

「せやな、幽霊なんてもんはこの世に」
「――― それ以上は言わない方がいい」

 パタンと、さんが完食した弁当箱の蓋を閉じる音がいやに響いた。
 やっぱり注目を意に介さず、さんは机の上を全部片してから、自分が言葉を遮った先輩を見る。

「わたしを否定し虚仮こけにするのは一向に構わないけど、彼らを否定するのは止めた方がいい。特にアナタはね」
「――― ハッ、急に口開いたと思たら何を言い出すねん」
「やっぱ頭オカシいんとちゃうか?」
「わたしは彼に話し掛けているので、部外者二人は黙ってて」

 文字通り眼中になかった先輩二人をさんは冷たく射抜く。
 二人はそれに一瞬身を固くしとったけど、すぐに気色ばんだ。せやけどさんは気にした様子もなく更に淡々と続ける。

「それからこれは忠告だけど、墓地を遊び場にするのは止めた方がいい。あそこは死者たちが眠る場であって、花火をして馬鹿騒ぎする場所ではないし、墓石は椅子でもトイレでもない。……尤も、今更改めたところで、二人が死者を辱めたことに変わりはないけど」

 そして相変わらず、恐ろしいことをさらっと言うた。ちゅーか、この二人、何ちゅー罰当たりなことしとんのや。
 心霊現象に殺され掛けた身なだけに、一体どんな恐怖がこの二人に待ち受けとるか考えただけで恐ろしゅうなる。

 一方、当事者二人はさんの指摘が図星なんか、自分たちの行いを言い当てられた驚きとさんがそれを知っとる戸惑いに、気色ばんだ顔を一気に蒼褪めさせた。
 この場合何が一番恐ろしいて、笑い事にしとったさんの力が本物かもしれへん可能性に思い当たったんと、その力が告げた“今更”っちゅー言葉や。
 受け取り方によってはそれ、死亡宣告やん。

「静かになったところで話を戻すけど、アナタは彼らを否定しない方がいい」
「……何でや。おらへんもんをおらん言うて何が悪いねん」
「アナタの否定は、お祖父さんにとっては魂の死に他ならないから」

 瞬間、先輩が息を呑んだ。

「両親に学業の成績でしか評価してもらえないアナタにとって、大好きな野球を肯定し、プロになりたい夢を応援してくれる唯一の味方だった祖父の突然の死は、正に絶望だったでしょうね。それも決勝戦のマウンドに立っていたアナタに看取ることが出来なかったとなれば、大好きな野球を否定したくなる気持ちもわからなくはない」

 先輩は怯えたみたいに後退りする。
 その震えた唇が、掠れた声で「何で」と呟いたんが聞こえた。

「だけど、アナタのお祖父さんはそんなことを望んではいない。お祖父さんはね、全部見ていたよ。アナタが最後のバッターを抑えて優勝を決めた瞬間も、仲間たちと喜びを分かち合っていたところも ――― 自分の死を知ったアナタが、お祖父さんが贈り大切に使ってくれていたグローブを捨てたところも、全部ね」

 そん時、先輩の左側で何かが揺らいだ。
 身体の震えから見て取れる先輩の動揺にまるで呼応しとるそれは、よう目を凝らせば人の形をしとった。
 髪は白くて、背はスラッと高い先輩よりやや低い。段々はっきりしてく顔立ちは雰囲気が先輩に似とって、充分に血の繋がりを感じられる。せやけどその表情は悲痛に満ちとって、俺は胸がざわついた。

 すると急にさんが立ち上がって、先輩と向かい合うた。
 お互いが立っとる時はそんなことあらへんけど、まだ座っとる状態の俺からしたらさんが立った位置は壁も同然で。俺からは先輩の隣におる、恐らくは先輩の祖父さんの姿が視えんようになる。

「誰よりもアナタの夢を応援していた自分の存在がその夢を潰そうとしていることに、お祖父さんは苦しんでる。解放してあげられるのは、アナタしかいない」
「……じいちゃん、ほんまに、おるんか?」
「いるよ。いつもの場所にね」

 先輩は一度固く目を閉じるとそのまま俺から見て右手、自分の左側に向き直った。まるでそに祖父さんがおるのを知っとるみたいに。
 そして先輩は大きく息を吸い込む。

「じいちゃん、俺、おとんやおかんに何言われても、絶対に諦めへん。必ずプロなって、夢叶えるで! 絶対にやっ!!」

 すると震えながら声高に宣誓した先輩の頭を半透明の手が撫でて ――― 弾けた。
 淡い光りの広がりと小さな破裂音を残したそれは、あの時とは比べられへん温かさに満ちとった。

 静かに目を開いた先輩は、実際には触れてへんはずなのに撫でられた感触があるんか、頭を押さえて俯く。
 そして腕で乱暴に目許を擦ると、赤く腫らした目を細めて、それでも晴れ晴れとした様子で笑た。

「おおきに。自分のお陰で、大事こと思い出したわ」
「……いいえ。わたしの方こそ、ありがとう」

 さんの感謝が何を意味しとるかわかって嬉しいのに、同時に悔しくもあった。ちらりと窺った白石も似たような顔しとる。

「なあ自分、名前は?」
「……
「下は?」
「…………
やな。よし、覚えたで。――― 三年後、楽しみにしとってや!」

 それから三年後、先輩が祖父さん共々ファンやった地元球団にドラフト一位指名で入団し、初先発で完封勝利を納めたウイニングボールをサイン付きでさんに贈るのは、また別の話や。
 完全に蚊帳の外になっとった先輩二人が、その後小さいけどダメージは大きい不幸の連続に見舞われて、さんに泣き付くんも。また。


 ――― 思えばこの一件が、さんがみんなから一目置かれるようなったきっかけやった。
018*121208