俺にかてさんの真意がわかったんや。頭の回転がええ白石や光にもわからんはずがなかった。
 流れる沈黙に、どうしょうもない焦燥を駆られる。
 そんでも、今こそ形にせなあかん言葉はやっぱり形になり切らへん。頭ん中も心ん中もぐちゃぐちゃや。思わず無性に泣きたなるけど、俺にそないな権利はないから必死に食い縛る。

「……君が気にすることじゃないよ」

 そんな俺を慰めとるのか。静かに、せやけどもう淡々とはしてへん調子で沈黙が破られる。
 そんな顔をさせたくて、話の腰を折ってまで口を挟んだ訳やないのに。さんは自嘲するみたいに嗤っとった。

「今まで散々、沢山の命を見捨てておきながら“救いたい”だなんて、今更。救うことは疎か、本当は助けることすらできないくせにね」
「……せやけど自分はあの狂った女も黒いモンも撃退して、謙也さんのことも白石部長のことも護ってはくれはったやろ」

 教室に乗り込んだ時はさんに対して敵愾心を向けとった光が、そんなさんを擁護する。
 けど、さんの表情は変わらん。寧ろますます自嘲は深まって、さんは静かに首を振った。

「そんなことで、わたしの業は清算されない。何より君は、わたしの言葉を履き違えてる」
「……どういうことすか」
「言ったでしょう。わたしには“誰も”救えない、って」

 あの台詞の一節を復唱したさんが強調した言葉。
 誰も。つまり、誰のことも。

 さんがどう思っとっても、光の言う通り護ってもろて、更には助けてももろた俺にはいまいちぴんとこうへんけど、取り敢えず今回のに当て嵌めて考えるてみる。関わったひとの数自体は一クラス分にも及んどるけど、どういう関わり方をしとるかで分類すれば、三通りしかあらへん。
 標的にされて危うく殺されかけた被害者の俺と白石に、光を含め今回の事象の現場に居合わせて巻き込まれた第三者。そして、加害者のあの女ら。
 その、誰も。誰のことも。

「強過ぎるわたしの力は、霊たちにとって絶対的な強制力を持ってる。逆らうことも抗うことも赦されず、それがどんなに理不尽であっても従わざるを得ない。例えば ――― “出てけ”

 言葉尻より一瞬早くさんが視線を転じたその瞬間、さんが目をやったユウジの身体からオネェさんが飛び出した。
 その光景自体は、今日一日だけで何遍も見たし、実際の接触はあらへんけど衝突もされたもんやった。けど飛び出した、っちゅーか弾き出された言うた方が適切な勢いやったネェさんの顔には、今までにない、一体何が起こったんか全くわかっとらんっちゅーのがわかる驚愕と動揺の色がありあり浮かんどった。
 それはユウジも同じみたいで、眉間の皺が消えて普段より幼く見えるきょとんとした顔で自分の掌を見つめたり、その手で身体を触ったりして、一つひとつ感触を確かめとるみたいや。

「こんな風にね」
「えっ、……え?」
「言霊ってやつだよ。わたしがその意思を持って告げた言葉に霊たちは従わざるを得ない」

 つまり今のは、さんが「出てけ」言うたから、オネェさんはユウジの身体から追い出されたっちゅーこと、か?

「ほ、ほなら、コレを祓うこともできるんか!?」

 それに気付いた途端、オネェさんが警戒して空けとったさんとの距離をあっちゅー間に詰めたユウジが、物凄い勢いで食い付いた。
 ほんまはノーマルやのにガチホモのオネェさんの所為でいらん苦労をさせられて来ただけに、その様子は必死そのものや。そんなユウジか、それとも今はもう見えへんようになっとるやろうさんをか、オネェさんは厳しい表情で見つめとる。

「……君を解放出来るか出来ないかで言えば、出来る。だけど、わたしにそれをする意思はないし、お勧めもしない」
「何でや!!?」
「わたしに出来るのは“祓う”ことではなくて“命令する”ことだからだよ。仮にわたしが成仏しろと言ったところで、霊の未練が解決する訳じゃない。問答無用で、断ち切るだけ」

 さんはそっと目を伏せた。

「霊にとって現世うつしよへの未練は存在意義なんだよ。それを無理に断つということは、肉体が死した霊をもう一度、今度はその魂を殺すことに他ならない。……肉体の死を散々見て見ぬ振りしておきながら勝手だとはわかっているけど、でもだからこそ、わたしは二度も“ひと”を殺したくはない

 固く拳を握るさんの手は白んで、込め過ぎた力に震えとった。
 目に続いて俯いた顔に表情を読み取ることはできひんけど、すっかり淡々さが消えた声音が見るまでもなく物語っとる。

「感情的になって思わず力を使ってしまったさっきなんて、本当に、それこそ心臓が止まるかと思った。生霊がほとんどだった彼女たちに不用意な言霊を使っていたら、肉体よりも先に魂を殺していたかもしれない」

 そして、瞬間的に思い至った。
 教室での騒ぎの時、白石に襲い掛かった女たちが消え失せた状況にさんが浮かべとった困惑は、俺らとはちゃう。思わず使てしまった力が招いた状況に動揺して、自分自身でも理解が追い付いてへんかったからなんやと。
 そして今度は理解した上で、さんはその力を使た。――― 俺を護るために。

「嗚呼、でも、彼女一人を意図的に殺したところで、わたしがひと殺しであることには、変わりないか」
「……さん」
「だって、もう沢山、数え切れないほどの死を見過ごしてきたんだもの。今更何人殺したって、何も変わらない」
さん」
「……なんだ、そっか」
さん!!」

 誰に向けとる訳でもない。敢えて言うなら自分に向けて、突き付けとる。
 そんなさんの姿を見たないとか、痛々しい自嘲の言葉を聞きたないとか、そない綺麗な理由なんかやない。ただ俺が自分勝手に見たないし聞きたないから、俺はアホみたいにさんの名前を呼んだ。
 それに応えてくれたんか、それとも自己完結してもうたのか。語気が強まった呼び掛けでやっと、さんは顔を上げてくれる。せやけど、その表情からは何も読み取れへん。無感情な瞳は仄暗く虚ろや。反応が得られてほっとしたのも束の間、言葉が出んかった。

「……なあ、さん」

 そんな俺に代わって口を開いたんは、これまで沈黙を続けとった白石やった。
 視線を動かしたさんに釣られた俺の視線も白石に転じる。――― そこで、息を呑んだ。

「“君が気にすることやないで”」

 静かに、せやけど力強く、白石は言うた。
 どこか聞き覚えのある台詞は、ついさっき俺がさんに掛けられた言葉が、vさんの話す標準語から俺らに馴染みの大阪弁に変換されたもんやった。

「確かにvさんは、沢山のひとの死を見て見ぬ振りして来たのかもしれへん。けどな、それはvさんが背負い込むもんやない。仕方ない言うたら言葉が悪いけど、いくら凄い能力持っとっても、vさんかて俺らと同じまだケツの青い中坊なんやで? やっぱり出来ることと出来ひんことはどうしたってあるもんや」
「……そんなの、ただの詭弁で、言い訳でしかないよ」
「かもな。せやけど揺るがん事実でもある」

 そう、白石は断言する。

「そこら辺はvさんにもわかっとるんやろ? さっき挙げとった予言みたいなもん、距離的に府外のもあったしな」
「……」
「それに話を聞いとる限り、何もvさんは、好きで見過ごしてきた訳とちゃうんやろ? ほんまに救えたかとか助けられたかとかは別にして、何とかしたいっちゅう気持ちはあったはずや」
「……まさか。わたしには何もできないんだから、そんなの」
「――― それや」

 自虐的に自分を否定するvさんの言葉を遮った白石は、聞き分けのない子供の駄々を見るみたいに苦笑した。
 そして、現状では異様にも思える穏やかな口調で続ける。

「何もできひんっちゅうのは、いろんな手を尽くした結果があるからこそ言える言葉や。そんなvさんがひと殺しやなんて、俺には到底思われへん」

 口調は穏やかなんに、その語気は力強くて、今の白石には一本真っ直ぐ通った芯みたいなもんが見えた。
 その影響なんかは知らんけど、白石の背後にはさっきから、土色の顔した四人の女の姿が影も形も見当たらんようになっとる。

 そして多分、何となくやけど、vさん曰く仰山憑いとるっちゅー他の霊たちも、今はすっかり消えとるような。
 vさんの見立てやと、その強い抵抗力を左右するっちゅー白石の感情が、それだけ安定しとるような。

 そんな気がした。
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