「えっ?」

 間抜けな響きで零れた音が、一体誰の発したもんだったんかはわからん。
 俺か、光か、白石か。それともユウジに憑いとるオネェさんか、或いは全員が同時に発しったのかもしれへん。ただその間抜けな響きらしく、思考回路がショートしとったことは確かや。

「女の子は男の子と同じ幼稚園に通っていて、男の子とはままごとでいつも夫婦役をする仲だった。男の子と近しい分、他の子よりも引き込まれ易かったんだね。それに女の子は生きている男の子を見た最後の人間だった。女の子と別れた直後に男の子は車に轢かれ、物音にすぐさま振り返った女の子には、車体の下に引き摺られる形で攫われた男の子が忽然と姿を消したようにしか見えなかった。だから女の子は、いつまで経っても幼稚園に現れない男の子を探して、最後に男の子を見た事故現場を訪れた。……そして、今度は自分が車に轢かれた」

 淡々と、さんは言う。一切の感情も滲ませず、静かに、ただ言うた。

「“ねぇ、あそぼう? ずっと、ずーっといっしょだって、やくそくしたよね?”」

 でもそんなこっちの混乱なんかお構いなしに、さんは言葉を重ねる。
 どこか舌足らずな台詞は棒読みで下手な音読みたいやったけど、問題なんは出来の良し悪しよりも内容の方や。重ねられたからには関連がある二つの発言に、浮かんだ答は一つ。

「このくらいの距離の“声”なら、耳がいい君にも聞こえてるでしょ?」
「――― っ!?」

 さんが光を見てそう言えば、光は息を呑んだ。言葉で示すよりも明確な肯定や。
 けどさんはそんな光の反応をさして気にする様子もなく、更に別の方向を指差した。

「今からおよそ二時間後、直線距離にして約五〇キロ先のアパートで、ストーカー被害に遭っている男性がその生霊とストーカー本人によって殺される。その後、どうやらストーカーは自殺する心積もりのようだね。原因は一方的な恋慕が嫉妬により愛憎へ変わったこと。毎朝同じ時間、向かい側のプラットホームに立つ男性を見つめて焦がれるだけで満足していた恋心がいつしか膨れ上がり、ある時男性が恋人といる場面を目撃したことで、狂った。ストーカーは一切の面識もない男性に自分というものがありながら何故裏切ったのかと詰め寄り、男性は混乱と恐怖の中で死を迎えるも、理解が追い付かずに今生を彷徨さまよう」

 今度の言葉は未来形。事務的な報告みたいやったさっきとは違て、予言の類いに近かった。
 しかもこの予言はこれ一件に止まらず、さんは他にもいろんな方向を指差しては、ここからどれくらい離れた先でいつ、誰が、どうして、どないな風にどないな目に遭うんかを次々列挙してった。
 淀みなく紡がれてくそれは虚言というには精細で、簡単に否定するにはあまりに重たい内容やった。さんの淡々とした調子やなく、もっと感情的に言われとったら、とてもやないけど聞いてられへんほどや。いや、機械的な今ですら辛い。

「――― そろそろ止めた方がよさそうだね」

 ふと、もう何件目になるかわからへん列挙を一区切りさせたさんが、そう言うて手を下ろした。そして、指差しとった先と同じ方向に向けとった視線を転じる。
 さんが示す先よりもさんから目を離せてへんかった俺は、反射的にさんの視線を追った。瞬間「ひっ」と喉が引き攣る。

 さんが目を向けた先には白石がおる。
 せやけど、ただおるんやない。
 顔色の悪い白石以上に顔色が悪いのを通り越して土色の顔をしとる、血走った眼を剥いた女を背負っとったんや。それも四人も。

「な、何やねん……?」

 咄嗟に身体が逃げに走って光の方に寄った俺の反応とさんの視線に、白石が戸惑いを浮かべる。

「君の背後に、十代から二十代を中心にした生霊や死霊が十一、十二、十三……切りがないな。兎に角、沢山憑いてる
「……は」
「性別はいずれも女性。死霊はともかく生霊の数が尋常じゃないとは前から思ってたけど、さっき見た君の容姿なら知らず知らずの内に気を持たれてても不思議はないから、当然なのかもしれないね」

 そして相も変わらず、さんは恐ろしいことをさらっと言うた。

 ちゅーか、白石の背後に憑いとるのが十人以上てどういうことやねん。俺には四人しか視えてへんのやけど。
 そしたらさんは、そんな俺の動揺を読んだように「君には四人しか視えていないだろうけど」と見事に的を射た。曰く、俺の能力値で視えるのはそれが限界らしい。
 能力値とかさっき出た目盛りの話とか、それを聞いて思い出すのは、今朝さんの家を出る直前にされた忠告や。

 それに基づいて考えると、白石に憑いとる霊で俺より能力値っちゅーもんが低いのは四人だけで、後は全員が俺以上。
 せやから俺には五人以上は認識できひんし、確かにさんの言う通り、四人までしか認識できてへん俺からすれば、五人目以降は存在してへんのも同然や。力が強過ぎる言うさんが霊たちに認識されへんっちゅー説明には、身をもって納得がいく。
 それにしたって納得のできひんものが、まだある。

「生きているも死んでいるも問わず、異性から異常なまでに好かれ、憑かれるのが、君の素質。普通ならとっくの昔に死んでる好まれ具合だけど、それ以上に君の抵抗力が強かったお陰で、君は一切の実害を受けずに生きてこられた。――― つい一ヶ月ほど前までは」
「一ヶ月、前……?」
「細かいことは省くけど、その時、君の中には強いマイナスの感情が渦巻いた。それまでにも何度か抱いたものよりも、遥かに暗く重たい感情が」

 何か思い当たることがあったんか、白石ははっと息を呑んだ。

「霊は肉体という盾を失っている分、外部からの刺激を受け易い。そのほとんどが善し悪しを問わない今生への未練や執着、恨み辛みが理由で留まっているから、特にマイナスの感情をね」
「……」
「そして君自身もまた、その抵抗力を感情に左右され易い。それでも本当によく保ったと、わたしも思うよ。死霊より余程厄介な生霊の方が多く憑いている上に、君を欲し独占したい彼女たちはお互い喰い喰われ、ますます厄介になってるのに。それでも一ヶ月もの間、君は堪えたんだから」
「……。……なぁ、さん」

 せやから俺は、たとえ話の腰を折ることになるとしても口を挟んで、確認せん訳にはいかんかった。
 呼び掛けに応えて白石から俺に視線を移したさんの目を真っ直ぐ見つめて、問う。

「“それ”が、理由なんか……?」

 瞬間、淡々としとったさんの顔から完全に表情が抜け落ちた。
 そして真っ直ぐ俺を見返し、どれくらい経った頃やろか。声音まで色を失ったさんは「うん」と静かに頷いた。

「だから、わたしには誰も救えない。仮に救うことができたとしても、わたしは誰も救わない」

 それから三度、あの台詞を繰り返す。
 ただ聞けば非情に聞こえる台詞やけど、その裏にある真意を知った今、俺は無性に泣きたくなった。
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