男っちゅーよりもオッサン言う方がしっくりくるソレは、正面におる俺に向かって勢いよく突っ込んで来た。
 反射的に避けようとして仰け反ると、それこそ勢い余ってバランスが崩れた。せやけど後ろにおった光にぶつかる形で、どうにか転倒は免れる。同時に戸惑ったようにも聞こえる光の「えっ」っちゅー驚きの声が聞こえた気もするけど、今の俺にはそれを気にしてられるだけの余裕は微塵もあらへんかった。
 や、やって! 今! ユウジの中から! オッサンが! 半透明で! ピンクいしヒラヒラやし……!
 しかもオッサンは勢いそのまま俺に向こて突っ込んで来たかと思えば、見た目の印象通り、俺と後ろにおる光の身体を通り抜けて行きよった!
 瞬間、冬の寒さとはちゃうヒンヤリした空気を感じて、背筋が粟立つ。

 戻って来たオッサンは酷く立腹しとるように見えた。
 小春のホモキャラを髣髴とさせるクネクネした動きでユウジに絡んどるけど、ユウジの方は一顧だにせぇへん。
 そらまあオッサンはどう考えても幽霊っちゅー存在で、普通の人間には視えるもんとちゃうんやから当然や。俺かて昨日のあの時まではそうやった。せやから認識しとらんものに反応できるはずがあらへん。
 つまりオッサンの存在を認識できとる俺に、オッサンを無視することはできひんっちゅー話や。ただでさえ外見に見合わん奇抜な恰好が目を引くんやから尚更。

 そうオッサンを凝視しとると、不意にオッサンと目が合った。
 オッサンは目を丸くして、まさか目が合うとは思てへんかった俺もビックリして反射的に後退る。せやけど後ろには光がおったから、実際にはその場で足踏みしただけやった。
 お互い微動だにせぇへんちゅーか、できひんかった。そんでもオッサンのが先にハッと我に返るなり、さっき以上の勢いでユウジに絡み出した。何を言うとるか俺には聞こえへんけど、そんなんしたってユウジには ―――。

「ひぃっ……!?」

 ガシッと、さっき小春に掴まれたのと同じ肩を今度はユウジに掴まれた。
 同時にあの凶悪な顔がグッと近付いて、元の恐ろしさにいらん迫力が加わったもんやから身体が竦んだ。どうやら登場から今まで小春絡みのいつもの因縁を付けられてたっぽいけど、オッサンに気を取られて完全に聞き流してもうてたから、今度はそのことで攻められるんかと思た。

「自分、ツラ貸しや」

 あ、終わった。そう思わされるくらいドスの利いた台詞に、俺は大人しく従う他あらへんかった。
 ちゅーか俺が反応するよりも先に、ユウジは俺の肩から腕を掴み直して歩き出しとった。そんな俺の周りをオッサンが物珍しそうな顔でくるくる回りながら何や口を動かしとったけど、やっぱり俺にはその声が聞こえんくて、思わず咄嗟に、俺は光の腕を掴んだ。
 思いっ切り抵抗されたけど、ここまで来たら道連れや! 絶対に放さへんぞ!!

 結果、すっかり失念しとった注目が別の意味で痛い中、俺らは廊下を進む羽目になった。

 沈黙がまた恐ろしいユウジに連れて行かれたんは視聴覚室やった。
 そして俺らを押し込むように中へ入ると鍵を掛けて、今までに見たことがない真剣な顔で真っ直ぐ俺を見つめてくる。緊張に身体が強張った。未だ掴んだままの光の腕を、今度は俺が縋るように握ってまう。
 ――― 瞬間、ゾッと背筋が粟立つんと同時に、オッサンの顔が目の前に現れた。

「ぎゃあああああああああああああああああ ――― っだああっ!!?」

 驚愕と恐怖に絶叫する。
 が、ほとんど同時に、今朝も受けた痛みがまた同じ場所を直撃した。

「ななななにすんねん!?」
「喧しい、うざい、鬱陶しい」
「何その三拍子!? 普通に傷付くんやけど!!」
「せやったら静かにしてもらえます? ただでさえ野太いカマ言葉がいつも以上に五月蝿くて適わへんのに、謙也さんまで騒いだら喧しいことこの上ないんで」

 そう言う光の雰囲気は剣呑で、ユウジとはまた違った迫力があった。
 逆らったらアカンと本能が告げとる。俺は両手で口を抑えて素直に頷いた。

「……自分ら、コレが視えとんのか?」

 言いなから、オッサンを指差すユウジの声がそこに掛かる。

「それは謙也さんだけっすわ。俺には“声”が聞こえるだけなんで、そうやって教えてもらわな、声の主がどこにおるのかまでは把握できません」
「っ、いつからや!? いつからコレに気付いとった!!?」
「“声”が聞こえるんは物心が付く前からなんで、ユウジ先輩と初めて会うた時から気付いとりましたけど」
「初めてって、半年近く前やん! 何でその時に言わへんねん!? 俺が、俺がコレの所為でどんだけ苦労して来たと……ッ!!」

 眉間に皺を寄せたままケロッと告白した光に対して、万感がこもったユウジの叫びは悲痛なもんやった。返す言葉が見つからへん。
 そしたらオッサンが何か言うたんか、ユウジはあの凶悪な顔でオッサンを睨むと拳を振り上げた。せやけど当然、拳はオッサンの身体を通り抜けてもうて当たらへん。それが余計癪に障るんか、ユウジは苛立たしげに地団駄を踏む。憐れ過ぎて見てられへん光景や。

「あの、質問なんやけど、ええか?」
「何やっ!?」
「い、いや、俺の見間違いやなかったら、さっき廊下でユウジが来た時、ユウジの中からそのオッサンが出て来たように視えたんやけど……」
「――― 誰がオッサンやワレェ!? ヲトメに失礼やろ、オネェさん呼びや!!」
「ひぃぃぃいいいいいいい!!?」
「――― じゃかぁしぃ!! 自分こそ勝手に人の身体乗っ取んなや!!!」

 けど苦労ちゅーても、生身のユウジと幽霊のオッサンに一体どんな繋がりがあんねん。
 合わせてオッサンの登場の仕方についても疑問をぶつければ、凶悪な顔のユウジに胸倉を掴まれた。かと思えば、直後にまた、ユウジの中からオッサンが飛び出す。そしてユウジは、今日一番の荒々しさでオッサンを怒鳴り付けた。そのまま掴み掛かろうとした手が、やっぱり空を切る。

「……謙也さん。あの人、何しとるんすか? 会話の内容から大体は察しが付いても、客観的に見たら滑稽なんすけど」
「……。そう言わんといたってや」

 俺にはオッサンの姿が視えとるから同情を誘われるけど、オッサンが視えとらん光の一般的な、否定し切れへん意見には思わず目頭が熱くなる。
 ユウジがようやく諦めたんは、それからしばらくして息が上がった頃やった。忌々しそうにオッサンを睨み付けながら、手近な椅子に座って息を整えとる。それが落ち着くんを待ってから、俺は改めてユウジに話し掛けた。

「な、なあユウジ? やっぱり今も、俺にはユウジの中からオッサ ――― ゴホン! ……オネェさんが出て来たように視えたんやけど」
「あァ? ……そら実際、俺ん中に入っとったからな」
「えっと、ちゅーことは……?」
「取り憑かれとんのや、コレに」

 オッサン言い掛けて本人に鋭く睨まれたから言い直したっちゅーのに、ユウジの発言で、その怯えは一瞬で吹っ飛んでもうた。
 取り憑かれとるって、え? 誰に? オッサンに? 誰が? ユウジが?

「霊媒体質言うんか、目が合うた奴に問答無用で憑かれてまうねん。しかもコレは無駄に自我が強うて時々身体の主導権が奪われるし、よりにもよってガチホモやし……!!」
「ユウジ先輩とは気が合うてええんちゃいます?」
「どアホ!! 俺はノーマルや! 普通に女が好きやっちゅーねん! せやのにコレの所為でホモ扱いされて振りせなあかんくなるし、ほんまに腹立つ!!」

 くすぶっとる怒りが再燃してもうたんか、ユウジは手が白なるほど強く握った拳で机を殴った。

 えっと、つまりや。光が入部して来た頃には、既にユウジはオッサンに取り憑かれとって、ガチと思われとったホモキャラなんはオッサンの方やったと。
 ちゅーことは、入学当初から小春とホモネタしとったユウジは、最低でもその頃にはもうオッサンに取り憑かれとったと思ってええ。そしてオッサンの所為でホモの振りをせなあかんし、ホモと誤解されとっただけで、本人は至ってノーマルやと。

「……ユウジ先輩、ホモやなかったんすか」
「当たり前や! ちゅーか、それはどう意味やねん!?」
「振り言うてましたけど、全然違和感なかったんで。自分らが揉めとんのも、小春先輩を取り合ってのもんで、ユウジ先輩もガチやと疑っとりませんでした」

 ほんまは俺も光と同意見やったけど、余程ショックやったんか絶句しとるユウジにそれを告げられるほど、俺は無情になれへんかった。
009*120124