取り敢えず、まずは校舎に入らな始まらへんっちゅーことで、靴を履き替えに昇降口まで来たところでのことや。 図らずも遅刻扱いになっとるであろう上に、授業までサボるような形になってもうとるのを、幸い誰にも見咎められることなくここまで移動できたのはええ。せやけど到着してすぐ、俺らっちゅーか俺が、白石のこととかさんを探す云々以前の問題にぶち当たってもうた。 「……なあ、光」 「何すか」 「手、そろそろ放さへんか?」 そう言うて、問題の箇所を空いとる方の手で指差せば、原因である光は顔を顰めた。 いや、そないな反応されても。極々真っ当な意見やん。 最初は縋られとるみたいで無碍には出来ひんかったし、俺からも握り返しとったけどや。学年毎に並んどる下駄箱は俺と光の下駄箱がそれぞれ別の場所にあるっちゅーことで、ほなら向かう先も別っちゅーことになる。つまり、いつまでも手首握られたままやと、にっちもさっちもいかれへん。 流石に、このままの状態でお互いの下駄箱を順に回るっちゅーのも、アホみたいな話やろ。 そもそも何で、光は俺の手首を掴んどるのかがようわからへん。縋られとるっちゅーのは俺の勝手な感覚やし、その前の、何かを確かめるみたいに人の腕を握ったり放したりしとった行動も謎や。 「……謙也さん、自覚ないんすか?」 「自覚? って、何の?」 突然の質問が何を指しとるのかわからなくて訊き返せば、光はますます眉間に皺を寄せて黙り込んだ。 やっ、せやからさっきから何やねん。ほんまに。 結局、光はため息混じりに「何でもないっすわ」て言うただけで、俺の疑問には答えへんかった。明らかに面倒がった態度や。 そのまま嘘みたいにあっさり、光は俺の手首を解放すると今朝かそれ以上の顰めっ面になって、自分の下駄箱の方に向かってった。……ほんまに何やねん。 晴れへん疑問にモヤモヤされられたけど、折角放してもらえたんやし、ただ突っ立っとってもしゃーない。一先ず俺も自分の下駄箱に向こて靴を履き替える。そして脱いだ靴を上靴に替わって下駄箱に入れたタイミングで、チャイムが鳴った。俄に校舎内が騒がしなる。 「……そういえば、さんを探す言うても、具体的にどないすんねん」 そこでふと、今更な疑問を持った。 いくら四天宝寺が公立中学いうても、全校生徒数は一〇〇〇人以上。その内、女子の数は単純に考えても半分の五〇〇人はおる訳で、学年すらわからへんさんを見つけるには、その五〇〇人全員を調べなあかんっちゅーことになる。 せやけど素人目でもヤバいもんやとわかるアレが白石にどんな影響を及ぼして、後どれくらいの猶予を与えてくれとるのかわからん以上、そない悠長なことをしとる暇はあらへん。事態は一刻を争っとる。 昨日の俺の時と同じで、簡単には手を差し伸べてはくれへんやろうさんを説得する時間を考えれば、尚更っちゅー話や。 「アホっすね、謙也さん。ここをどこと思っとるんすか、四天宝寺っすよ?」 「……ああ、ナルホド」 「ちゅうか転入生が来たのって、確か謙也さんたちの学年でしたやん」 「え、そうなん?」 光の言う通り、四天宝寺の気質を考えれば、転入生なんて珍しいもんをココの人間が放っとく訳があらへん。 その上、さんは言葉の訛りからして関西圏外の人間で、四天宝寺の人間の好奇心をますます刺激する要素を持っとる。学年問わず、絶対に校内で話題になっとるはずや。実際、噂の類いに興味がないはずの光でさえ、さんの話を知っとる。 そんでも俺には、その光からたった今聞いた話が、さんに関する初耳の情報やった。 「クラスの奴が話しとったのを聞きましたけど、知らなかったんすか?」 「し、知らんかった……」 自慢やないけど友達が多い俺は、同時に伝手が広くて、こういった情報に耳が早い。せやのにさんの話題に関しては全く知らんかった。 だからこそ今朝、割烹着を脱いださんが見慣れた制服を着とったことに驚いた訳やし。そもそもさんが噂の転入生と知らなかったんやなくて、転入生がいたこと自体を知らんかった。――― いや待て。そういえば確かに、夏休み明けから何やいつもと違った騒がしさがあった、ような気ぃする。 今思えば不思議な話、俺の気には全然止まっとらんかったけど。もしかしてアレがさんの話題やったんか? ……何はともあれ、そんなに有名ならさんを探すのは簡単や。 普通やったら他学年、それも上学年の教室なんて行き難いもんやろけど、図太いどころか不貞不貞しい性格で全く物怖じしとらん光を連れて、二年の教室が並ぶ階に向かう。 階段の途中、去年同じクラスやったダチに会うたから挨拶ついでに転入生が何組に入ったのか訊いてみたら、そいつは怪訝そうに眉を顰めた。どうやらさんの情報はある意味で常識になっとるらしい。光が知るほどの話題になった人物やし、まあ当然か。 そんでも、そいつが怪訝そうにしとったのはほんの一瞬。次の瞬間にはニヤニヤ笑て、どことなく揶揄を感じる声音で「一組や、ちゃんと憶えとなアカンやろ」と教えてくれる。そして擦れ違い様、意味ありげに俺の肩を叩いて階段を下りてった。何や一体。 疑問には思たけど、光に急かされて深く考える暇はなかった。 ちゅーか、考えとる余裕がなかった。 「……謙也さん、自分何やらかしたんすか?」 「ちょ、人聞きの悪い言い方すんなや!」 失礼極まりない光の物言いに反論しつつも、俺はここ最近の自分の行いを振り返った。 けどコレと言って特に何か仕出来した覚えは一切あらへん。優等生とまでは言えなくとも、そこそこ真面目に中学生してる身分や。……髪は染めとるけど。 でもそのくらいしとる奴は俺以外にもおるし、光なんかは両耳で合わせて五個もピアスをしとる。そもそも四天宝寺は自由な校風やから、そこらへんのことが校則で禁止されとる訳でもない。仮に髪を染めとることが問題でも、俺の場合は中学入学と合わせて染めたんやから、問題にするには今更過ぎる事柄や。 「そう言うても……」 言いながら、光は周りに視線をやる。 俺も同じように目をやると、知り合いから名前も知らんような相手とまで、どこを見ても誰かしらと目が合った。つまり、何か知らんけどムチャクチャ注目されとる。 さっきのダチといい、今俺のこと見てコソコソしとる連中といい、ほんまに何やねん! 「け・ん・や・く〜ん!」 そこに、態とらしく作った高さの、語尾にハートか音符でも付いていそうな調子の声が掛かった。 反射的に肩が跳ねて、弾かれたように振り返る。坊主頭に眼鏡を掛けた“男子生徒”が頬を赤らめ、いっそ不自然なくらいの内股になった女の子走りで駆け寄って来る姿を認めて、思わず顔が引き攣った。さっきの光のことを言われへん失礼極まりない反応やけど、取り繕う余裕なんて微塵もあらへん。ある訳がない。 この後に予測される展開に、昨日今日とで味わったのと似た恐怖が身体を支配した。けどやっぱり、心と裏腹に身体は動かれへん。 視界の端に、隣におった光がさっと俺の後ろに身を隠したのが見えた。 (う、裏切り者おおおおおおっ!!!) 「おはようさん、謙也くん」 「……へ? あ、ああ、おはようさん……」 「具合は? 昨日より顔色は大分ええみたいやけど、無理したらアカンで?」 「お、おお、心配掛けてもうて、すまんかったな……」 あ、あれ? 意外に普通や。 それどころか昨日の不調を心配された上に気遣われてしもた。 金色小春と言う人間の、ガチなんかネタなんかようわからんホモキャラで通っとる性格と、俺の名前を呼んだ時の雰囲気的に、 穿った自分の考えを反省して肩の力を抜いた瞬間 ――― ガシッと、その肩を掴まれた。 「で? で? で? 夏休みが明けてまだ半月も経ってへんのに、さんとはいつからの仲なん? 告白は勿論、男らしく謙也くんからしたんやろ? 何て言うたん?」 人間、何事も度が過ぎると硬直するしかないもんなんやと、身を以て思い知った瞬間やった。 油断したところを衝かれた驚きと興奮し切った語調に伴った勢いの恐ろしさに、頭ん中が真っ白になる。 せやから正直、俺には小春が言うてることの一割も理解できてへんかった。けど、その僅かな一割で、小春の口からさんの名前が出たことだけは認識できた。ちゅーても現状が把握できとらんのやから、そないなことに気付けたかて、混乱は収まらへん。寧ろ余計に頭ん中がごちゃごちゃになるだけやった。 「浮気かゴルアァァァァアアアアアアア!!!」 そしてどういう訳か、コーユーコトは立て続けに起こりやすい。 もう、ほんま、堪忍してぇや……。 廊下の端から端まで届く強烈な怒声と荒々しい足音がしたと思たのとほぼ同時に、目の前に迫っとった小春と、ベリッと引き剥がされた。 そして入れ替わるように、人一人殺して来た後ちゃうかっちゅーくらい凶悪な形相した、小春と違てガチとしか思われへんホモキャラしとるその相方のユウジが、俺らの間に割り込んだ ――― 瞬間、やった。 音にするならポンッ、と。 せやけど音にそぐわん背中を突き飛ばされたかしたぐらいの勢いで、髭の青い剃り跡が残る顔とガッチリした肩幅の身体に似合わん、ヒラヒラでピンク色した服を着た半透明の男が、ユウジの“中から”飛び出した。 008*120115
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