信号が青になるたんびに、横断歩道を渡っては途中で何かに吹っ飛ばされることを繰り返す、血塗れの女子高生
 ところどころ凹んだ傷だらけのメットを被って大破したバイクを乗り回す、頭が真後ろを向いた状態のライダー
 周りを手当たり次第に威嚇しまくっとる、見た感じ真面目そうなサラリーマンの首に背中から腕を回してしがみ付く、ギョロっとした目の女
 それとは反対に、清楚系の綺麗な女の人をまるで周りの人目から隠すみたいに囲う一方で、お互いを牽制し合っとる蒼白い顔した複数の男たち
 どっちも時代錯誤な恰好の、刃毀れしたボロボロの刀を手に覚束ない足取りで彷徨っとる首がない鎧武者や、顔面が空洞化したみたいにそこだけがぽっかり真っ暗で全く見えへん、一糸乱れぬ足並みで行進するかつての日本軍の軍服を着た兵隊たち

 朝練があるいつもより、一時間くらい遅い時間に差し掛かったいつもの往来は、見慣れとるいつもの光景以上に、出勤と通学の人らで溢れ返っとった。
 しかも今まで見えへんかったもんが視えるようになったことで、一帯は余計にごちゃごちゃしとる。勿論グロい意味でや。

 そんな光景、さん曰く碌でもないのやなかったら命の危険はないっちゅー、全く嬉しないお墨付きをもらえても、視覚的な慣れとは話が別や。いくら将来的にはオトンの後継いで医者なるつもりでいる言うても、あんな血塗れで血みどろのグロいもん、そう見るもんとちゃうやろ。いきなり受け入れられるもんでもない。
 せやから安全地帯を出た今、唯一の頼みの綱であるさんの手を握って、昨日みたいになるだけ周りを見ひんように歩く。
 それにしてもや。今まではただ気付いとらんかっただけで、まさかこんな凄惨な光景が日常のすぐ隣に寄り添っとった ――― いや、共存しとったなんて。これまで全く気付かずにいた昨日までの自分を思うとぞっとする。

 正直、今もまだ完全には信じ難い気持ちがあるけど、他でもない俺自身の目で視えてもうてるし……。

「やっぱり、わたしが憎い?」
「は ――― えっ?」
「君はわたしを命の恩人と思っているようだけど、それは結果論に過ぎないし、わたしが君を一度見殺しにした事実は変わらない。……この光景を目の当たりにしても、君はまだ、わたしに感謝するの?」

 突然、さんがそんなことを訊いてきた。内容はさっきと似とるけど、本当にそれでええんかっちゅー確認されてる感じの訊き方や。
 最初はそれに、俺の言葉にはそない信用がないんかって地味に凹んだけど、さんを見とると何か違和感を覚える。

 何ちゅーか、その、不安そう……?

「……さっきも言うたけど、結果論でも何でも、結局さんは俺を助けてくれたんや。感謝はしても、恨むとか憎むは絶対に在り得へん」
「…………そう」

 これが本心やし本音なんは確かやけど、さんのその不安を拭いたくて断言した俺の言葉に、ほんでもさんの表情が晴れることはあらへんかった。
 ……俺の言葉って、やっぱり信用ないんやろか。地味にどころかほんまに凹むんやけど。

 そんなやり取りをしとる内に、校門の手前にある四天宝寺の鳥居が見えて来る。
 そして鳥居を潜った瞬間、さんの家で感じたほどやないけど、不思議なぞわぞわした感覚が背筋を伝った。
 咄嗟に振り返ったけどそこには特に何もあらへんし、手を繋いどるさんの歩調に引き摺られて足が縺れそうなって、慌てて前に向き直る。

さっ、い、今の感じって」
「鳥居は神域への出入口らしいからね。構内にお寺があるお陰で、ここは比較的安全な場所だよ」

 言われてみれば、今まで散々おったグロい存在が、鳥居から先には全く見当たらへん。さんの家ほどではないけど空気も澄んどる。
 二年近くも通っとった学校の意外な一面に驚きながら、さんに続いて校門も潜ると、さんはそのままぼちぼち人がおる昇降口に向かう。でも俺は足を止めてそれに抵抗した。力の差は歴然やから、さっきとは逆に今度はさんが繋いどる手に引っ張られて、足を止めざるを得なくなる。

「……どうかした?」
「いや、あの、さんに質問なんやけど、鳥居が神域の出入口っちゅーことは、鳥居の内側におったら安全っちゅーことなん?」
「鳥居の外に比べればね。それでも絶対ではないし、彼女には無意味だろうけど、多少の目眩ましにはなってると思うよ」
「つ、つまり、安全なんやな?」
「……一先ずはね」

 完全ではないけど一応の保証をもらえてほっとする。
 そういうことなら、よし。

「ほな俺、テニスコートに顔出して来るわ」
「テニスコート? ああ、そういえば君、テニス部だっけ」
「おお。今朝の練習サボってもうたし、何の連絡もしてへんから ――― さん?」

 グロいもんが近くにおらへんようなった途端調子のええ話やけど、そんならそれでこれ以上さんに手間掛けさすのも悪いと思た俺は、ここらで一旦さんと別れようとした。
 その旨を話す途中、さんの様子がおかしいことに気付いて、言葉が途切れる。

 さんは相変わらずの淡々とした表情で、あらぬ一点を見つめ出した。
 それをたどって同じ方向に目を向けてみたけど、そこは特に何か目に付くもんどころか、何と言えるようなもんすら一つも見当たらへん中空。それでも敢えて挙げるなら校舎があるだけや。
 せやけどさんが見つめてるっちゅーことは、俺には視えてへんだけで、そこにはきっと“何か”がおるんやろ。そう考えとる条件反射的に身体が強張る。

さん? ど、どうかしたん?」
「……。いや、それよりテニスコートに行くんでしょ? だったらわたしは先に教室行くから、手を離してくれる? いい加減痛いのだけど」
「へっ? あ、す、すまん!!」

 無意識に力込め過ぎとったんか、俺が握るさんの手は赤味を通り越して白くなっとった。
 慌てて解放すると、さんは滞った血行を促すみたいに軽く手をぶらつかせる。

「それじゃあ、わたしは行くから」
「お、おう。ほんまにありがとう、さん。またな」

 ぶらぶらさす手を少し上げて、さんは昇降口に消えた。
 それを見届けてから、俺は校舎を迂回した先にあるテニスコートに向かう。現金な解放感に足取りは軽くて、昨日あんだけ全力疾走したはずが、随分久し振りに走った気がした。


 まだエンジンが掛かり切らへん朝やからっちゅー理由にしても、引退した先輩らの分空きが増えたテニスコートは、改めて客観的に見ると物寂しい印象を受けるもんやった。
 そんでも同じ二年は勿論一年の後輩らも朝練に励んどって、理由がいくらアレでも、結果的にはサボってもうたことが申し訳なくなる。

「小石川」
「謙也? 今来たんか?」
「せや。サボってもうてすまん、いろいろあって連絡入れ損なってもうてん。ところで白石はどこにおるん?」
「ああ、白石なら部室や。自分のこと心配して、携帯で連絡取りに行ったで。電話かメール来とらんか?」

 せめて邪魔にだけはならんように、コート端でフェンスの側に立って全体を見回しとった副部長にだけ、外から声を掛ける。
 振り返った小石川は俺を見ると最初は目を丸くしとったけど、すぐにほっとした顔になる。やっぱり心配掛けさせてたと、また更に申し訳なくなった。おまけに昨日俺の様子を一番心配してくれとった白石に、また余計な気を揉ませてもうたと自己嫌悪する。
 小石川に言われて携帯を確認すると、確かに白石から電話とメールが一件ずつ入っとって、メールの内容が気遣いと心配に満ちとるから尚更や。着信時間からして、視覚できるようなったグロいもん相手に、さんの手一つで堪えとった時ぐらいやな。自分のことに手一杯で気付かんかったわ。

「具合が悪い訳やないんなら、白石に顔見せたり。あの性格やから自分こそ病人みたいな顔して、見てられへんねん」
「ああ、勿論や。ほな行って来るわ」

 早々に会話を切り上げて、俺はテニスコート脇に立つ部室に向かった。

 せやけど何やろ。部室の戸を前にしたところで、何故かそこから先に進む気にならへん。
 昨日のもやもやと似て違う筆舌に尽くし難い感覚を覚えて、心臓が一気に喧しくなる。

 戸を開けるな。

 今すぐ引き返せ。

 ――― 早く逃げろ!

 そう言われてる気がした。けど金縛りにでも遭ったみたいに身体は動かれへん。
 昨日の今日や、それが何を意味するかわからんほど、俺かてアホやない。

 そうこうしとる内に中から物音がした。
 次いで戸が開いて、俯き加減の顔を隠すミルクティー色が目に入って、その向こうに“闇”が見えた。

「――― うおっ!? け、謙也? 自分いつの間に来とったんや。何の連絡もないから今、……謙也?」
「…………、……」
「は? 何やて? ちゅうか自分むっちゃ真っ青やん! やっぱり昨日から具合悪かったん ―――」
さあああああああああああああああん!!!」

 俺に気付いた白石が何か言うとたけど、それどころやない俺は金縛りに遭うてたはずの身体を反転させて、一目散に駆け出した。
 やって! 白石の肩っちゅーか頭の上っちゅーか背後っちゅーか! 兎に角白石が! 黒くてグロい塊が……!
 アレが何かはわからんけど、少なくとも善くないもんなんはわかる。ちゅーかあんなおどろおどろしく蠢くもんが善いもんであってたまるか!!
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