下着と一緒に買うて来たんかまだ真新しいシャツと、風呂入っとる間にアイロン掛けされとったズボンを履いて、制服に着替えを済ます。 それから携帯で家に連絡して、短時間で酷使された右耳を擦りながら携帯を閉じた時やった。 「怒られなかったでしょう?」 「ッ!? び、っくりした……!」 気配も何もなくいきなり掛けられた声に驚いて振り返る。 開けっ放しにしとった襖のところに、捲った割烹着の袖を下ろしとる最中の女の子がおった。 「人間相手に肝を冷やしてるようじゃ、この先身が持たないよ」 「せ、せやかて昨日の今日でおいそれと慣れるはずがないやん!」 「……それもそうか」 喧しく騒ぐ左胸を押さえる俺の訴えに、女の子はあっさり納得した。 せやけどあまりにあっさりし過ぎて、ほんまに納得したんか逆に疑わしいっちゅー話や。 あとこれは昨日から散々感じとったことなんやけど、感覚ちゅうか感性ちゅうか、この子の人としての何かが世間一般から大きく懸け離れとる気がしてならへん。 あんなグロいもんが仰山視えながら平然としとったのがいい例やで。 何でそんなことがわかるんか、男の子がああなった経緯を淡々と語っとったし、ここまで来る道のりの足取りには何の躊躇もあらへんかったし。 (……ある意味、この子がいっちゃん恐ろしい存在なのかもしれへんな) そんでもって典型的やけど、味方でいる限りはごっつ心強い存在でもある。 ちゅーかこの子がここにおるいうことは、一宿一飯と命を助けられたせめてもの恩義にしようとして断られた朝食の片付けは、どうやら終わってもうた後らしい。 いくら本人から自分のことをまず済ませ言われたちゅーても、はよ終わらせて手伝いに行こ思てたのに。確かに怒られはせんかったけど心配もされへんかった上に、何でか朝からごっつテンションが高かったオカンの長話に付き合わされて、すっかり出遅れてもうたわ。 「あ、せやさん」 「何? ……は?」 そん時ふと、オカンの長話で思い出した話に、俺は今さっき知ったばかりの、女の子の名前を呼んだ。瞬間、それまで目星いほどの変化がなかった表情が虚を衝かれもんになる。そういう次元の話やないけど、何となく勝ったような気分になった。 まあ結局あの後、はぐらかされて教えてもらえへんかった名前をいつの間にか俺が知っとるんやから、驚くんは当然やな。 「自分の名前、さんやろ? 今家に連絡したらオカンが教えてくれたわ」 「……そう」 「で、そのオカンからの言伝なんやけど、息子 ――― つまり俺のことやな。が世話になった御礼がしたいから、近い内に家に来もらえへんか、て。俺も何かしたいし、まあ恩人から来てもらうのも失礼な話やけど、ええか?」 「……機会があればね」 目を逸らして素っ気ない感じではあったけど、そんでも女の子は ――― さんは肯定的な返事をくれた。 「それより、支度はもういいの?」 「おお、バッチリやで!」 「じゃあ先に玄関に行っててくれる? 鞄取って来るから」 さんは廊下に出るとそう言いながら、指差したんとは反対方向に消えた。俺も指示された通り玄関に向こて、さんが来るんを待つ。 その間携帯で時間を確認すると、ゆっくり風呂入ったりメシ食ったりしとった割には、待ち受けのデジタル表示はまだ八時にもなってへんかった。まあテニス部の朝練にはカンペキ遅刻やけど。 「ちゅーか、まだ水曜日て……」 昨日あんなことがあったばっかりやからほんまは休みたいけど、ここは他人様の家やし、さっきの電話でオカンには大丈夫言うてもうたしで、今更やからなぁ。 何より昨日の別れ際まで余計な気揉ませた仲間らのことがあるから、ヘタに休まれへんわ。 ……いや、こうして朝練をサボってもうてる時点で結構今更やな。せめて白石にはメールでも打って ―――。 「はい」 「うわあああああああっ!!?」 「……五月蝿い」 靴履いて上がり またグロい存在がおったんやなかったことに安心したような、それとも驚かされたことに怒ればええんか泣けばええんか。もう訳がわからんわ……。 「か、堪忍してえな。ほんまに、心臓、止まるか、と……っ」 「……普通に声掛けただけなんだけど」 「自分気配がなさ過ぎやねん!!」 「そんなこと言われても……」 さんは困ったように曖昧な顔して「ごめん」言うた。 別に謝られたい訳やないし、そもそも世話になりっ放しの俺はさんに謝られるような立場でもない。 「――― て、え? さん、自分その制服……?」 そん時、学校行くんで割烹着を脱いださんの着とる服が初めて目に入った。 デザイン的にはセーラー服に近いけど、上下で服が別になっとらんで一つにくっついとるワンピース型の制服や。白を主体にしとるそれはものごっつ見覚えがあるちゅーか見慣れとって、そもそもここらで女子の制服がその型しとるんは、俺が知る限り一校だけや。 さんが着るその制服の左胸にある二重の菱形を基礎にした校章が、それを証明しとる。 「さんって四天宝寺生なん?」 「は? ……ああ、この前の夏休み明けからね。そんなことより、はい」 「お、おおっ。えっと、これは?」 「お弁当。君の携帯を取った時、偶然目に入ってね。まだ暑いこの時季に放置するのはいただけないと思ったから洗って、自分の分を作るついで作った。口に合わなければ捨てていいよ」 俺の驚きを余所に淡々としとるさんは、さっき俺の顔の真横に出された白い包みを今度は目の前に差し出す。 ……。俺、さんにはほんま足向けて寝られへんわ。 で、いよいよこの時が来た。 玄関を出て外と繋がる門扉が近付くにつれてどことなく薄まる澄んだ空気に、昨日のことがフラッシュバックして背筋がぞわぞわする。 手は汗が酷くて、身体は小刻みに震えとるし、ラケバを持つ手には無意識の内に力が入った。 「昨日も言ったことだけど」 門扉の前まで来たところで一旦足を止めたさんが振り返って言う。 「君の素質は飽く迄碌でもないのに限って好かれること。だから基本的には気楽にしてて問題ないよ」 「……どういうこっちゃ?」 「どうって、あー……例えば君の能力値が五〇だとする。それを目盛りの最大値が一〇〇と一〇、二つの装置で計測すると、どうなると思う?」 「そら一〇〇まで目盛りがあるんならちゃんと計測できるし、目盛りが一〇までしかないんやったら針が振り切れてもうて計測できんやろ」 「そう。つまり君の魅力は君の力を知覚できるものにしかわからないし、知覚されないものは認識もされない。……まあ君が好かれる一番の理由は、純粋な素質のようだけど」 ……どうして、こう、さんは恐ろしいことに限ってさらっと言うんやろ。 それも人がこの安全地帯から踏み出そういうタイミングで。 おまけに一番の問題要因が俺自身の素質て、そんなん簡単にどうこうできるもんやなかったら一生もんやん。素質ってつまり生まれ持ったもんやで。 「それと彼女のことだけど、彼女は今君の存在を完全に見失ってる。だから彼女とまた遭遇するなりして見つからない限り、君は今まで通りの生活を送って問題ないよ」 「ほ、ほんまか!?」 「――― 但し、彼女が君を見失ったことと君が助かったことは同義じゃない。寧ろ才能が開化したことで彼女以外の危険が増したし、彼女との遭遇率自体も増してる。君が余程の御馳走なのか、彼女は君を諦めていないどころか捜しているようだしね。油断は禁物だよ」 さらっと言うさんの口調は相変わらず淡々としとったけど、その表情と特に目がマジやったから、俺はさんの忠告を肝に銘じて頷いた。 004*110615
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