人工的な光に照らされた地下室には無数のコードが延びる機械が溢れ、机の上はおどろおどろしい色の薬品が入るビーカーやフラスコによって占領されていた。棚に納まりきらず床に積み上げられた本が狭い通路を更に狭め、そんな中に如何にもと言った風情の白衣を着る男二人の姿があった。

「しかし一体この女は何者ですか? 資料には宝条博士ご自身が見つけられたサンプルとありましたが」
「さあて、それを解明するためにこうしているわけだからね。それより君、さっきの計測結果はどうだったのかね? ん?」
「それが実は……」

 眼鏡を掛けた猫背の男が問うと、問われた若い男が先程機械から吐き出されたばかりの書類を眼鏡の男に差し出す。
 書類を受け取り、そこに書かれている数値に目を通していく男の眼鏡の奥にある瞳が、書類を捲るにつれて恍惚とした光を宿していった。先を急くように紙を捲る指先が思うようにいかずもどかしげに動く。
 男の様子を見ながら若い研究者は戸惑いの表情を浮かべ、躊躇いがちに言った。

「その数値は本当でしょうか? 機械の故障ではありませんか? その結果ではまるで……バケモノですよ」
「いいえ、このサンプルにとっては正常の値ですよ。これは実験開始前の測定時から、どの数値も通常を遥かに逸脱していましたからね。第二のジェノバか、或いは……クックックッ」

 掌で書類を打って整え、眼鏡の男は踵を返した。
 ぶつぶつと何かを呟き、恍惚とした表情は変わらない。

「宝条博士、どちらへ? 測定はまだ」
「私は上に戻ってこの結果にじっくり目を通させてもらいます。残りのサンプルの測定は任せます、終わったら結果は私のところまでお願いしますよ」
「っ、はい!」
「頼みましたよ。クックックックッ……」

 猫背の姿勢のまま、眼鏡の男は岩肌がむき出しの廊下へと出て行った。
 男が出て行った数秒後、若い男は「よしっ!」と拳を握る。目許に朱が差したその顔には隠し切れない喜びの感情が満ちていた。常に眼鏡の男と共に実験を行っている若い男にとって、この場を自分一人に任されたと言うことは信頼の証と受け取れたからだ。

 若い男は魔晄漬けにされている『サンプル』の女から離れ、扉に近い位置にある同じく魔晄が満ちた二つのポッドへと移動し、側にある機械の操作をし始める。
 隣り合って置かれている二つのポッドには黒髪と金髪、二人の男の姿があった。

 鼻歌を口ずさむほどに浮かれていた若い研究者は、だから気付かなかった。
 背中を向けている室内の奥に置かれたポッドの中で、虚ろな目をした女が見つめていたことに。

(さんぷる……ほうじょう、ばけもの…………じぇのば?)

 女の眼球が動いた。

(きいろ、きんいろ……まぶし……い、ろ……)

 若い研究者が不意に振り返る。
 水兵服のような襟にスカーフを巻いた上着に、膝上の丈のスカート。足に靴はなく、片側がずり落ちた黒のソックスだけが履かれている。若い研究者が知るものと似ていて、しかし異なるデザインの服を着た女が魔晄が満ちるポッドの中で相変わらず瞳を閉ざしている。その様を一瞥した。

 若い研究者は目の前の機械に向き直ると操作を再開させた。
 室内の奥に置かれたポッドの中で、彼女が再びその虚ろな瞳を表にすることはその後しばらくなかった。
TRANSIENT
うたかた
20070925 → 20080204