室内だけではなく外の廊下にも人の気配がないことを確認したザックスは、来た道を一旦引き返した。しかしいつ脱走に気付かれるかわからない懸念から暖炉の煙突にカモフラージュされた隠し扉をできるだけ静かに開くと、螺旋階段を下る時間が惜しくて中央の吹き抜けを飛び降りる。
 伊達にソルジャー・クラス1st をしていた訳ではない身体能力でざっと軽い音を立てて着地する。衝撃で起こった風によって砂埃がわずかに舞った。

 衝撃を和らげるために曲げた膝を伸ばし、顔を上げたザックスは笑った。ほんの数分前にここで待つように告げたときのまま、彼女は壁に寄り掛からせたクラウドの傍らに立っていた。戻ってきたザックスの登場の仕方に驚いたのか、わずかに眼を瞠っている。しかしすぐに無表情になった。

 水兵服に似た服を着たスカート姿の彼女は、女性と呼ぶには幼い容貌をしていた。しかし少女と呼ぶにもまた違和感がある。恐らく二十歳前後だろう。
 自分たちと同じようにポッドに入れられていたことから考えて、宝条に実験体として扱われたのは間違いない。最初に見せた笑顔が嘘のように消えた無表情はそれによる副作用だろうか。魔晄漬けにされていたのに瞳の色が黒色であることが気になるが、魔晄中毒の症状が見られるクラウドより、ザックスには彼女の方が余程重症に思えた。

「悪い、待たせたな。上は一先ず安全だったけどいつ気付かれるかわかんないし、朝になる前にここを出るぞ。……来れるか?」
「……」

 クラウドの右腕を肩に回してほとんど担ぐ状態になり、ザックスは彼女に訊ねた。
 彼女はわずかに首を傾げた後、無言のまま首肯した。実験の影響か元からなのかはわからないが、喋れないのかもしれない。


 外は夜だった。その静寂振りからして真夜中だろうか。
 どうやら運が味方しているらしく、それも新月だ。逃げ出すにはまたとない機会である。

 部屋に備え付けられているクローゼットを漁ったザックスは適当な服を掴むと、彼女が窓の外を見つめている隙に手早く着替えを済ませた。魔晄で濡れた元の服は適当なところに放っておく。
 そして少しサイズが大きかったが別の服を彼女に手渡して着替えるように言い、自分は彼女に背中を向けてクラウドの着替えをさせてやった。脱がせる前に一声掛けたが、クラウドは相変わらず呻き声に似た意味のない言葉を漏らすばかりだ。

 やはりサイズが大きかったが彼女も着替えを済ませたのを確認し、ザックスは彼女にクラウドとここで待つようにまた告げて、彼女が頷くのを見届けてからこの先の安全を確保するために一人部屋を出た。クラウドはあの状態だし、見るからに非力な彼女を危険に晒す訳にはいかない。
 二人のことは自分が何が何でも護るのだと。そして共にミッドガルにたどり着くのだと。ザックスは既に誓っていた。


「――― サンプルが逃げたぞ!!」


 黒髪の男が出て行って間もなく、外は慌しくなり、いくつもの銃声が真夜中の静寂を裂いた。耳を澄ませると他に剣戟や悲鳴も聞こえて、彼女は顔を顰めた。
 その時ふと背筋を走った寒気とは違う違和感に首を傾げ、余った袖にその半分を覆われる掌を見下ろす。銃声が空気を裂き、剣戟が響き、悲鳴が上がるたびに心の奥底で昂るものがあった。ぴくぴくと反応する指先がその興奮を物語っており、その感覚に彼女は首を傾げる。

 その時、騒ぎがこの部屋に近付いているのを感じて彼女は身構えた。つと走らせた視線の先では、黒髪の男にクラウドと呼ばれていた青年が呻いており、黒髪の男の声に無反応だったことから見て戦力としての望みは薄い。はっきり言ってしまえば足手まといだ。しかし自分は金髪の青年を庇護する理由がない。……そもそも何故、自分はここにいるのだろう。
 記憶の始まりは物音に目が覚めた数分前のことだ。目覚めたばかりで思考が働かず、黒髪の男があちこち動き回るのをぼんやり見つめていたら目が合って、それが何故かものすごく ――― 嬉しかったのだ。きっと。嬉しいという感情が自分には酷く朧でそれが本当に喜びを示す感情だったのか自信がないが、気付いたら笑っていた。
 入れられていた容器から出された自分に、腫れ物のように触れた男の手がくすぐったくて、けれども不快ではなくて。

(だから、だから……わた、し、は……)

 ――― 刹那、扉を蹴破って現れた人間の持つ黒光りする『それ』が、黒髪の男が大切に扱っていた金髪の青年に向けられた瞬間に、身体は無意識に動いていた。
 金髪の青年を庇護する義理も道理もない。しかし黒髪の彼が青年を扱う手が、自分に触れた手と同じ手だったから。『彼』を失ってはいけないと思った。誰に命じられた訳でもなく自分で思い、感じ、だから動いた。
SWEAR
ちかう
20090413