鼓膜まで支配する鼓動に意識は乱れ、身体は混乱に強張る。
 状況把握に頭の処理が追いつかず、ようやく現状を理解した時には、粗末なベッドの隅で丸くなりまるで何かに脅えていた風な自分に動揺した。全速力疾走の後でも乱れることがない呼吸を珍しく乱し、は視線を巡らせる。

 自分が今いるのは窓のない分厚い鉄の壁と扉に覆われた個室だ。
 シーツがない薄汚れたベッドに、虫が湧いていそうな剥き出しの簡易トイレ。不規則に点滅を繰り返す電灯。

 はふっと肩の力を抜いた。
 そうだ。エアリスを救出に神羅ビルへ侵入し、エアリスを助け出したところまではよかった。
 だが結局、捕まったのだ。確かタークスとか言った、揃いのスーツを着た男たちに。

 は落ち着いた呼吸とは対照的に、未だ早鐘のように脈打ち続ける胸に手を当てた。そして首を傾げる。
 明確何かがある訳ではない。しかしはっきりとは言えないが、何か違和感を覚えた。しかし徐々に落ち着いていく鼓動には特に何の異常もなく、相変わらず全身に血を送り続けている。

(……?)

 血、と思ったときだ。
 鼻腔に届いたその飽くほどに嗅ぎ、しかし未だに慣れることがない鉄にも似たにおいには顔を上げる。先程部屋を見回したときには確かに閉まっていた扉が開いていた。
 同時に気味が悪いくらいの静寂が耳につき、は気配を殺して出入口に忍び寄る。

 程近い廊下に看守と思しき男が血まみれで転がっていた。
 首筋を斬った一撃は頸動脈にまで至り、その綺麗な切り口から犯人は相当の手練れとわかる。
 一体誰が、と考えて、は壁や床、果ては天井にまで付着している血の跡を目で追った。躊躇はない。は看守の腰から銃を引き抜くと上階に向かって続いている血痕を追った。


 そして途中、は足を止める。
 エアリスを救出に来た際、首のない不可思議な生き物が入っていたドーム型のポッドの扉が剥がされ、中身が空になっていた。中を満たしていた液体は通路で水溜まりをつくり、無数のコードは引き千切られている。

「……」

 何故か、背筋がぞっと粟立った。
 は剥がすようにポッドから視線を外し、銃を握り直すと足早にこの場を離れた。

 いくつもの血塗れの死体を通り過ぎ、薄くなるどころか濃くなっていく血痕をたどり、何故か機能停止しているロックを抜けて。行き着いたのは九十九階だった。ここにも警備員と思しき男の死体が転がっていた。やはりどれも綺麗な切り口の一撃で殺されている。死因は失血のショックだろう。
 そしてはここに来てようやく、クラウドたちの存在を思い出した。
 牢屋が開いていて、看守の死体が側にあったのだから鍵を奪ってクラウドたちを助け出し、共にここまで来ればよかったのに。まるで何かに脅迫されたように先を急ぎ、ついにここまで来てしまった。今更引き返すこともできない。


 最上階。
 プレジデント神羅の社長室がある地上百階に、は足を掛けた。
 ――― まさに決定的な瞬間だった。

 長い刃がプレジデントの身体を背後から心臓を一突きにする。
 骨を避け、確実に肉だけを貫く音が静かな空間だからこそ耳についた。
 己の手でも幾度となく感じた音に、感触が蘇り、どうして今更恐怖を感じるのか。は息を呑んだ。わずかな光すら反射する銀色が、綺麗だと、思ってしまった。

 ――― その先を、は憶えていない。
SILVER
ぎんいろ
20080904