ヴンパイア。

 その発祥や概要には諸説あるが、日本語で“吸血鬼”と言われる正にその通り、人の生き血を啜り糧にするヒトにあらざる存在。それが一般的な共通認識だろう。
 又、吸血鬼が空想上の存在であるというのも常識だ。
 吸血行為を行う動物や病気の一種は存在するが、それらと創作の中に生きる存在は全くの別物である。何故なら彼らは吸血鬼のように生と死を超越していなければ、その狭間に在る訳でもないからだ。精々その生態や症状にインスピレーションを得たとか、その程度の関連だろう。

「しかし吸血鬼は実在し、小母様はその家系である、と?」
「せや」

 若干大仰な動作で肯定した小母様に、わたしは思わず胡乱な表情になった。
 けれども頭から否定することができない理由は他でもない。自分がその、空想上の存在であるはずの吸血鬼に、吸血された人間だからだ。

 曰く子孫だと言う小母様の話を詳しく聞けば、吸血鬼は創作の中に語られるような化け物などではなく、謎の突然変異によって遺伝子に問題を抱えた人間を指すのだそうだ。
 しかしながら創作の通り人間にはない特殊な能力を持っているのも確かなため、一概に化け物でないとは言い切れなければ、人間であるとも言い切れず。ヒトであってヒトではない彼らは、ヒトとして欠如したものを名が示す吸血行為によって補うために、ヒトの生き血を啜るのだとか。
 またその存在は遺伝子の突然変異に起因するため吸血鬼は絶対数が少なく、遺伝子的に劣勢であることも手伝って、吸血鬼の子が必ずしも吸血鬼に生まれる訳ではない。そのため正確な情報の世間的な認知度が限りなく無に等しく、何も知らない古人たちの創作により、現在のようなイメージが定着したのではないか。

 ――― とは、小母様の言だ。

「ほんでも、どうやらクーはご先祖様の血を色濃く受け継いだみたいでなぁ」
「隔世遺伝、ですか」
「そう、それや。せやけど正直、詳しいことはようわからんのよ」

 どうやら吸血鬼の血を継いでいるといっても、実際に吸血行為を行うような先祖返りをした者は過去に例がないらしい。
 だからこそ、一族はその血筋に関する子守歌代わりの口伝を御伽噺の類いとしか認識せず、伝わっている情報は少ない。斯く言う小母様も、つい昨夜までは全く信じていなかったそうだ。
 けれどもそれは仕方ない。わたしが小母様の立場でも、やはり同じように信じなかった。そもそもそんな夢物語のような話を信じられるはずがない。

 しかし、その実物が目の前にいる。

 今更だが、所は蔵ノ介の部屋。昨夜は気絶する形で眠り付いたわたしが目を覚ましたのは、部屋の主を差し置き現在も占領を続けているベッドの上だった。
 そしてその脇にいる小母様から視線を横にずらすと、そこには部屋の主であるはずが肩身が狭そうに縮こまり、飽く迄自発的に、敢えて敷物から外れたフローリングの床に正座している蔵ノ介の姿がある。擬音にするならしょぼんと肩を落とし、俯いているために表情は窺えないが、目も当てられないほど情けない顔をしていることは間違いなかろう。

 強く自責の念に苛まれていると見えるその様子に、けれども掛ける言葉が見つからなかった。
 こんな状況、普通なら一生縁がないことだ。対応できなくても致し方なかろう。

「あー……でな、ちゃん。ほんまに申し訳ないのやけど、本題はここからやねん」
「……どういうことですか?」

 するとこの妙な沈黙を破り、小母様が再び口を開いた。
 視線を戻せば、逆に目が合わない微妙な位置に逸らされる。

「話によるとな、血を吸う相手いうんは誰でもええ訳やない。相性いうのがあって、それが合うた人間の血やないと何の意味もないらしいんよ」
「意味がない、というと……?」
「吸血鬼いうんはグルメらしくて、自分の舌に合った血しか受け付けへんのやて。それというんも、自分の舌に合った血には自分に必要な栄養がごっつ詰まってるかららしいんや」

 つまり味の善し悪しと栄養の有無はイコールで結ばれているという訳か。
 しかしそうなると、その相性が合う人間と生涯出逢える確率は正に奇跡ではなかろうか。

(ん? ということは、蔵ノ介も……)
「そこで、ちゃんにお願いや」
「……え?」
「――― ッ、おかん!!!」

 考え込んで反応が遅れたわたしの声を掻き消す勢いで、これまで沈黙を続けていた蔵ノ介が突如声を荒げた。
 同時に上がった顔は茹で蛸かと思うほどの赤に染まり、想像していたのとは別の意味で情けないことになっている。勢いで立ち上がろうとするも慣れない正座で足が痺れ、痛みに悶える様が尚更だ。しかしその瞳は威勢を失わずに小母様を睨み付けている。
 だが対する小母様の表情は冷ややかと取れるほど落ち着いている。いや、若干愉快そうにも見える。
 姉さんや由香里が時たま見せるのと同じ色だ。流石は親子。いい予感が全くしない。

「何やねん、クー。あんたが自分では言われへんちゅうから、母親として代わりにお願いしとんのや。邪魔するんやない!」

 わたしに向き直った小母様は、失血が多く未だベッドの上で上体を起こすのが精一杯のわたしに迫り、更に両手を握った。
 その雰囲気や眼差しに気圧されて仰け反るが、背後はクッション代わりの枕を挟んで壁だ。わたしに逃げ場はない。

「図々しいのも受け入れ難いのもわかる。せやけどお願いや、ちゃん。時々でええから、ちゃんの血をクーに分けたってくれへん?」
「わ、わたしの血を? ですが、相性があるのでは……」
「それがクーとちゃんの相性て見事にバッチリやねん! クーの顔見てみ、血色がええやろ? ちゃんを貧血にさすほど血を飲んだんや、よっぽど美味かったんやねぇ」
「お、おかん!!!」

 先程が非難めいていたのなら今度は悲鳴めいた声音で、蔵ノ介はまた叫ぶ。

 しかしそう言われると、今の赤さは羞恥によるものだろうから当てにはならないが、昨夜の意識を失う寸前に見た蔵ノ介の顔色はそれまでの青白さから一転、赤味が差すまでに回復していた。
 それだけではない。舌に合った血以外を受け付けないというのがどれほどの拒否反応かはわからないが、小母様が仰る通り、貧血になるほどの血を飲まれたのだ。わたしの血が蔵ノ介の好みに合わなかった、ということもないのだろう。

「……わかりました。わたしなどの血で宜しければ、協力させていただきます」
「なっ、! ちょっ、自分本気で言うとんのか!?」
「勿論。こんなこと、冗談で了承するはずがない」
「せ、せやかて、血を吸われるんやで? ちゅうか俺が吸血鬼の子孫とか、先祖返りしたとか、何とも思わないん? ……怖く、ないんか?」
「何とも思わない、ということはないけど、少なくとも怖くはない。先祖がどうだろうと、わたしにとって蔵ノ介は蔵ノ介だ。吸血行為にしても、生きるために必要な生存本能なら仕方ない。寧ろわたしの血で蔵ノ介の命が繋がるのなら、わたしは喜んでこの血を差し出す覚悟だ」

 そう断言すると、蔵ノ介はポカンと少々間抜けな顔を晒した。
 この隙に、わたしは言葉を続ける。

「それにな、蔵ノ介。小母様の話を聞く限り、蔵ノ介と相性の合う人間が出会える確率は正に奇跡だ。けれど血に目覚めた蔵ノ介の傍には、わたしという適合者がいた。それはきっと一種の運命なのだと思う。わたしは在るべくしてここに在り、蔵ノ介と出逢うべくして出逢ったのだと。……なんて、陳腐過ぎるか」

 口にしてから随分恥ずかしいことを言ったと、恥ずかしくなる。誤魔化すように笑った。
 すると次の瞬間、蔵ノ介は再び紅潮し、左手で顔を覆って俯いた。そんな反応をされては、わたしも益々恥ずかしくなる。

 ふと、未だ小母様に握られている手が更に強く握られた。
 小母様に視線を移すと、笑顔と言うよりは微笑と言える柔らかな表情に出会う。

「ほんまに、ちゃんがちゃんでよかったわ」

 噛み締めるような重みを感じる語調だった。
 けれどもわたしにはその深意がわからず、首を傾げる。だがこの疑問に答える気がないのか、小母様は微笑を保ったままわたしの手を解放し、そのまま立ち上がる。

「大事な話やったちゅうても、長なってもうたね。起き抜けにすまへんな、ちゃん。昨日は夕飯も食べとらんし、今用意するさかい。ちょっと待っててや!」

 そして退室した小母様は、しかし扉を閉じる寸前で何かを思い出したように「あ」と声を上げ、顔だけを覗かせた。
 最初の一瞬は蔵ノ介に目を向け、それからわたしに、今度は悪戯っぽく微笑む。

ちゃん、さっき“わたしなどの血で宜しければ”言うてたけど、それはちゃうで。最初から、クーにはちゃんの血しか飲まれへんのや。絶対にな」
「――― おかんっ!!!」

 三度目の絶叫は一度目に勝る悲鳴に聞こえた。
 驚いて視線を転じれば蔵ノ介は肩で息をしており、未だ赤い顔と合わせてかなりの動揺が窺える。それが余程愉快だったのか、楽しげな笑い声を残して小母様の姿は扉の向こうへと消えた。
110923