東京の試合会場から所変わり、神奈川にある真田邸。
 同じ敷地内に併設されている剣道場へ幼少のころから通い詰め、すっかり馴染みとなっている邸には現在、これまで馴染みがなければ、ある意味で異様とも言える光景が繰り広げられていた。

「真田の見た目を裏切らん、見事なまでの日本家屋やな」
「ああ、全くや。しかも豪邸やし」

 そんな会話をしながらまじまじと室内を見回す、忍足と小石川をはじめとした四天宝寺の面々。

「見て見て、大石! 池! でっかい鯉もいるにゃー!!」
「こらっ、他人様の家でそんなにはしゃぐんじゃ、って! 英二!!」

 同年らしいが、どうにもそうとは思えない落ち着きのなさと猫のような身軽さで庭へと飛び出した、頬に絆創膏を貼る選手改め菊丸英二と、その彼を追って庭に出た大石秀一郎をはじめとした青春学園の面々。

「試合以外で他校の俺たちがこうして集まってるなんて、何だか不思議な感じだね」
「ああ。その場所が弦一郎の自宅であるというのが、また面白い」

 友人宅であるため、以前にも何度か訪れたことがあるのだろう。
 唯一邸の空気に馴染み、落ち着いた様子で会話をする、精市と柳をはじめとした立海大付属の面々。

 本当に、何とも異様で、不思議な感覚を齎す光景だった。

 そもそも何故このような事態になっているのかと言えば、女児を望むも恵まれない一族であるが故に、時として当主であらせられる弦右衛門お爺様以上の発言力を持つ女性陣 ――― 今回の場合、弦一郎のお母様 ――― がお望みになられたからである。
 実は弦一郎と国光が近い内の再戦を約束したことに、何故か一行が騒ぎ出したところで、小母様からわたしへ連絡が入ったのだ。一応は彼らから離れたところで電話に出たのだが、それでも小母様は周囲の騒がしさに気付かれ、状況を説明したところ急に声を弾ませて、是非とも彼らを招待するよう指示されたのである。
 その推しの強さたるや有無を言わせぬ語気があり、実の母であれば、確と真田の血を継ぐ弦一郎に逆らえるはずもなく。こうして現状に至るというわけだ。

 しかしながら、もともと大会後に真田の家へ集合する予定だったという立海大の者たちは兎も角、優勝した青春学園は仲間内での祝勝会なりがあるであろうし、四天宝寺は大阪に帰らねばならぬのだから、無理に来ることはなかったというのに。
 だが青春学園と四天宝寺、両校の顧問は快く彼らを送り出したばかりか、四天宝寺の顧問に至っては、実は今日の帰りの新幹線の切符が取れていなければ宿もないため、ついでに泊めさせてもらって来いと言い出す始末であった。
 まあ、それで実際、小母様があっさり了承、歓迎されたのだから、同じく世話になっている身であるわたしにとやかく言えたものではないが。

 だがしかし。しかしである。
 何故四天宝寺の面々だけではなく、立海大も青春学園も揃って全員で“お泊り会”を催す流れになっているのだろうか。全く解せぬ。

「あかん、ほんまに、……何なんや、あの人ら……」

 客人である彼らの中から何人か申し出てくれた手伝いを折角だが断り、人数が人数であるため台所と居間の往復を何度か繰り返して、わたしも遅れて一息入れられた頃であった。
 覚束ない足取りで一人遅れて居間へとやって来た蔵ノ介は、弱々しい言葉の通り憔悴し切った様子で卓上へと突っ伏した。

「……意外に早かったな」
「ああ、そうだな」

 そんな蔵ノ介を憐れみとも同情とも取れる表情で見て、弦一郎が感慨深く告げる。これにわたしも同意した。
 というのも、蔵ノ介が遅れてきた理由及び原因は、他ならぬわたしにあるからだ。

 そう、あれは我々が真田邸へ到着した時のこと。

 玄関で我々を迎えてくださった小母さまに各校の部長が代表して挨拶し、更に蔵ノ介は顧問の無茶な話に対する詫びと、それを快諾していただけたことへの感謝を述べた。
 その際、蔵ノ介の紹介として、横にいたわたしがこう言い加えてしまったのだ。「彼とは大阪での家が隣で、引っ越した当初から家族ぐるみでお世話になっているのです。特に彼とは同い年ということもあって、いつも助けられております」と。――― 瞬間、小母さまの目付きが変わった。それと同時に、厳しい鍛錬の成果を無駄に遺憾なく発揮して気配を殺し、物陰という物陰に潜んでいた兄弟弟子たちがわらわら集まり、蔵ノ介を取り囲んだのだ。今が夏休み中ということもあって、その数軽く二十はいただろうか。

 そうして、蔵ノ介は彼らに攫われた。
 表情は飽く迄穏便に、しかしその目は固より口調も「ちょっとツラ貸してくれる」と柄悪く、疑問形ですらない強引さでもって。

「そういえば、つい訊き逃してたけどよ。あれって何だったんだ?」
の身近にいる男は、誰しもが一度は通る道だ」
「何すか、それ」
「男系一族であるが故の弊害とでも言うのか。皆、わたしに対して過保護が過ぎるのだ」

 茶菓子を頬張る丸井と麦茶の水滴で首筋の涼を取る光の疑問に、弦一郎とわたしでそれぞれ答えるが、それでも事情を知らない者には理解し難い話だ。二人だけではなく、その他同じ疑問を抱く者たちの頭から疑問符が消える様子ない。
 生まれ持った宿命のため、そこにわたしの意思が介在しないとはいえ、他ならぬわたしが原因となっている事情を公然とするのは心情的に憚られるものがあった。だが今回の被害者となった蔵ノ介への説明もあるため、話さない訳にもいかない。
 致し方あるまい。腹を括ろう。これが原因で蔵ノ介との関係に亀裂が入ることはないと、この二年余りで築いた絆を信じるのだ。

「……真田の血に連なる子は、どういうわけか男児しかいないのだ。弦一郎の兄様、父様、祖父様といった具合に、真田の血が流れる者は遠縁だろうと男児しか生まれない。実際、わたしの父も兄二人弟二人の五人兄弟だしな」
「それ、ちょっと呪いっぽいんスけど」
「一族にとっては正にその通りだ。いくら女児を望み、こちらとは反対に女児ばかりの女系一族から嫁をもらおうとも、男児しか生まれないのだから」
「しかし、その話に関しては相手方の一族には大いに喜ばれたと聞く」

 弦一郎の口から、酒に酔うと決まって同じ話をする親戚の一人から毎度聞かされて耳にタコが出来ている話が引用された。
 そういえばそんな話もあったなと思い出してわたしも同調すると、少々大袈裟とも思える反応で頬を引き攣らせていた赤也は、ますます頬を引き攣らせた。

「あれ? だとしたら、さんは? 真田くんとは親戚なんだよね?」
「ああ。つまり、わたしは一族が切望していた、真田の血を引く唯一の女児ということだ」
「成る程。だから皆さん、さんに対して過保護になってしまわれるんですね」
「そのような言葉で済めばまだ可愛い。わたしに歳が近いか或いは親しい異性を手当たり次第に牽制して、その所為で一体何人の入門希望者が挫かれていったことか……!」

 河村隆の疑問に答えれば柳生が納得して頷いたが、そんな事情など何の免罪符にもなりはしない。彼らが仕出かしたことが、脅迫紛いの所業である事実は変わらないのだから。
 お陰でここの剣道場の入門者は、真田の血に連なるものが九分九厘を占めている。先程蔵ノ介を攫った者たち全員もそうだ。貴重な例外はわたしと同性か既婚者、幼稚園ほどの幼子や、彼らの牽制に挫けなかった者ぐらいである。

 そこまで説明したところ、隣の周助が何やら拗ねた様子であることに気付いた。
 一体どうしたのかと問えば、周助は「だって」と唇を尖らせる。

「小学校の頃、くんと一番仲が良かったのは僕だって自負してるのに、僕はそんな経験一度もないんだもの。それともくんにとっての僕って、友達ですらなかったの?」
「まさか、それは誤解だ」

 思ってもみなかった解釈をされて、すぐさま否定の言葉が飛び出す。

「真田の人間、特に年配の方々は、わたしの事となる常識も理性も欠落するのだ。今さっき蔵ノ介が受けた扱いなど、わたしが小学生だった頃のそれに比べればまだ可愛い。そんな仕打ちにあの周助が耐えられるとは思えなかったし、折角できた友人をわたしが女であるというだけで失いたくなくて、隠していたのだ」

 周助と親しくなった切欠が、幼い頃は一見女の子と誤解される可愛らしい顔立ちだった周助の性別を勝手に勘違いして惚れておきながら、事実を知るや否や嘘吐き呼ばわりして苛め出した餓鬼大将の暴挙から救い出したことであるというのも、関係しているのだろう。
 わたしの中で、周助の存在は庇護対象として根付いてしまっていた。
 だから、親バカである父をはじめとした真田の人間に決して知られぬよう隠し通した。

「周助のことを友人だと思っているからこその行動だったんだ。しかし、それが逆に誤解を招いてしまったのなら申し訳ない。すまなかった」
「そんな、くんが謝ることじゃないよ。寧ろ当時の自分が情けないと言うか、悔しいと言うか……。僕の方こそ意地悪な言い方してごめんね。それから、ありがとう。やっぱりくんはくんなんだなって、そこはちょっと嬉しかったかも」

 感謝の言葉については、わたしが真田の人間たちから周助の存在を隠し護っていたことに対してであろう。だがわたしがわたしであるという、至極当然である事柄を嬉しいと言う意味がわからずに首を傾げる。
 すると周助は徐にわたしの頬へと手を伸ばし、先日もそうしたように頬へ触れると「でも」流れるように髪を梳いた。そうして一房の髪を掬い上げ、わたしの顔を覗き込むような上目遣いでわたしと視線を交わす。

「僕だって、いつまでも弱いままじゃないよ。これからは僕が、くんのことを守るんだから」

 言って、周助はわたしの髪に唇で触れた。
 一秒か二秒ほどして解かれた髪は重力に従って落ちる。その様を見届けてから姿勢を戻した周助に改めて目を向ければ、目許にほんのりと朱を差したはにかみがそこにはあった。思わず口許が綻ぶ。

「ああ、楽しみにしてるよ」

 そうだ。蔵ノ介とのあんなにも白熱した闘いを見せられたのだ。周助はもう、あの頃の泣き虫な周助ではない。最早わたしの庇護などなくとも己が足で立ち、歩み、選ぶことができる。
 少し寂しい気持ちはあるが、彼を庇護してきた者として、この旅立ちをわたしは喜んで見送ろう。


「……さんがそーゆー好意に鈍感な理由が、ようわかりましたわ」
最果てにて待つ*150705