待ち合わせの時間まであと八分。幸いにもこの丁度いい時間に着く電車があったのでそれに乗り、予定通り目的の駅に無事到着する。しかし改札を抜けて辺りを見回しても、事前に到着時刻を教えておいたはずの待ち人の姿は見当たらなかった。
 だが人通りの邪魔にならない場所へ移動してよくよく見回せば、高校生と思われる複数の女子に囲まれているのを見つけた。思わずため息が出る。

 眉目が整っていることは認めるが、まさか東京に来てまでこの光景を目にすることになるとは。
 そして更にまさか、連れ立つ相手が異性と見抜いた弦一郎のお母様に嬉々として遊ばれたことを、感謝する羽目になろうとは……。

「――― 蔵ノ介!」
「! お、おう、
「ごめんなさい、待たせてしまって。蔵ノ介とのデートは久し振りだから、目一杯おめかししようとしたら、支度に手間取ってしまったの」

 こちらに反応した蔵ノ介の視線を追った三対の視線を気に止めず、わたしは蔵ノ介の許へと駆け寄った。
 恥じらうように目を伏せつつ、けれど如何にも親密な関係であると見せ付けるように蔵ノ介と密着する。それから然もたった今存在に気が付きましたと言わんばかりに彼女たちへ目を向け、首を傾げた。

「あら、こちらの方々は? 蔵ノ介のお知り合いかしら?」
「ち、あのっ ――― ごごごごめんなさい!!!」

 わたしとしては蔵ノ介に投げ掛けた問いだったのだが、答えたのは蔵ノ介を囲っていた女子の一人だった。
 彼女は叫ぶような謝罪の言葉を残し、友人二人の手を掴んで走り去った。人ごみに紛れてあっという間に見えなくなる。大阪の女子と比べると何とも呆気ない結末だ。それはそれで構わぬが。

「っ、ちょ、っ!? い、今のは何や……?」
「監督・姉さん、脚本・友香里による、蔵ノ介が軟派に遭っていた際のススメ。……まさか本当に実行する日が来るとは思わなかった」

 姉さんというのは、大学生である蔵ノ介の実姉のことだ。
 男系一族で一人っ子のわたしにとっては本当の姉のような存在で、姉さん自身に本当の“姉”と思ってくれて構わないと言われたため、喜んで「姉さん」と呼ばせていただいている。

 そしてこのススメは、出掛け先で毎回、必ずと言っていいほどの高確率で軟派に遭う蔵ノ介を如何に手早く救出するかという目的の元、姉さんと友香里の手によって考案された“わたし用の”手引きだ。台詞には他にもいくつか種類があるのだが、今はその話はいい。
 嗚呼、しかし上手くいってよかった。極自然を装えるようになるまで、幾度となく大根と罵られた甲斐があったというものだ。
 あれは今までに経験した稽古の中で最も難しく、主に精神的な苦痛を強いられた時間だったからな……。

「あ、あいつら……!」
「ところで、蔵ノ介一人? 他のみんなは?」

 だがそんな苦々しい気持ちを思い出すより、辺りを見回しても蔵ノ介以外の見知った姿が一つも見当たらないことの方が、今は重要だ。
 わたしが首を傾げると蔵ノ介は赤味が差した顔できょとんと瞬き、すぐに納得したよう苦笑する。

「すまん、俺の言い方が悪かったみたいやな。他の連中やったらとっくに好き勝手観光行ったで。それともは、俺と二人きりは嫌やったか?」
「まさか。ただ小春がいないことに安心したような拍子抜けしたような……まあ、いないならいいよ。それで、蔵ノ介は一体どこへ行きたいの?」
「それは、あー……」

 蔵ノ介は意味のない母音を伸ばしながら目を泳がせる。

「その……が前に住んどった場所って、ここから近いん?」
「え? ああ、電車に乗ればそれほど遠くは……」
「せやったら、そこに連れてってや」
「でも、普通の住宅地だよ。観光ならもっと別の場所の方が」
「ええねん。観光地より、俺はの地元に行きたいんや。……あかんか?」

 何をそこまでと思うほど、蔵ノ介は真剣であると同時に必死に見えた。
 そんな顔をせずとも、一度引き受けた役目だ。たとえ行き先が何の変哲もない住宅地だろうと、蔵ノ介が行きたいと望んでいる場所なら案内するというのに。
 何より行き先がわたしの地元なら、確かにその案内役はわたしにしか頼めないことだしな。

 蔵ノ介の希望を了承し、わたしはその手を引いた。


「にしても、と真田クンが親戚やったなんてなぁ。ひょっとして、帰省中世話になっとるっちゅう親戚って真田クンのことやったりするん?」
「あ、うん。男ばかりの家系だから、みんなわたしには甘くて……」

 いつの間にか指を絡める形で握り直された手を繋いだまま、運良く空いていた席に隣り合って座る。そして、やはりとでも言うのだろうか。蔵ノ介が話題にしたのは弦一郎たちについてだった。
 一体どういうつもりで持ち出した話題かは蔵ノ介にしかわからない。少なくとも横目でこっそりと窺った蔵ノ介の表情は普段と何ら変わらないように見受けられるが、妙なところで器用な蔵ノ介のことだ、当てにはならないだろう。

「成る程なぁ。つまりを猫可愛がりしとるんは、小父さんだけやなかったっちゅうことか」
「……否定はしない」
「ははっ、せやけどそらあんま想像したくない光景やなぁ」

 とは言いつつも想像したのか、蔵ノ介はげんなりした顔になる。
 父の親バカ振りを知る蔵ノ介だ。父のような人が数十人単位に及ぶ数いると想像すれば、そんな顔をするのも仕方がない。寧ろ道理だ。
 わたしの方も先日の酒盛りの席を思い出してげんなりさせられる。

「ところで蔵ノ介はどうして、わたしの地元へ行きたいだなんて言い出したの?」
「ああ、それはあれや。ばっかりはずるいやん」
「――― は? 何の話?」

 身に覚えがなければ全く心外な非難に顔を顰めるわたしに対し、蔵ノ介は拗ねたように唇を尖らせる。

「やっては、と会う前の、小学校とか幼稚園とかの頃の俺がどんな子供やったか、知っとるやろ?」
「まあ小母様たちがアルバムを見せてくださったし、いろいろお話してくださるから多少は知っているけど、それが?」
「よう考えてみぃ。は小さい時の俺がどんなやったか知っとるけど、俺は小さい時のがどんなやったかほとんど何も知らへんし、写真も見たことあらへん。真田クンたちとの関係を知らんかったんがええ例やで。これってずるないか?」

 若干興奮気味に語る蔵ノ介の表情は至って真面目だった。
 言われてみれば確かに、狡いという表現が適切かはわからないが、わたしは蔵ノ介の幼少期についてのあれこれを知っている。主に小母様と姉さんが教えてくださるのでな。
 これに対し、わたしの幼少期についてはこれまで特に話題になったことがなかった。――― いや、正しくは話題にはなっても発展をしなかった。最たる理由は言わずもがな、父は固より多少は理解のある母もまた、二人揃って親バカだからだ。
 わたしのアルバムは父厳選のアルバムを含め二人の手で厳重に管理され、被写体であるわたしですら滅多に見ることがかなわない。してや他人が見ることなど夢のまた夢である。

「……何と言うか、ごめん」
「いや、俺かてすまん……」

 折角話題転換したはずがまた元のげんなりした気持ちに戻り、吐き出したため息が重なったわたしたちは顔を見合わせ、笑った。
僕が知っている君*110228