――― 結果を言えば、四天宝寺は健闘も空しく準決勝で敗退した。 「こちらは終わったよ、弦一郎。……終わってしまった」 『……そうか』 「弦一郎たちは勝ったのだろう?」 『ああ、勝った』 「そうか……。――― では、わたしは今からそちらへ向かう。少し待っていてくれ」 『いや、がそこで待っていてくれ。俺が迎えに行く』 「……ああ、わかった」 通話が終わり、最初の画面に戻った携帯電話をしばらく見つめ、閉じる。 そうだ終わった。蔵ノ介たち三年生部員にとって最後の夏が、一年前の雪辱を晴らすべく人一倍の努力を重ねてきた蔵ノ介の夏が、終わってしまった。 それは何とも呆気なく、当事者ではないにしてもなかなか実感が湧かない幕切れだった。――― しかし、当事者たちは違う。 特に蔵ノ介に至っては、あの日からずっと、寝ても覚めてもテニスのことばかりで。部長と言う立場であるが故の重責と、溜め込むばかりで発散する術を知らないストレスを重ねるばかりか、過度の練習によって手首を傷めるほどの心血を注ぎ、必死だったのだ。 それこそ正に、死物狂いという、その言葉の通り。 「合わせる顔がないな……」 つい二日前まで知らなかったとは言え、一年前に蔵ノ介たちが敗北したのは、わたしの身内である弦一郎たちのチームだった。 そして今日蔵ノ介たちが敗北したのは、わたしの友人である国光と周助のチーム。 一体何の因果だろう。わたしと縁ある者たちのいるチームが 蔵ノ介たちが負けたことは悔しい。しかし同時に、国光と周助、弦一郎たちが勝ったことを嬉しいと思っているわたしもいるのだ。 一四天宝寺生であるにも関わらず、何と愛校心がない。一氏に言われた通り、人としても友人としても冷たすぎる薄情者だ。 「姉ちゃん見ぃーつけたあああ!!」 「――― っ!? き、金太郎……?」 「白石ー! 姉ちゃんここにおったでーっ!」 そんな時、突然腰元を襲った衝撃につんのめる。 見れば金太郎が抱き付いていて、金太郎はわたしと目が合うとにっと得意げに笑い、後方へ向けて声を張り上げる。 そちらには名前を呼ばれた蔵ノ介を始めテニス部の面々が揃っていた。合わせる顔がないと考えてから間もないこの対面には、いくらなんでも動揺しない訳がない。 「おお、ようやったわ金ちゃん。、いつの間にかおらんようなっとったから心配したで」 「す、すまない……」 対する蔵ノ介の態度はいつもと何ら変わりなく、これにわたしはますます動揺するどころか、逆に冷水を浴びせられた心地だった。 どうして、と思う。けれど同時に、当然とも思った。 「すんません、さん」 「は? ……一体何の話だ?」 すると蔵ノ介の隣に歩み出た光に突然頭を下げられ、今度は困惑を余儀なくされた。 何に対する謝罪かはわからないが、少なくともわたしには光から謝罪される謂れに心当たりがない。寧ろ彼らの敗北を悲しむばかりではいられない薄情なわたしこそが、彼らに謝罪するべきだ。 「前に、さんは二十日には大阪帰ってまうから、ほんなら全国は観に来れないっちゅう風に言いましたやろ?」 「あ、ああ、言っていたな。しかし大会は十七日が開幕だったようだが……」 「それ、さんに観に来てもらうんやったら決勝戦観に来て欲しくてそう言うたんすわ。せやけど俺ら準決勝で負けてもうて、叶いませんでした。すんません、嘘吐いてもうて」 そう言って、光はまた頭を下げた。しかしそれは結果的な話であり、実質的な嘘とは異なる。仮に嘘と分類されるとしても、責められたり罰せられたりするようなことでなければ、 何よりも、敗北を喫し誰より悔しい思いをしている光が、光たちが、そんなことを気にして謝っている場合ではなかろう。 (嗚呼、わたしは最低だ) わたしが今日ここへ来たのは、厳密には弦一郎の試合を観ることが目的だった。 無論四天宝寺の試合を観戦する目的もあったが、それでも弦一郎の試合と比べれば二の次にしていた。大阪に戻る日のはずだった今日、一人だけこちらに残った理由が“それ”だったからだ。これはもう薄情などという言葉一つで片付けられるものではない。最低な上に最悪な所業だ。 「 ―――」 「!」 その時、蔵ノ介の声と重なるように弦一郎の声が聞こえた。 だが振り返った先には弦一郎だけではなく、精市を始め今朝この大会会場まで共に来た面々が勢揃いし、彼らは存外近くまで来ていた。 そして同じ声に反応して弦一郎たちに気付いた蔵ノ介たちの間には、瞬く間に動揺が広がる。――― そこで思い出す。 蔵ノ介たちにとって、弦一郎たちは昨年の全国大会で無念の敗北を喫した相手。そして昨年の雪辱を晴らすべき対象にして、此度の敗北により わたしとしたことが、手前のことにばかり囚われてすっかり失念していた。何ということだ。 「むっ。すまない、学友たちとの話を邪魔してしまったか?」 「え、あ、いや……」 「……? どうした、珍しく気が乱れているが何を動揺している?」 「べ、別に動揺などしていない。てっきり弦一郎一人で来るものだと思っていたから、全員で来たことに少し驚いただけだ」 国光に負けず劣らず天然で、生真面目であると同時に心根が素直な弦一郎は図星を指されて早口になるわたしの説明を、それでもすんなりと受け入れた。 そして改めて、弦一郎は蔵ノ介たちに向き直る。 「俺は真田弦一郎。がいつも世話になっている」 「お、おお、白石蔵ノ介です。こちらこそ、にはいつも世話になってます……」 頭を下げて挨拶する弦一郎に釣られるように蔵ノ介も頭を下げ、他の部員たちも驚愕の抜けない呆けた顔のまま条件反射的に頭を下げる。 まさかの形で、まさか自分の存在が両者を引き合わせることになってしまうとは。近い内にこうなることを予測していなかった訳ではないが、心構えと言うか不測の展開だったと言うか、先程にも勝る動揺に囚われるわたしを正気にしたのは、それこそ失念していた存在だった。 「なあなあ、姉ちゃんとこのゴツい人って、どういう関係なん?」 「ど、どうって、その、小さい頃から通っていた剣道場の息子で、兄弟弟子で、…………親戚だ」 「えええええっ!!?」 服を引っ張られる感覚にはっとして下を見たところ、未だに腰に抱き付いていた昨年の全国大会のことを知らない一年生の金太郎に、一番触れて欲しくなかった核心を突かれた。 円らな瞳で如何にも純粋に首を傾げる金太郎に気圧され負けて答えれば、次の瞬間、複数の喚声が鼓膜を 「ちょっとちゃん!? 手塚くんのことといい不二くんのことといい、親戚って自分、何でそない重要な情報を黙っとったん!!?」 「い、いや、黙っていた訳ではなく、さ、最近まで、弦一郎たちが全国区とは知らなくて……」 「んもうっ! もっとはよ教えてくれとったら『テニス部イケメン図鑑・関東編』がもっと楽に 「……。…………は?」 するとこの話にすぐさま食い付いた小春に怒涛の勢いで詰め寄られ、あまりにも予想外な ――― 否、金色小春という人間を知る身からすれば、ある意味では当然とも言える責めを受け、わたしは言葉を失った。失うに決まっている。失わないはずがない。 まさか本当に、眉目の整った人間について府外の学校まで調べ上げていたのか。関東編ということは他地域もあるのか。その『イケメン図鑑』とやらは……!? 「御学友、すまないがはこれから俺たちと帰らねばならない。話はまた今度にしていただけぬだろうか?」 「イヤーン! ええ男にそないな風に頼まれたら断れへんわ。……ちゃん、今度会うた時には洗い浚いぜぇーんぶ聞かせてもらうわよ!! 絶対やで!!!」 「お、お手柔らかに頼む……」 断ることは許さんと言わんばかりの眼力に頬が引き攣りながらも肯定を返すと、小春は駄々を捏ねる金太郎を引き取り、わたしたちを送り出した。 ……そんな打って変わった満面の笑みを浮かべられると、次の対面が酷く憂鬱になるのだが。 「――― 」 そして弦一郎と共に、気を使っているのか離れたところで待つ精市たちの許へ向かおうとしたところ、蔵ノ介に腕を掴まれて引き止められる。 蔵ノ介は振り返ったわたしの耳元へすっと唇を寄せると、囁くように告げた。 「今夜電話するわ」 均衡を知らぬ天秤*110224
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