「アカァァァアアアアンンンッ!!!」

 奇しくもわたしが口にしようとした否定の言葉を紡いだ絶叫と同時に、ベンチ後方の植え込みから一氏が飛び出す。
 けれどもその身は見事な瞬発力を発揮して同じ植え込みから飛び出した忍足により、羽交い締めに拘束される。それでも尚暴れる一氏の表情は、今にも人を殺してしまいそうなほど極悪にして凶悪だった。いつものように釣り目の目許にバンダナが影を落とし、拍車を掛けているから尚更だ。

「……お前ら、そこで何をしている?」
「え、あ、その……、あはははは、ははっ……」
「あーあ、ユウジ先輩の所為で見つかってしもたやないすか」
「すまん、さん。盗み聞きはあかん言うて止めたんやけど……」
「何言うとるのよ、健ちゃん! アタシらはただ、あの手塚くんと不二くんのちゃんを巡るアツーイ戦いを見届けに来ただけやで!! 盗み聞きなんて不粋な言い方したらアカン!!!」
「事実を捏造した上に開き直るな」

 笑って誤魔化そうとするも無駄と判断したのか、笑い声が尻窄みになる忍足。
 一方で小石川は酷く申し訳なさそうに謝罪し、けれども光は欠片も悪びれる様子を見せず。また小春に至っては、その独自の世界を展開させる。……頼むから、特に小春は校外でそのように興奮するのは自重してくれ。ここは四天宝寺でなければ、してや大阪でもないのだぞ。

「……周助も国光も、知り合いがすまない。悪い奴らではないのだが、如何せん好奇心旺盛な連中が多くてな」
「いや、が謝ることではない。それを言うならお互い様だ」

 そう言って国光が目を向けたのは、四天宝寺の面々が隠れる植え込みとはベンチに木陰を作る木を挟んだ反対の植え込みだった。
 まさかと思ったその時背の低い植え込みの葉が揺れ、二人と同じユニフォームを着た人物三人が観念したように現れた。中には一人、こんなところで何故か片手にしているノートへ何事か書き込んでいる人物がいる。

 ……。人数という程度の差はあれど、こう言ったことはどこも変わらないのだな。
 取り敢えず深く気にしない方がいいだろう。これ以上頭痛の種は必要ない。欲しくもない。

「二人共、もし迷惑でなければ後で ――― いや、この全国大会が終わった後にでもまた話さないか?」
「も、勿論! 僕もくんともっと話したい」
「ああ、俺もだ。しかしは引っ越したと聞いたが、四天宝寺と一緒にいるということは大阪住まいなのだろう? 時間は大丈夫なのか?」
「問題ない、少なくとも決勝戦を見届けるまではこちらに滞在する予定だ」
「そうか、ならいいが。――― では、俺たちはそろそろ行く。また後で」

 わたしの提案を二人は快諾してくれた。
 そして国光と周助とその仲間たちが立ち去るのを見送り、わたしは後方に向き直る。

「――― それで? この後すぐに試合だというのに、お前らは一体何をしているんだ? 立て続けの試合だ、少しは英気を養ってはどうだ」
「う、うっさいはボケェェェ!! の裏切りモン! 青学の奴と仲良くしよって、は四天宝寺の生徒やろ!? 俺ら側の人間やろ!!!」

 相変わらず羽交い締めにされている一氏の言うことは喚き声なこともあっていまいち要領を得ず、わたしは首を傾げた。
 取り敢えず手足をばたつかせる一氏の抵抗で甚大な被害を受けている忍足のためにも、まずは一氏を宥める必要がある。近付いて頭を撫でてやると一氏は最初「こ、こないなことで絆される俺やないぞ!!」などと言っていたが、結局は大人しくなった。
 それにしても、こんな風に試合を前にした選手の気を乱したくなかったから、先に観客席へ行こうと思っていたのだが。こうなってしまっては後の祭りだ。仕方がない。
 わたしは大人しくなったことで拘束から解放された一氏が、すぐさま左腕に絡み付いて来たのを好きにさせた。しかしこれまで石田に抱えられて拘束されていた金太郎まで、一氏を真似して腰に抱き付いて来たのは、いくらなんでも流石に暑い。どうやら金太郎は子供体温のようなので尚更だ。

「それにしても、まさかちゃんが不二くんと手塚くんの二人と知り合いやったなんてなぁ! どうして教えてくれなかったん?」
「どうしてと言われても、わたしとしては二人を小春たちが知っていることに驚きだ」
「そら当然やないの、二人共全国区のテニスプレイヤーなんやで!? お・ま・け・に、イケメンやしっ!!」

 ……小春が二人を知っていた理由の大半は、明らかに後半だろう。

「なあなあ、さっきの二人って青学やろ? せやったら姉ちゃん、コシマエって知っとるか?」
「コシマエ? いや、知らないな。第一周助が青春学園に進学したのは知っていたが、国光までとは知らなかったぐらいだし……」
「何やそうなん? あんな、コシマエっちゅうのはな、めっちゃ図太い身体で指から毒素を出し、三つの目でごっつぅ睨んでくるアメリカ帰りの大男なんやで! すごいやろ!? さっき会うた時はそんな感じしいひんかったけど、きっと試合になったら変身するんやで!! ワイ、謙也にコシマエの話聞いてからずっと戦いたかってん!!」
「…………」

 きらきらと瞳を輝かせる金太郎には申し訳ないが、それはいろいろな意味でない。在り得ない。そもそも人間じゃないだろ、ソレ。
 わたしは情報の出所という忍足に目を向けた。すると忍足は苦笑する。

「正確には、めっちゃ図太い神経で唯我独尊、三白眼でごっつぅ睨んでくるアメリカ帰りの越前や。俺の従兄弟が東京の氷帝学園ちゅーとこに通っとって、西のスーパールーキーが金ちゃんなら東のスーパールーキーはその越前やって、前に電話した時そないな話になってん」
「氷帝学園? 青春学園ではなく?」
「侑士 ――― あ、従兄弟のことな? 自分とこの学校に金ちゃんみたいのがおらへんかったから、他校の一年を引き合いにしたみたいや。ほんまに負けず嫌いなやっちゃ」

 忍足の話に成る程と納得したところで、小石川が時計を見ながら「そろそろ会場に行った方がええ時間やな」と全員をアリーナへと促した。いつの間にかそんなに経っていたのか。
 すると応援よろしくだとか勝ったモン勝ちだとか彼らは次々に移動を始め、どうにか落ち着いた一氏も「笑かしたモン勝ちや!」とテニスをしに来たのか得意の芸を見せに来たのか判断し兼ねる謎の意気込みを入れ、今度は小春にくっ付いてアリーナへ向かう。

 しかし一人だけ、その場を動かずにいる者がいた。

「―――

 その者、蔵ノ介は無表情を湛え、凪いだ海のように静かな声でわたしの名を呼んだ。振り向いたわたしと目を合わせたまま目の前までやって来て、右手を伸ばす。
 そして先程周助が触れたように、指先でわたしの頬を撫で、髪を梳いた。一体どうしたのだろう。そう思った刹那、頬を撫でていた蔵ノ介の手は突然頭の後ろに回り、わたしの後頭部を掴んだ。胸元へと引き寄せられ、更にはいつの間にか腰に回っていた左手に身体を抱き寄せられる。
 そうやって突然わたしを抱き竦めた蔵ノ介は、始まりが唐突だったのなら終わりもまた唐突に腕を解いた。時間にして五秒経ったかどうかの出来事だ。

「ほな俺も先に行くわ。また後でな、

 今し方までの無表情が嘘のように笑った蔵ノ介は、そう言って駆け足で仲間の後を追った。
 残されたわたしは蔵ノ介の不可解な行動に一体何が起こったのかとしばし困惑し、後方のベンチを振り返る。けれども空のボトルを手の中で遊ばせる千歳は曖昧に笑うだけだった。
陽炎を掴む*110218