蔵ノ介たちには東京に帰省すると言ったが、実際には客間を帰省中の宿として提供してくださっている神奈川の真田家に帰省を果たした、翌日の八月十七日。

 帰省の目的だった御先祖の墓参りを午前中の内に済ませると、同様に帰省中の親類縁者は皆こぞって真田家に集まり、大人たちは早速と言わんばかりに酒盛りを始めた。
 それは親戚一同の会する機会が正月と盆の年二回しかないために、最早恒例行事と化している光景だった。
 未成年の子供たちも最初の内は特上寿司を目当てに参加するが、昼間から酒を煽り夜中まで騒ぎ通しの空気に、いつまでも居続けることが出来る訳はなく。上は高校生から下は幼稚園児まで、真田家の敷地内に併設される道場に集まって竹刀を振るうのが、子供たちには恒例行事になっている。

 とは言え、わたしの場合はどちらの恒例行事に参加することになるかは、その時々によって異なる。
 何しろ男系の家系の中で、わたしは一族の血を引く稀少な、それも幾年振りに授かった女児という立場にあるのだ。このため必然的に、わたしは父と同様にわたしを猫可愛がりする親類縁者の大人たちによって、酒盛りの席に付き合わされるのが大概になっている。

 しかし本音を言えば、出来るなら酒盛りへの同席は全力で辞退したい。
 けれど望まずとも誕生日などの機会を問わずに数多の高級な贈り物を戴いている手前、無碍には出来ないのが実情だ。
 特に今回は、弦一郎が見立ててくれた着物を弦一郎のお母様から贈られた上に、真田家には帰省の度に宿を提供いただいている御恩がある。辞退するなどという考えは持つだけ無礼極まりない。

 詰まる話、わたしの今回の恒例行事は、酒盛りへの参加と相成った。


(しかし、流石に疲れた……)

 午後七時を過ぎ、余程酒に強い者以外はすべて酔い潰れた頃になって、わたしはようやく宴会から解放された。
 酔っ払った乗りで妙な結託を見せた男性陣に煽られ、女性陣には遊ばれ。昨日より更にめかし込む羽目になった恰好からも早く解放されたくて、風呂へ向かう足は無意識の内に速まる。

? まだ風呂に入っていなかったのか?」
「ああ、弦一郎。そちらこそ、いつの間に帰っていたのだ?」

 するとその途中で弦一郎に遭遇した。
 らしくもなく今日の墓参りに参加せず、朝早くからどこかへ出掛けていた弦一郎の顔を見るのは今朝振りのことだ。今の今まで大人たちのどんちゃん騒ぎに付き合わされていたこともあってか、何だか無性にほっとする。

「一時間ほど前だ。は……またか?」
「まただ。ところでそう言う弦一郎は、今朝から一体どこへ出掛けていたのだ?」
「東京だ。今日からテニスの全国大会が開催されたのでな」
「テニスの、全国大会……?」

 ……。……ちょっと待て。

「テニスの全国大会とやらは、二十日以降に開催されるのではないのか?」
「いや、今日から四日間の日程だが、どうした? 今までテニスの大会日程など気にも止めていなかっただろう。何かあったのか?」

 不思議そうに、しかし同時にどこか嬉しそうに、弦一郎は首を傾げた。
 正直そんな反応をされると、剣道一筋だった弦一郎の心をいとも容易く奪ったテニスへの憎々しさから、何とも幼稚な嫉妬心を抱いていたかつての未熟な自分が思い出され、居た堪れなくなる。
 しかしそのくらい、わたしがテニスというものに対して自ら関わるのは、弦一郎にとっては異例ということか。

「テニス部に所属する後輩に、帰省で東京へ行くのなら観に来て欲しいと言われてな。しかし大会は二十日以降になるとかで、結局は無理だと言う話になったのだ」

 だが弦一郎によれば大会は今日から開催だと言うし、どういうことだ?
 今日から四日間の日程なら、順当に行けば二十日の日に行われる決勝戦の観戦は無理だろうが、それ以前の試合であれば観戦可能だ。まさか揃いも揃って大会日程を把握し間違っていた訳ではあるまい。流石に誰か一人ぐらいは気付いて訂正したはずだ。

「観に来て欲しい、と言うことは、の学校も全国大会に出場しているのか?」
「ああ、大阪の四天宝寺中学だ」
「四天宝寺だと?」
「何だ知っているのか?」
「あそことは昨年準決勝で戦ったが、決勝戦の相手に勝る実力を持ったいいチームだった。それにしても、大阪へ引っ越したのは知っていたが、は四天宝寺に通っていたのか……」

 正月や盆にこうして顔を合わせても、世間話をするより竹刀を交えていることの方が多いためか、わたしたちは今になって判明した事実にお互い驚いた。
 まさか蔵ノ介が一時期塞ぎ込む原因になった敗北を齎したのが、弦一郎の所属するチームだったとは。テニスという共通項があるとは言え、お互いの知り合いが意外なところで繋がっていて、世間は広いようで狭いのだな。

「ところで弦一郎は、今日の試合には勝ったのか?」
「無論だ。我が立海の三連覇に死角はない!」
「ほう、ならばその実力、是非とも拝見したいところだな」

 わたしがそう告げたところ、弦一郎は意表を突かれたと言わんばかりにしばたたいた。

「……観に来るのか? が?」
「迷惑か? それなら仕方ないが、せめて会場には案内してもらえぬか? 自分の通う学校が出場していることだし、そちらくらいは観に行きたいのだが……」
「いや違う、迷惑なのではない。がそのように言うのは初めてだったので、驚いただけだ」

 それはあれだ。幼稚な嫉妬心と向き合えるようになったとは言っても、それ以前までは慳貪けんどんにしてしまっていた後ろめたさ故に、素直にはなり切れずにいたからだ。
 それが今日こんにちに至るまで続き、小春や一氏に誘われても、部活の見学や大会の観戦へ行かなかった一因になっている。まあ最たる要因は、蔵ノ介との関係を内密することだったが。

「では、観に行ってもよいのだな?」
「ああ、是非来てくれ」

 笑顔で頷く弦一郎に釣られて笑い、明日の出発時間を聞いてから、わたしは当初の目的だった風呂場へと向かった。


 しかし相も変わらず、そう上手くは回らないのが現実だ。

 翌日のわたしは、一体どうしたというのか、例年にない数となった二日酔いに苦しむ大人たちの介抱に追われる羽目になった。
 ――― いや正しくは、蟒蛇うわばみであるはずの父が初めての二日酔いに大袈裟なほど苦んでわたしの気を惹こうとするものだから、介抱せざるを得なかっただけなのだけれど。

 この為、今朝のわたしは弦一郎と共に真田家を出ることがかなわず。
 午後になってようやく解放されたかと思えば、弦一郎から自分たちの今日の試合は終わったと連絡が入り、更には急な雨によって大会は中断。

 大阪へ戻る予定日の、翌十九日を迎えることとなってしまった……。
君を主軸に廻る*110212