休日、意外な場所で意外な姿を目にした。

「財前光?」
「えっ? あ……」

 人で賑わう往来に面した、最近開店したばかりの小洒落た喫茶店前。
 そんな場所で営業妨害宜しく、何やら難しい顔をしていたので思わず声を掛けると、振り返った財前光はわたしを見て瞠目した。
 恐らく休日の街中でわたしと遭遇し、剰えわたしの方から声を掛けたことが、あちらには意外だったのだろう。何しろお互い第一印象は最悪で、一応は和解したものの、その後まともに言葉を交わしたのは期末試験前の勉強会の折が最初で最後なのだから。

「足を止めるのなら、もう少し場所をずらした方がいい。悪目立ちしているぞ」
「え、あ、……すんません」
「わたしに謝られてもな。甘いものが嫌いなのか?」

 まるで親の敵でも見るような、とまで言っては大袈裟だが、そのくらい厳しい形相だったからな。
 わざわざ足を止めて睨むほど嫌悪対象なのかと、先程まで財前光の視線が向いていたこの店の売りらしい善哉の文字が書かれたのぼりに目を向けたが、財前光は曖昧に言葉を濁した。肯定も否定もせず、何故かバツが悪そうにしている。
 その様子にぴんと来た。

「好きなのだな、甘いものが」
「――― っ! わ、悪いすか?」
「まさか。少し意外だとは思うが、好みは人それぞれだ」

 幟の次はわたしが睨まれるが、図星を指された羞恥に染まった顔では迫力に欠ける。寧ろ不遜で憎たらしい最初の印象とのあまりの落差に、失礼ながら可愛げすら感じた。
 何しろ外から窺い知れるだけでも、店内の客は女性がほとんどだ。ほんの数人男性客の姿も見受けられるが、いずれも女性客の連れらしい。
 明らかに女性の集客を狙っている内装や店の雰囲気などからしても、男一人で入るには聊か勇気がいるだろう。故に財前光は店先で立ち往生していたのかと思い至ると、更には微笑ましい気持ちになった。

「そうだ、財前光。お前この後時間はあるか?」
「え? あ、あります、けど……」
「では喫茶店が目の前にあることだし、わたしとお茶しないか?」
「…………は?」

 ほんの数分、あの時の半分にも満たない時間で、わたしの中にあった財前光の人間像は大きく覆された。
 しかしよくよく考えれば、わたしと財前光は同じ委員会に所属し共通の知り合いが居はしても、お互いの内面を知るほどの接点がある親しい間柄ではない。その癖僅かな情報による人間像に先入観を持ち、だから甘いものが好きと言う、外見の印象的にも意外な情報に驚かされた訳だ。

 ――― 今はそんな誤りを正し、本当の意味で“財前光”を知るいい機会なのではなかろうか。
 そう考えての誘いに財前光は最初戸惑っていたが、入りたくとも入れずにいた店への誘いでもあるためか、最終的には頷いた。


 女性店員に案内された二人掛けの席に向かい合って腰を下ろし、メニューを開く。
 お冷を用意しながら店員が告げた話によると、今日はカップルデーなる日だそうだが、わたしたちには関係のない話だ。

「財前光は何を頼む ――― どうした、具合が悪いのか?」
「い、いや、何でもないすわ」
「しかし、顔が赤いぞ。熱があるのではないか?」
「ほんまに、大丈夫なんで。気にせんといてください……。それより、そっちこそ何にしはるんです?」
「あ、ああ。そうだな、ではこのお勧めという善哉にしようか」

 幟が出ていたくらいだしな。余程美味しいのだろう。
 勉強会の際にも似たようなやり取りをしたが、蔵ノ介といい財前光といい、どうやら茹蛸のように赤くなっている顔色については触れて欲しくないらしい。ならば大丈夫だと言う本人の言葉を信じた上で尊重し、わたしはこれ以上の言及を避けた。

 改めて何を頼むのかこちらからも聞き返し、財前光も同じく善哉を頼むと言うので、店員を呼んで注文する。
 そして商品が運ばれてくるまでの間、わたしたちはいろいろな話をした。

 個性派揃いのテニス部の先輩たち ――― 特にケンヤと言う名の人物が何かと絡んで来て鬱陶しいとか煩わしいだとか、辛辣な口を利きながらも実際には緩んでいる財前光の口許に、素直ではないなと苦笑したり。
 あの先生のギャグは面白くないと、小春曰くクールと言われているらしい財前光も、やはり笑いに重きを置く四天宝寺の生徒なのだと思わされる酷評の多い熱の入った批評に、これの一体どこがクールだと気圧されたり。
 好物だと言う善哉に、いつかの鹿又さんの間違いは渾名と考えれば強ちそうとも言えなかったのではと、思わず笑ってしまったり。
 その善哉が運ばれて来てからも、あちこち食べ歩いていると言う財前光の評価とその他お勧めの店の話で、話題は尽きることがなかった。

 財前光はクールなどではなく、一氏のような人見知りの気があるのか、それ故に毒舌で生意気な人間だった。
 また好きなことに対しては饒舌で表情の変化が著しく、その話題の時ばかりは天真爛漫な金太郎よりもずっと子供っぽい印象を受け、口では悪く言いながらも端々では蔵ノ介への尊敬の念が窺えて、ケンヤなる人物が財前光に構いたがる理由がわかる気がした。


「今日は付き合ってくれてありがとう、お陰で有意義な時間が過ごせた」
「こっちこそ、お陰でこの店の善哉食べられたんで、ありがとうございました」

 音にするならぺこりと頭を下げた財前光に、今や当初の悪印象はない。
 言葉通り善哉にあり付けたことが余程嬉しいのか緩んでいる表情に、わたしまでつられて笑みが零れる。すると一瞬合った目がついと逸らされ、しかし気にはならなかった。向かい合わせの席で過ごした二時間以上の間にも、散々逸らされていたからな。
 わたしの方はそんなこともないが、財前光にとってわたしはまだ一線を引く相手なのだろう。
 だが今後もっと打ち解けていければ、今はそんな反応をされても構わない。

 そして別れ際、踵を返そうとしたところを呼び止められる。

「あの、……連絡先、訊いてもええですか?」
「連絡先? ああ、携帯電話のか?」

 断る理由はないため、鞄の底に沈んでいた白いそれを、ストラップにしている淡い草色の蜻蛉玉とんぼだまの根付を掴んで引っ張り出す。

 しかし新品のように綺麗な見た目から察せると思うが、わたしは携帯電話という物を使用することが滅多にない。こちらに引っ越して間もなく、心配が過ぎて年甲斐もなく娘を泣き落とした父を宥め鎮めるため持ち歩いてはいるが、わたしは基本的に機械音痴なのだ。
 父の御下がりでもらうカメラはデジタル式だが、使い方を手取り足取り指導しようとしたかと思えば、わたしを被写体に御手本と称した撮影会を始めようとする父から一秒でも早く脱するため、説明書を片手に半ば死に物狂いになって自力で習得した。
 図書室のパソコンも同じように、必要性に駆られての慣れだ。故に普通のパソコンはてんで操作出来ない。

「使い慣れていないので、用事がある時の連絡はなるべく電話にしてもらえると有り難い」
「絶対に? メールしたらあかんのですか?」
「……まあ、いつも電話に出られるとは限らないからな。送ってくるのは構わないが、返信はあまり期待しないでくれ。返すことが出来たとしても遅い上に、文字の変換方法がいまいちわからないので平仮名だけの文になるんだ」

 わたし自身は必死にやっているのだが、如何せん必死に返信を打っている最中に「いつまで待たせんねん!?」の第一声が常套句になっている電話が掛かって来たり、返信出来たとしても「平仮名ばっかで読み難いはボケ!!」と文句の電話が掛かって来たり。
 お陰でわたしのメール能力が上達する兆しは一向にない。
 因みにこれらの電話が誰からのものであるかは、わざわざ言うまでもなかろう。

「ほな、俺が練習相手になったりますわ」

 ぱちん、と。情報の登録方法がわからないわたしに代わり、自分の連絡先を登録してくれた財前光から携帯が返される。
 財前光はその左手でズボンの後ろポケットから深紅の携帯電話を取り出した。そして何か操作し、ぱたんと閉じる。するとわたしの携帯が震えて、見れば財前光の名前が表示されていた。
 メール、らしい。目の前にいるのだから話があるのなら直接で言えばいいものを。財前光を見れば早く読めと言わんばかりに顎をしゃくられる。

――― 俺のこと、いつまで財前光ってフルネームで呼ぶんすか?

 ……言われて見れば確かにそうだが、わざわざメールで訊く内容か?
 お互いが目の前にいるのだから、言葉にした方が早くはないか?

 しかし更に携帯が震えて、練習なんやからメールで答えてください。と、釘を刺される。
 まだ同意した訳ではないが仕方なく、のろのろと両手で携帯を操作する。短い文を五分ほど掛けて完成させ、その間急かすことも遅いと文句を言うこともなく待ち続けた財前光へ、送信ボタンを押した。
 少しして財前光の携帯が震え、わたしには信じられない速さで、財前光は更に携帯を操作する。

――― では なんと よべばいい
――― 光でええすわ。その代わり、俺も下の名前で呼んでもええすか?
――― おまえが そういうのなら わたしは かまわない すきにしろ
――― ほな、好きにさせてもらいますわ。

 句読点の打ち方がわからないので空白をその代わりにし、文を打つ。技術が一向に上達しないながら身に付けた知恵だ。
 それにしても、わたしたちのこのやり取りは傍から見ればさぞや奇異に映っているに違いない。

「――― さん」
「……えっ?」
「また後でメールしますわ。今日はほんまにありがとうございました」

 不意に名前を呼ばれた。

 それは自分からメールで答えろと言いながら唐突に言葉を口にされたことへの驚きか、それともよくわからない交換条件だが精々「先輩」とでも呼ばれると思っていたのが、まさかのさん付けだったことへの驚きか。
 恐らく両者の理由であると同時に、今はもう背中を向けている財前光 ――― 光が最後に見せたのが、照れ臭そうにはにかむ笑みだったから。

 わたしと光の間にある隔たりは、わたしが考えているほど大きなものではないのかもしれない。そう思うと緩む口許を自分ではどうすることも出来なくて、わたしも踵を返すと帰路を急いだ。
 家に着いたら携帯電話の説明書を読み返そう。
 そして文字の変換方法や句読点の打ち方を調べて、次はもっと早くメールを打てるように頑張ろうと思う。
キミを知る午後*101030